2026/6/11
三河湾のアサリはなぜ減った? 水質改善が招いた「餌不足」という皮肉

三河湾のアサリや大アサリについて詳しく教えてほしい。なぜよく獲れるのか?
キュリオす
かつて国内有数のアサリ産地だった三河湾。閉鎖性の高い内湾という恵まれた環境で豊漁を支えてきたが、近年、水質改善が進みすぎた結果、アサリの餌となる植物プランクトンが減少し、漁獲量が激減。環境保全と漁業生産の両立という課題が浮き彫りになっている。
三河湾の潮が引いた干潟に立つと、足元には湿った砂泥が広がり、時折、貝殻が擦れる音が聞こえる。遠くには知多半島と渥美半島が湾を抱くように横たわり、内海特有の穏やかな波が打ち寄せる。この静かな風景の底には、かつて日本有数のアサリと「大アサリ」の産地として知られた豊かな生態系が息づいているのだ。しかし、近年その漁獲量は大きく変動し、かつての隆盛は揺らいでいる。なぜ三河湾はこれほどまでに貝類が豊富だったのか、そして今、何が起きているのか。その問いは、この湾が持つ特異な環境と、人間との複雑な関わりの中に見えてくる。
三河湾におけるアサリ漁業の歴史は、古くから地域の暮らしと深く結びついていた。戦後の経済成長期を経て、1960年代から1980年代前半にかけて、日本全体のアサリ漁獲量は年間12万トンから16万トン前後で推移し、比較的安定していたが、その中でも三河湾は主要な産地として名を馳せるようになる。特に1990年代以降は、東京湾や有明海といった他の主要産地の衰退と入れ替わるように、伊勢湾とともに国内のアサリ供給の大部分を担うようになった。愛知県は2003年を除き、長らくアサリ漁獲量で全国1位を維持し、2013年には全国シェアの約69%を占めるまでに至ったのである。
この隆盛は、アサリだけでなく、地元で「大アサリ」と呼ばれるウチムラサキ貝にも当てはまる。正式名称はウチムラサキであり、アサリとは異なる種だが、三河湾では古くから名物料理として親しまれてきた。渥美半島や知多半島の沿岸部、あるいは篠島や佐久島といった湾内の離島では、焼き大アサリが旅館や民宿の定番料理であり、その濃厚な旨味は多くの人々を惹きつけてきた。
しかし、その道のりは常に平坦ではなかった。1970年代に入ると、港湾施設の建設や埋め立て、河川の人工化といった沿岸開発が進み、陸域からの汚濁物質の流入が増大した。これにより三河湾の水質は悪化し、恒常的に赤潮や苦潮が発生するようになる。これらの現象は、アサリを含む底生生物に大きな打撃を与え、時に大量死を招いた。この環境悪化に対し、国や県は1990年代から様々な対策を講じ始め、2005年頃からは苦潮によるアサリへの影響が薄らぐ兆しも見え始めたのだ。
三河湾がアサリや大アサリの豊かな漁場となった背景には、いくつかの地理的・生態学的な条件が重なり合っていた。まず、知多半島と渥美半島に囲まれた閉鎖性の高い内湾である点が挙げられる。湾の入り口が狭いため外海との水の交換が緩やかで、湾内に栄養塩類が滞留しやすい構造を持つ。
次に、広大な干潟と浅場が発達していることだ。平均水深が約9メートルと浅く、特に豊川河口に広がる六条潟は、毎年大量のアサリ稚貝が発生する「海のゆりかご」として重要な役割を担ってきた。この干潟は、河川水によって運ばれる砂泥と海水が混じり合う汽水域であり、アサリの生息に適した砂泥底を形成している。
そして、豊富な餌となる植物プランクトンの存在も大きい。豊川や矢作川といった主要な河川が湾に流れ込み、陸域から窒素やリンといった栄養塩類を供給する。これらの栄養塩類は植物プランクトンの増殖を促し、アサリの主要な餌となる。特に渥美沖では海水と淡水がバランス良く混じり合い、植物プランクトンが豊富に発生するため、アサリの身入りが良くなるとされている。また、三河湾のアサリは春と秋に年2回産卵期を迎えるため、天然の稚貝が継続的に供給されやすいことも、資源の豊かさを支える要因だった。
しかし、この「恵まれた環境」は、同時に危うさもはらんでいる。閉鎖性が高いゆえに、ひとたび環境の変化があれば、その影響は湾全体に及びやすいのだ。
三河湾のアサリ資源の変動は、国内の他の主要産地の状況と重ねて見ると、その特異性と普遍性が浮き彫りになる。かつてアサリ漁獲量の中心だったのは東京湾であった。1960年代には国内供給量の半分以上を占めるほどだったが、その後衰退の一途をたどり、2020年にはわずか58トンにまで激減した。同様に、1970年代後半から1980年代に隆盛を誇った熊本県を中心とする有明海や瀬戸内海も、その後は生産量が大幅に減少している。
これらの海域に共通して見られるアサリ資源減少の要因としては、沿岸開発による干潟の埋め立てや水質汚染、過剰な漁獲圧、そして近年では貧酸素水塊の発生や高水温、食害生物の増加などが挙げられる。三河湾も例外ではなく、かつては埋め立てや水質汚濁による影響を大きく受けた。
しかし、三河湾が他の産地と異なるのは、その閉鎖性と、それゆえに生じる「水質浄化のパラドックス」にある。東京湾や有明海が主に埋め立てや直接的な汚染による干潟の喪失で打撃を受けたのに対し、三河湾では近年、水質改善の努力が実を結び、窒素やリンといった栄養塩類の濃度が低下した。これは一見喜ばしいことのように思えるが、アサリの餌となる植物プランクトンも減少させてしまい、結果としてアサリの身入りが悪化し、生存率が低下するという事態を招いている。水産試験場の研究者からは、「海水がきれいになった結果、餌が少なくなったことも要因の一つ」という指摘も出ているのだ。
全国的にアサリ資源が減少する中で、北海道では比較的安定した漁獲量を維持している時期もあったが、三河湾の漁獲量減少は近年特に顕著であり、2024年には漁獲量で北海道に抜かれ、2位に転落した。これは、単なる汚染の問題だけでなく、内湾生態系における栄養循環の複雑さを示唆している。
近年、三河湾のアサリ漁獲量は危機的な状況にある。2013年には約16,000トンあった愛知県のアサリ漁獲量は、2017年には約1,600トンへと激減し、2024年には過去最低の1,100トンを記録した。この急激な減少は、前述の「栄養塩類不足」に加えて、高水温、台風による貧酸素水塊の発生、ツメタガイなどの食害生物の増加、さらには無許可採取といった複合的な要因が絡み合っていると指摘されている。
こうした状況に対し、漁業者や行政は様々な取り組みを模索している。伝統的に行われてきたのが、六条潟で発生した大量のアサリ稚貝を、他の漁場に移植放流して資源を増やすという方法だ。また、漁協は小さなアサリの採取を制限したり、操業日数や時間を定めたりすることで、過剰な漁獲を防ぐ資源管理を行っている。
新たな試みとしては、「垂下あさり」と呼ばれる養殖アサリの生産が挙げられる。これは、天然の稚貝を網カゴに入れ、海流が良く餌が豊富な海中に吊るして育てる方法である。カゴの中で育てるため砂をほとんど含まない状態で出荷でき、身入りも天然アサリより良いものが多いという。これは「獲る漁業」から「育てる漁業」への転換の一例だ。
行政も手をこまねいているわけではない。愛知県は「三河湾環境再生プロジェクト」を推進し、県民、NPO、市町村と連携して環境再生に取り組んでいる。さらに特筆すべきは、2026年4月に愛知県が三河湾の海洋水質環境基準を緩和することを決定した点である。これは、水質改善が進みすぎた結果、アサリの餌が不足しているという漁業関係者の声を受け、窒素やリンなどの栄養塩類の基準値を約2倍に緩和するという、全国初の試みだ。この決定は、環境保全と漁業生産の両立という、現代の沿岸域が直面する複雑な課題を象徴している。
三河湾のアサリと大アサリの物語は、単なる漁獲量の増減以上のものを語りかけてくる。それは、人間が自然に与える影響の複雑さと、その影響に対する認識の変遷である。かつては汚染源として削減すべき対象だった栄養塩類が、今やアサリの生育に必要な「餌」として、その供給量をどう管理するかが問われている。水質浄化という目標が、思わぬ形で生態系全体のバランスを揺るがし、漁業生産に影響を及ぼすという皮肉な結果を生んだ。
この状況は、自然環境の保全と利用の間に常に存在する緊張関係を示している。閉鎖性の高い内湾という三河湾の特性が、かつてはアサリの豊かさを育んだが、同時に環境変化の影響を増幅させる側面も持つ。六条潟のような広大な干潟が、アサリの生命線であることに変わりはないが、その干潟もまた、湾全体の栄養循環や水質の変化と無縁ではいられない。
三河湾で今、行われている水質基準の緩和や養殖技術の開発は、過去の経験を踏まえ、人間が自然との共生関係を再構築しようとする試みである。それは、ただ「きれいな海」を目指すだけでなく、「豊かな海」とは何かを問い直し、そのバランスを模索する長い道のりの一部なのだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。