2026/6/26
「安濃津」から「津」へ、伊勢湾の港町が城下町へ発展した経緯

三重の津の歴史について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
三重県津市の歴史を、古代の港「安濃津」から藤堂高虎による城下町整備、そして県都としての現代まで辿る。地理的利点と人々の営みが、この地の発展を形作った。
潮風が語る「津」という地名
三重県の中部に位置する津市に足を踏み入れると、まずその地名が持つ簡潔さに気づかされる。「津」。漢字一文字で表されるこの名は、古くから港を意味する言葉だ。特別な修飾語もなく、ただ「港」を冠するこの地が、一体どのような歴史を積み重ねてきたのか。伊勢湾に面し、穏やかな潮の香りが漂うこの町は、その名が示す通り、水運の要衝として栄えてきたことは想像に難くない。しかし、単なる港町に留まらず、県庁所在地として、また城下町として発展を遂げた背景には、どのような必然と偶発があったのだろうか。その問いを抱きながら、この地の歴史を紐解いていくことにする。
伊勢の玄関口から藤堂の城下へ
津の歴史は、古代にまで遡る。伊勢湾の奥深く、阿漕浦(あこぎがうら)と呼ばれる一帯は、古くから天然の良港として機能していた。奈良時代にはすでに、都と伊勢国を結ぶ重要な港として「安濃津(あのつ)」の名で知られ、伊勢神宮への参拝路「伊勢の道」の起点の一つでもあったという。平安時代には、神宮の物資輸送の拠点として、また対外貿易港としても栄え、その繁栄ぶりは『平家物語』にも「安濃津は伊勢の国の津なれば、日本の三津の一なり」と記されるほどであった。これは、博多津(福岡県)や堺津(大阪府)と並び称される日本有数の港であったことを示している。
中世に入ると、安濃津は度重なる戦乱に巻き込まれる。特に応仁の乱以降は、伊勢国を巡る攻防の舞台となり、港としての機能は維持されつつも、支配者が目まぐるしく変わる不安定な時代が続いた。安濃津城が築かれたのは、この戦国時代のことで、はじめは細野氏によって築かれ、その後、織田信長の南伊勢侵攻によって滝川氏が城主となった。 決定的な転換点となったのは、1580年代に織田信雄が大規模な改修を行ったことだろう。しかし、関ヶ原の戦いの前哨戦では、東軍に属した富田信高が守る津城が西軍の猛攻を受け、壮絶な籠城戦の末に落城、城下町もろとも灰燼に帰したという。
江戸時代に入り、1608年(慶長13年)に藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石の領主として入封すると、津は新たな歴史を刻み始める。高虎は、廃墟となった津城を近世城郭として再建し、堀を巡らせ、城下町を計画的に整備した。彼は、城の東側に伊勢湾に通じる「岩田川」を利用した外堀を設け、城下町を碁盤の目状に区画した。さらに、伊勢参宮街道の一部を町中に引き込み、宿場町としての機能も強化した。この高虎による都市整備は、単なる復興に留まらず、後の津の発展の礎を築くものであった。彼は、かつての安濃津の港としての利点を最大限に活かしつつ、防御拠点としての城、そして経済拠点としての城下町を一体的に作り上げたのだ。
港と街道、そして藩の意志
津が「日本の三津」とまで称された背景には、地理的な利点と、それを活かした人々の営みがあった。まず、伊勢湾の奥深く、波穏やかな阿漕浦に位置するという地の利は大きい。外洋に開かれた港とは異なり、内湾の奥は荒天時の避難港としても機能しやすく、大型船の停泊にも適していた。さらに、周辺の農産物や海産物を集積し、都へと送る中継基地としての役割も果たしていた。伊勢神宮への物資輸送という宗教的な需要も、港の活性化に大きく寄与したと言える。
江戸時代に入ると、この港の機能に加え、藤堂藩による計画的な都市整備が津の発展を加速させた。藤堂高虎は、築城の名手として知られ、津城も彼の設計思想が色濃く反映されている。彼は、城下町を単なる居住区ではなく、防御と経済活動を両立させるシステムとして捉えていた。城の周囲には武家屋敷、町人地、寺社地が明確に区画され、それぞれが機能的に配置された。特に注目すべきは、伊勢参宮街道を城下町の中に取り込んだ点だ。江戸時代にはお伊勢参りが庶民の間で大流行し、街道は多くの旅人で賑わった。津は、この参宮街道の主要な宿場町の一つとなり、旅籠や茶店、土産物屋が軒を連ね、商業活動が活発化した。
また、藤堂藩は津を藩の政治・経済の中心地と位置づけ、積極的に振興策を講じた。港の管理、物資の集散、そして藩の財政を支える商業の拠点として、津は藩主の強い意志によって整備され、発展していった。周辺の農村部からの人口流入も促され、城下町としての規模を拡大していったのだ。このように、津の発展は、古くからの港としての地の利、伊勢参宮街道という広域交通網との結節点としての役割、そして藤堂藩による明確な都市計画という三つの要因が複合的に作用した結果と言えるだろう。
他の城下町・港町との対比
津の歴史を考える上で、他の地域の城下町や港町と比較することは、その独自性を浮き彫りにする。例えば、同じ伊勢湾に面し、古くから海上交通の要衝であった桑名や、尾張の中心として栄えた名古屋といった都市と対比させてみよう。
桑名もまた、東海道の宿場町として、また揖斐川・長良川・木曽川の河口に位置する港町として発展した。「東海道の七里の渡し」に代表されるように、水陸交通の結節点としての性格は津と共通する。しかし、桑名が東海道の陸路と水路の結節点としての役割が強かったのに対し、津はより直接的に伊勢神宮への参拝客や物資輸送の拠点として機能した点が異なる。また、桑名藩は譜代大名である本多氏や松平氏が治め、幕府との関係性が深く、江戸の政治情勢に左右される側面も大きかった。
一方、名古屋は尾張徳川家の本拠地であり、規模においても経済力においても、津とは比較にならない巨大な城下町であった。名古屋城の築城と清須からの移転は、「都市の再編」であり、広大な平野に計画的に都市が建設された。津が既存の港町と城下町が融合し、その中で発展していったのに対し、名古屋はゼロから巨大な都市を創造したという点で、その成り立ちが大きく異なる。名古屋は、その圧倒的な経済力と、尾張徳川家という特別な存在によって、広大な後背地を支配し、一大消費地としての性格を強めた。
津の独自性は、これらと比較することで見えてくる。津は、名古屋のような巨大な経済圏を背景に持つわけでも、桑名のように東海道の要衝として幕府の交通政策に深く組み込まれたわけでもない。むしろ、伊勢神宮という宗教的な核と、藤堂藩という比較的独立性の高い大名による、独自の地域拠点として発展した点が特徴的だ。古くからの港としての機能と、藤堂高虎という稀代の都市プランナーの存在が重なり、伊勢湾の地理的条件を最大限に活かしながら、独自の城下町文化を形成していったと言える。幕府の意向よりも、藩の自立的な統治と地域経済の発展に重きを置いた結果、津は「日本の三津」という名誉を過去に持ちながらも、藩政期においては伊勢の地域拠点としての地位を確立していったのである。
いま、県都としての津に残るもの
明治維新後、津は大きな転換期を迎える。廃藩置県により津藩は廃止され、1872年(明治5年)には安濃津県、後に三重県の県庁が津に置かれることになった。これは、伊勢湾の中央部に位置し、かつてから地域の中心であった津の地理的優位性が評価された結果と言えるだろう。県庁所在地となったことで、津は行政の中心としての役割を担い、近代化の波の中で都市としての姿を大きく変えていく。かつての城下町は、行政機関や学校、商業施設が立ち並ぶ県都へと変貌を遂げた。
しかし、その中でも歴史の痕跡は随所に見て取れる。津城の跡地は、現在は城跡公園として整備され、わずかに残る石垣や堀が往時の面影を伝えている。公園内には藤堂高虎の銅像が建ち、津の礎を築いた人物への敬意が示されている。また、城下町の面影を残す路地や、伊勢参宮街道の一部であったとされる道筋には、歴史を感じさせる建物や老舗が点在している。特に、岩田川沿いの風景は、かつて港町として栄えた頃の雰囲気をかすかに残している。
現代の津市は、県都として行政機能が集積する一方で、大学や研究機関も立地し、教育・文化の中心としての顔も持つ。また、伊勢湾岸自動車道やJR、近鉄といった交通網が整備され、交通の要衝としての役割も継続している。しかし、中心市街地の活性化や、歴史的景観の保全と開発のバランスといった課題も抱えている。かつての「日本の三津」としての栄光や、藤堂藩の城下町としての歴史を、現代の都市づくりにどう活かしていくのか、津は今もその問いと向き合っているのだ。
「津」という名が示唆するもの
津の歴史をたどると、「津」という一文字の地名が持つ意味の深さに改めて気づかされる。それは単に「港」を指すだけでなく、古くから人や物資が行き交い、文化が交流する場所であったことを示唆している。伊勢神宮への参拝路の起点であり、日本の三津に数えられた古代。戦乱を経て、藤堂高虎によって計画的に再編され、城下町として新たな活力を得た近世。そして、県都として近代化の波を乗り越え、現代に至るまで地域の中心であり続ける姿。
この地の歴史は、常に外部との繋がりの中で形作られてきたと言える。海を通して都や他国と結びつき、街道を通して伊勢神宮や各地の参拝客と交流した。支配者が変わり、時代が移り変わっても、津は常に「結節点」としての役割を担い続けてきたのだ。その過程で、外からの影響を受け入れつつ、独自の文化と都市の姿を形成してきた。津の歴史は、特定の英雄や単一の産業によってのみ語られるものではなく、地理的条件、政治的意図、そして人々の営みが複雑に絡み合い、変化し続ける「流れ」の中にこそ本質がある。その流れの中で、「津」という名は、変わることなく、この地の本質を静かに示し続けている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 津の歴史・史跡|津市公式ウェブサイト-Official Website of Tsu Cityinfo.city.tsu.mie.jp
- 文化・歴史|津市公式ウェブサイト-Official Website of Tsu Cityinfo.city.tsu.mie.jp
- mie.lg.jppref.mie.lg.jp
- 三重県総合博物館MieMu みえむ - 津の時間。(津市観光協会)tsukanko.jp
- 三重県総合博物館(MieMu) | 展覧会スケジュール・アクセス・料金 | アイエム[インターネットミュージアム]museum.or.jp
- 三重大学 | 歴史mie-u.ac.jp
- 三重大学 - Wikipediaja.wikipedia.org
- 三重大学のあゆみ 三重大学出版会mpress.sakura.ne.jp