2026/6/8
金時草はなぜ金沢で育ち、名を変えたのか

加賀野菜の金時草について詳しく教えてほしい。
キュリオす
熱帯アジア原産のスイゼンジナが、北前船や農学者を経て金沢に伝わり、「金時草」として独自の進化を遂げた経緯を追う。金沢の風土が育む色とぬめり、そして「加賀野菜」としての確立までを辿る。
金沢の食卓を彩る「加賀野菜」の中でも、ひときわ目を引く存在がある。その名は「金時草(きんじそう)」。皿に盛られた姿は、表の緑と裏の鮮やかな赤紫の対比が印象的で、箸でつまみ上げると、わずかなぬめりが指先に伝わる。茹でるとこの紫が溶け出し、汁を美しく染め上げる独特の性質を持つ。なぜこの野菜が、遠く離れた熱帯アジアを原産とするにもかかわらず、北陸の金沢で独自の進化を遂げ、「金時草」という名で親しまれるようになったのか。その背景には、単なる地域ブランドでは語り尽くせない、いくつもの偶然と風土の力が作用している。
金時草の和名は「スイゼンジナ(水前寺菜)」と言い、キク科ギヌラ属の多年草である。原産は熱帯アジアで、日本には18世紀に中国から渡来したとされる。当初は熊本市の水前寺で栽培されていたため、「水前寺菜」の名がついたのだ。
このスイゼンジナが、いかにして遠く離れた北陸の金沢に伝わったのかについては諸説ある。一説には、江戸時代に北前船の船乗りたちが長い航海の途中でビタミン補給源として重宝し、その一部が金沢で挿し木にされて根付いたのではないかとも推測されている。 また、藩政時代の農学者、村松標左衛門が著した『農業開志』(1775年頃)には、すでに石川県で栽培されていた記録が残っているという。
しかし、商品としての本格的な栽培が始まったのは、さらに時代が下った昭和初期のことである。金沢市花園地区の木びき職人、中田龍次郎氏が大正時代に県内のどこかから一株を持ち帰り、畑に植えたのが始まりとされている。 その後、息子の義久氏が隣村から金沢の近江町(おうみちょう)の八百屋に嫁いだ人物の勧めを受け、昭和初期から料理屋向けに栽培を開始した。 中田氏の出荷をきっかけに、周囲の農家も関心を持ち、次第に栽培が広がっていったのだ。 当初は自家用野菜としての位置づけが強かったが、昭和37年(1962年)頃から地元金沢の市場へ出荷されるようになり、現在に至る。
「金時草」という名称は、葉の裏側の鮮やかな赤紫色が「金時芋」や「金時豆」の色に似ていることから名付けられたと言われている。 このように、九州から伝来し、北陸の地で独自の呼び名を得て、地域に根差した野菜として確立されていった。
金時草の最大の特徴は、葉の表が濃い緑色であるのに対し、裏側が鮮やかな赤紫色をしていることだ。 この色のコントラストは、茹でるとさらに際立ち、特有のぬめり(粘り)が生じる。 このぬめりはモロヘイヤにも似ていると言われ、つるっとした食感が楽しめるのだ。
この金時草の栽培には、金沢の風土が深く関わっている。金時草は熱帯アジア原産であり、生育適温は20〜28℃とされ、暑さには強いが、5℃以下で生育が停止し、0℃以下で枯死する性質を持つ。 しかし、金沢の山間部、特に金沢市花園地区や白山市鳥越地区のような昼夜の温度差が大きい環境は、葉の裏の赤紫色を鮮やかに発色させるのに適しているとされる。 高温すぎると色が薄くなるため、この温度差が重要なのだ。 また、乾燥には弱く、水はけの良い肥沃な土壌を好む。 金沢の気候条件は、金時草がその特徴を最大限に引き出すのに適していたと言えるだろう。
栽培方法も独特である。金時草は種子をほとんどつけないため、挿し木で増やす栄養繁殖が基本となる。 春に苗を植え付け、定植から約50〜60日後には収穫が可能になる。 収穫は茎の長さを30cmほどに保ち、2節を残して摘み取る。 乾燥に弱いため、敷きわらをしたり、水やりを十分に行うなどの工夫が求められる。 また、収穫作業は、乾燥を嫌い、朝露・夜露のある早朝に行うことが良いとされる。 ひとつひとつ手作業で長さを切りそろえ、袋詰めされるため、手間のかかる作業だという。
栄養面でも注目される。金時草には、紫色の色素成分であるアントシアニンが豊富に含まれており、抗酸化作用や目の健康への効果が期待されている。 また、ビタミンA、C、鉄分、カルシウム、さらにGABA(γ-アミノ酪酸)なども豊富で、疲労回復や夏バテ防止、血圧の安定にも効果が期待できるとされている。 特に金沢で栽培される金時草は、土壌の特性からカルシウムなどの栄養成分が豊富に含まれるとも言われる。 このように、金沢の気候と土壌、そして長年の栽培技術が、金時草の独特の風味と栄養価を育んできたのだ。
金時草は、その和名「スイゼンジナ」が示す通り、かつては熊本県を中心に栽培されていた。しかし、現在では金沢が主産地となっている。 このように、同じ植物が地域によって異なる呼び名を持ち、それぞれの土地で独自の食文化に組み込まれてきた例は少なくない。例えば、金時草と同じスイゼンジナは、沖縄県では「ハンダマ」、愛知県では「式部草」と呼ばれ、それぞれ伝統野菜として親しまれている。
これらの地域でのスイゼンジナの扱いは、金沢の金時草と共通点もあれば、異なる点もある。例えば、沖縄のハンダマも、金時草と同様に葉の裏が紫色で、独特のぬめりを持つことで知られる。 どちらの地域でも、このぬめりや鮮やかな色合いを生かした酢の物やおひたし、天ぷらといった調理法が一般的だ。 しかし、沖縄では「不老長寿の葉」として民間療法にも用いられてきた歴史があるなど、その土地ならではの文脈が付与されている。
「加賀野菜」というブランド自体も、特定の定義に基づいている。金沢市農産物ブランド協会が認定する「加賀野菜」は、「昭和20年(1945年)以前から栽培され、現在も主として金沢で栽培されている野菜」という条件を満たす15品目からなる。 この定義は、単に「昔からある」だけでなく、「現在も金沢で主要に栽培されている」という継続性と地域性を重視している点が特徴だ。全国的に見れば、多くの在来野菜が生産性の高い品種に置き換わっていく中で、金時草が金沢の地でその存在感を保ち続けているのは、この地域ブランド戦略と、消費者の需要がうまく結びついた結果と言えるだろう。
他の地域野菜と比較すると、金時草のように原産地から離れた場所で、その土地の気候や文化に適応し、固有の名称や特徴を得て「土着化」するケースは珍しくない。各地の伝統野菜には、その土地の歴史や人々の暮らし、そして自然環境との関わりが凝縮されている。金時草もまた、熱帯アジアから遠路はるばる日本に渡り、九州を経て金沢の地で独自の「加賀野菜」としてのアイデンティティを確立した、その多様な変遷の一例なのである。
現在、金時草は金沢市内の花園地区、白山市鳥越地区、かほく市などで主に栽培されている。 かつては夏野菜として6月下旬から11月中旬が旬であったが、ハウス栽培の技術が進んだことで、一年を通して市場に出荷されるようになった。 それでも、本来の旬である夏場のものは、葉の勢いや色つや、大きさが特に優れていると言われる。
金時草は、金沢の料亭や一般家庭の食卓で多様な形で利用されている。定番は、さっと茹でて酢醤油で和える「酢の物」である。 茹で汁が鮮やかな紫色に染まるため、見た目にも美しい一品となる。 その他にも、おひたし、ごま和え、天ぷら、炒め物、白和えなど、幅広い調理法で楽しまれる。 葉が柔らかいため生でサラダに加えることも可能であり、若い茎は細切りにしてかき揚げに混ぜたり、炒め物の具にしたりと活用される。 石川県出身の料理人、道場六三郎氏が金時草の搾り汁を使ったシャーベットを考案したことで、その美しい色素が菓子にも利用されるきっかけとなったという話も残る。
近年では、金時草を粉末にして食品や化粧品に応用する動きも見られる。 また、金沢市では、新規就農者が金時草栽培に取り組むケースもあり、地域ぐるみで伝統野菜の継承と振興に力を入れている。 例えば、農業未経験から金時草栽培農家になった永森貴登氏のような生産者もおり、昼夜の寒暖差や豊富な水など、金沢市上山町の環境が金時草の生育に適していることを実感しながら栽培を続けている。
一方で、栽培はすべて手作業で行われる部分が多く、特に収穫作業は早朝に行う必要があり、手間がかかる。 高温で色が薄くなる、乾燥に弱いといった栽培上の課題も抱えている。 伝統野菜としての価値を守りながら、いかに安定した生産体制を維持し、次世代へと繋いでいくかは、現代における金時草の大きなテーマと言えるだろう。金沢市農産物ブランド協会は、加賀野菜の生産振興と消費拡大に努めており、その取り組みが金時草の未来を支えている。
金時草の葉は、表が緑、裏が赤紫という二つの色を持つ。この対比は、この野菜が持つ多面的な顔を象徴しているのかもしれない。熱帯アジアを原産とする外来種でありながら、北陸の金沢で「加賀野菜」として確固たる地位を築いたこと。標準和名「スイゼンジナ」とは異なる「金時草」という独自の呼称を得たこと。そして、その鮮やかな色合いとぬめりという特徴が、金沢の食文化に深く根付いたこと。
金時草の物語は、単なる植物の伝播と栽培の歴史に留まらない。それは、異なる文化や環境が交差する中で、いかにして新たな価値が生まれ、地域固有のアイデンティティを形成していくかを示す一つの例である。金沢の風土と、それを受け入れ、育んできた人々の営みが、この「二つの顔を持つ葉」に凝縮されているのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。