2026/6/8
加賀れんこんの粘りと歴史、300年前から続く泥の物語

加賀れんこんについて詳しく教えて欲しい。いつ頃から栽培されているのか?
キュリオす
金沢の加賀れんこんは、約300年前の藩政時代に薬用として始まり、粘土質の土壌と人々の努力で独特の粘りと食感を持つようになった。現代では規格外品の活用やスマート農業も導入され、伝統と革新が共存している。
金沢の食卓に並ぶ加賀れんこんには、他の産地のそれとは異なる、独特の存在感がある。包丁を入れたときの確かな手応え、すりおろした際に現れる驚くほどの粘り、そして口に含んだときのもっちりとした食感。その一つ一つが、この土地で長きにわたり培われてきた歴史と、特別な風土を物語っているように思える。なぜ加賀の地で、これほどまでに個性的なれんこんが育まれてきたのか。その疑問は、深い泥田の底に根を張るれんこんの姿と重なり、掘り下げてみたくなる衝動に駆られる。
加賀れんこんという名称は、特定の品種を指すものではなく、金沢で栽培されるれんこん全般を指す地域ブランド名である。しかしその背後には、数百年にわたる試行錯誤と、この土地ならではの条件が積み重なってきた経緯があるのだ。粘り強く、肉厚で、節と節の間が短いという特徴は、単なる偶然ではない。北陸特有の気候、粘土質の土壌、そして何よりも、この作物と向き合い続けた人々の営みが、今の加賀れんこんを形作ってきたと言えるだろう。
加賀れんこんの栽培の歴史は、今から約300年前、江戸時代の加賀藩にまで遡る。その始まりは、加賀藩五代藩主前田綱紀が、参勤交代の際に美濃国から持ち帰ったハスの苗を金沢城内に植えたことだと伝えられている。当初、この「ハスノ根」は食用というよりは、上層武士の間で薬用として用いられていたという。
その後、金沢市大樋町一帯、現在の小坂地区で栽培が広まり、「大樋蓮根」と呼ばれるようになった。この時期の品種は「地ばす」と呼ばれ、地下1メートルほどの深さに根を張るため、収穫には多大な労力を要し、収量も少なかったとされている。しかし、その粘りや食感は人々を魅了し、明治中期頃まで栽培が続いたというから、当時の人々にとって特別な存在であったことが窺える。
明治時代に入り、世の中が大きく変化する中で、れんこんの商品性にも注目が集まり始める。明治20年代には、小坂地区で栽培されるれんこんは「小坂蓮根」として広く知られるようになり、食用としての栽培が本格化した。この頃から、熱心な篤農家たちが品種改良に尽力するようになる。本岡三千冶・太吉父子や表与兵衛といった人々が、新たな品種の導入に力を注ぎ、明治30年代には「青葉種」、明治40年代には「枯知らず」や「赤蓮種」などが導入された。
大正時代に入ると、「白蓮種」「南京種」などが栽培されるようになり、大正中期には、れんこんの生産拡大に貢献した本岡大吉氏によって、現在の「加賀蓮根」という名称が付けられ、市場に出荷されるようになった。 昭和30年代には「備中種」や「支那蓮種」が主流となり、そして昭和40年代中頃には、現在の主要品種である「支那白花」が「支那蓮種」から選抜育成され、今日に至る加賀れんこんの礎が築かれたのである。 このように、加賀れんこんの歴史は、単一の品種や偶然によって成り立ったものではなく、何世代にもわたる人々の努力と、その時代ごとの品種改良の積み重ねによって形成されてきたのだ。
加賀れんこんが持つ独特の粘りともっちりとした食感は、主に金沢市北部の小坂地区や河北潟干拓地に広がる、粘土質の泥土壌と密接に関係している。一度足を踏み入れると容易には抜け出せないほどの粘りを持つこの土壌が、れんこんの生育に大きな影響を与えているのだ。 北陸地方特有の豊かな水と多雨な気候風土も、この粘土質土壌と相まって、加賀れんこんの品質を決定づける重要な要素となっている。
加賀れんこんの特徴は、一般的なれんこんと比較して澱粉質が多く、それが強い粘り気となって現れる点にある。 この粘り気は、すりおろした際に顕著で、つなぎを使わずとも団子状にまとまるほどだ。 肉質は緻密で、節と節の間が短く、太くて肉厚であるため、同じ大きさでもずっしりと重く、食べ応えがある。 また、れんこんの穴が小さいことも、その身が詰まっている証拠だと言えるだろう。
収穫方法も、加賀れんこんの個性を形作る上で見過ごせない要素である。主に二つの方法が用いられている。一つは、れんこん田の水を抜き、専用のくわを使って一つひとつ手作業で掘り起こす伝統的な「くわ掘り」だ。 この方法は、熟練の技術を要し、一人前になるには10年かかるとも言われるほど重労働である。しかし、くわ掘りで収穫されたれんこんは泥が付いたまま出荷され、この泥が鮮度を保つ役割を果たす。 主に小坂地区でこの方法が継承されている。もう一つは、水を張ったままポンプの水圧でれんこんを掘り出す「水掘り」である。 水掘りは、くわ掘りに比べて体力的な負担が少なく、若手でも取り組みやすいとされる。主に河北潟干拓地で採用されており、効率的な収穫が可能だが、水圧の当て方によってはれんこんが黒く変色することもあるため、やはり技術が求められる。
さらに、加賀れんこんの表皮には「さび」と呼ばれる黒みがかった色が特徴として挙げられることがある。 これは、収穫直前まで茎や葉を刈らずに植物を育て、土中の酸化鉄が多く付着することに起因するとされ、地元では良質な土壌で育った鮮度の良い証とも言われている。 このように、土壌、気候、品種、そして収穫方法に至るまで、加賀の地ならではの条件が重なり合い、現在の加賀れんこんの独特な品質が生み出されているのである。
れんこんは日本各地で栽培されており、それぞれの産地が独自の歴史と特徴を持つ。全国的な生産量で言えば、茨城県、佐賀県、徳島県が三大産地として知られている。 これらの産地のれんこんと加賀れんこんを比較すると、その個性がより鮮明になる。
例えば、茨城県産のれんこんは、シャキシャキとした軽やかな食感が特徴とされることが多い。これは、品種の違いや栽培される土壌の性質が影響していると考えられる。一方、加賀れんこんは、前述の通り、デンプン質が豊富で、ねっとりとした強い粘りともっちりとした食感が際立つ。 同じれんこんであっても、調理法によってその持ち味が活かされる場面は異なる。シャキシャキ感を活かすきんぴらやサラダには一般的なれんこんが向くが、すりおろして蒸し上げる「はす蒸し」や、もちもちとした食感を求める料理には、加賀れんこんの粘りが不可欠である。
歴史的背景にも違いが見られる。加賀れんこんが藩政時代に薬用として始まり、徐々に食用へと転じていったのに対し、他の産地では最初から食用として栽培が始まったケースや、明治時代以降に品種改良や栽培技術の導入によって大規模化が進んだ例が多い。例えば、明治29年には小坂の太田半右エ門が関東地方から大型の浅根蓮根を導入栽培し、それが広まった経緯もある。 このように、加賀れんこんのルーツには、武士階級の薬用という、他の産地にはあまり見られない特殊な側面があったのだ。
また、収穫方法においても、加賀れんこんが伝統的な「くわ掘り」と効率的な「水掘り」を併用しているのに対し、大規模産地では水掘りや機械掘りが主流となっている場合が多い。 くわ掘りの手間と時間が、加賀れんこんの品質とブランド価値を支える一因となっているとも言えるだろう。泥付きで出荷される加賀れんこんの姿は、その鮮度保持だけでなく、伝統的な手作業の証として、消費者に認識されている側面もある。 このように、他の産地のれんこんと比較することで、加賀れんこんが持つ「粘り」「肉厚」「歴史的背景」「収穫方法」といった個々の特徴が、単なる性質ではなく、その土地の風土と歴史に深く根ざした結果であることが浮き彫りになる。
加賀れんこんは、現在「加賀野菜」の15品目の一つとして、金沢市農産物ブランド協会によって認定されている。 これは、昭和20年以前から栽培され、現在も主に金沢で栽培されているという基準を満たす、地域に根ざした伝統野菜の証である。収穫時期は8月上旬から翌年5月下旬までと長く、約10ヶ月にわたり市場に出荷される。 金沢市は世帯あたりのれんこん年間購入額が全国トップクラスであり、地元での消費量が非常に高いことからも、加賀れんこんが地域の人々の食生活に深く浸透していることがわかる。
しかし、その一方で、現代ならではの課題も抱えている。加賀れんこんはブランドイメージを維持するため、出荷基準が非常に厳しく設定されている。そのため、年間約600〜700トン収穫されるうち、およそ1割にあたる70トンが、形や色が悪かったり、少し傷があったりするだけで規格外品となり、廃棄されてしまうという現実がある。 これらの規格外品は、味には全く問題がないにもかかわらず、市場に出回ることができない。
このフードロス問題に対し、JA金沢市加賀れんこん部会は新たな取り組みを始めている。規格外の加賀れんこんを活用した加工品の開発と販売だ。れんこんチップスやれんこんドーナツなどが開発され、フードトラックでの移動販売を通じて、加賀れんこんの美味しさを広くPRする試みが進められている。 このような取り組みは、単なるフードロス削減に留まらず、加賀れんこんの新たな価値創造と持続可能な農業経営の実現を目指すものだ。
また、生産現場では、持続可能な農業を推進するため、スマート農業技術の導入も進められている。有機質肥料の利用による化学肥料の使用量低減や、遠隔水管理装置の導入による作業時間の削減など、環境負荷の低減と省力化が図られている。 若い世代の生産者も増えつつあり、伝統を守りつつも、時代に合わせた技術を取り入れ、未来へと繋ぐ努力が続けられているのだ。
加賀れんこんが持つ独特の粘りともっちりとした食感は、単なる品種特性や栽培技術の結晶ではない。それは、何世紀にもわたる加賀の風土と人々の営みが、粘土質の泥土に幾重にも刻み込まれた結果として捉えることができる。藩政時代に薬用として始まったれんこんが、やがて人々の食卓を彩る存在へと変化し、その過程で品種改良が重ねられ、栽培技術が磨かれてきた。
他の産地のれんこんが、多くの場合、効率的な大規模生産とシャキシャキとした食感を追求してきたのに対し、加賀れんこんは、深い泥土という生育環境がもたらす「強い粘り」という特性を、むしろその個性として最大限に活かしてきた。くわ掘りという重労働な伝統的収穫方法が今も一部で続けられているのは、単なる慣習ではなく、その泥土とれんこんが育んできた関係性を守ろうとする意識の表れだろう。
現代において、規格外品の活用やスマート農業の導入といった新たな試みがなされているのは、この泥土に根差した伝統を守りつつ、変化する社会の中でいかに持続させていくかという問いに対する、この地域の具体的な回答である。加賀れんこんは、単なる農産物ではなく、金沢という土地の歴史、文化、そして未来への意思を内包する存在だと言える。その粘り強さは、れんこん自身の生命力だけでなく、それを作り続けてきた人々の、困難に立ち向かう姿勢をも象徴しているのかもしれない。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。