2026/6/5
両毛線の「両毛」とは上野国と下野国、古代毛野国の記憶

両毛線の両毛とは何を指すのか??
キュリオす
両毛線の「両毛」は、古代に存在した毛野国が上野国と下野国に分割されたことに由来する。近代の生糸・絹織物産業の発展が二つの国を結びつけ、鉄道建設時にこの名称が採用された。現代も地域を結ぶ象徴として機能している。
上州と下野。群馬と栃木。北関東の内陸部を東西に貫く一本の鉄路、両毛線は、その名の響きにどこか古めかしい響きを宿している。高崎を起点に小山へ至る約84キロメートルの道のり、車窓から見える風景は、都市近郊の住宅地から、広々とした田園、そしてかつて養蚕で栄えたノコギリ屋根の工場群へと移り変わる。しかし、多くの利用者は「両毛」という言葉が何を指すのか、深く意識することはないだろう。一体、この「両毛」という二文字は、何を意味し、どのような歴史を背負って現代にまで残ったのか。その問いは、単なる地名の由来を超え、古代日本の地域形成と、近代の産業構造が交錯する地点へと誘う。
「両毛」という言葉の起源を探るには、まず古代日本の地域区分にまで遡る必要がある。この地域一帯は、かつて「毛野国(けぬのくに、またはけのくに)」と呼ばれる広大な国であったとされている。毛野国は、古墳時代から飛鳥時代にかけて存在した有力な地方国家であり、その勢力範囲は現在の群馬県と栃木県のほぼ全域に及んでいた。しかし、この毛野国は7世紀後半、律令制の導入に伴う地方行政区画の再編の中で、二つの国に分割された。一つは「上毛野国(かみつけぬのくに)」、もう一つは「下毛野国(しもつけぬのくに)」である。この「上」と「下」は、都(畿内)からの距離を示すもので、都に近い方が「上」、遠い方が「下」とされた。現在の群馬県域が上毛野国、栃木県域が下毛野国に相当する。後に「野」の字が省略され、「上野国(こうずけのくに)」と「下野国(しもつけのくに)」となり、これが明治維新まで続くことになる。両毛線の「両毛」とは、この上野国と下野国、すなわち「二つの毛の国」を指すのだ。この分割は、単なる行政区分にとどまらず、後の地域の文化や経済、そして人々のアイデンティティ形成にまで影響を及ぼしていく。
毛野国の分割後も、上野と下野は地理的・文化的に密接な関係を保ち続けた。特に、近代に入ってからの産業の発展が、この二つの「毛」を結びつける決定的な要因となる。両毛線が建設された明治時代は、日本の近代化を支える主要産業として生糸と絹織物が隆盛を極めた時期にあたる。上野国、特に群馬県域は古くから養蚕が盛んで、富岡製糸場に代表されるように、日本の製糸業の中心地であった。一方、下野国、特に栃木県域も養蚕が盛んであり、また足利などの地域では絹織物業が発展していた。こうした背景から、生糸や絹製品の輸送、そして製糸工場で働く人々や物資の移動を効率化するため、両地域を結ぶ鉄道の建設が強く望まれたのである。両毛鉄道として1888年(明治21年)に高崎・前橋間が開業し、その後、1889年(明治22年)には小山まで全線が開通した。この鉄道は、まさに「両毛」の地を縫うように走り、互いに補完し合う産業構造を強固に結びつけたのだ。単に二つの地域を繋ぐだけでなく、古代からの連続性を象徴する「両毛」の名を冠することで、地域の一体感を醸成する役割も果たしたと言えるだろう。
日本の鉄道名や地域名には、しばしば古代の国名や地理的特徴が反映されている。例えば、東北本線や九州新幹線のように、現代の広域地方名がそのまま使われる例は多い。また、「山陰」や「山陽」のように、地理的な位置関係を示す言葉が定着しているケースもある。しかし、「両毛」の場合、単に「上野と下野」とせず、あえて「毛」という一文字を共通項として選び取った点に、この地域の特殊性が見て取れる。これは、上野と下野がかつて「毛野国」という一つのまとまりであったという古代の記憶が、人々の意識の中に強く残っていたことの証左ではないだろうか。例えば、近畿地方の「畿内」や、中国地方の「山陰」「山陽」は、律令制下での区分がそのまま地域名として残った例だが、「両毛」は、分割された二つの国が、共通のルーツを示す一文字によって再び結びつけられたという点で、やや異なる性質を持つ。さらに、多くの地域名が現代の県名に置き換わっていく中で、「両毛」という呼称が鉄道名として、また地域を指す言葉として生き残ったことは、その歴史的連続性と地域住民の意識に深く根差した一体感を示すものと言える。
現在の両毛線が貫く地域は、多様な顔を持つ。高崎市や前橋市は群馬県の県庁所在地であり、新幹線も停車する交通の要衝である。一方、桐生市や足利市は、かつて繊維産業で栄えた歴史的景観を今に残し、ノコギリ屋根の工場群や古い町並みが観光資源として注目されている。小山市は栃木県南部の中心都市として、東京圏へのアクセスも良く、ベッドタウンとしての機能も担う。両毛線は、通勤・通学の足として、また地域間の移動手段として、今もなお多くの人々に利用されている。かつて生糸輸送の大動脈であった役割は薄れたものの、自動車産業や電機産業の工場が点在し、物流の要としての機能は形を変えて存続している。一方で、沿線の地方都市では、人口減少や高齢化といった課題も抱えている。そうした中で、両毛線は単なる移動手段に留まらず、地域を結びつける象徴的な存在として、また観光客を誘致する重要なインフラとして、新たな価値が見出されつつある。例えば、足利フラワーパークへのアクセス列車や、SL牽引の臨時列車運行など、観光誘致への取り組みも積極的に行われている。
「両毛」という二文字が現代に伝えるのは、単なる二つの県を指す地理的呼称ではない。それは、遠く古代に存在した「毛野国」という、強大な地方国家の記憶が、律令制による分割、そして近代の産業発展という幾重もの歴史の層をくぐり抜け、現代にまでその痕跡を残している、という事実である。上野と下野は、行政的には分断され、それぞれが異なる発展を遂げたが、根底には同じ「毛」のルーツを持つという意識が、地域の人々の中に潜在的に存在していたのかもしれない。鉄道という近代のインフラに、古代の歴史的な連続性を象徴する名前が冠されたことは、この地域の歴史的深層を静かに物語っている。両毛線に乗って車窓を眺める時、その風景の奥に、かつて一つの国であった「毛野」の広がりと、それが二つに分かたれ、再び「両毛」として結びつけられた歴史の重層性を感じ取ることができるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。