2026/6/4
江ノ島の地形はなぜ特徴的なのか?隆起と浸食の歴史を辿る

江ノ島の成り立ちについて知りたい。地形的な。
キュリオす
江ノ島は、約8万年前に海上に姿を現して以来、地殻変動による隆起と海の浸食、そして砂の堆積によって現在の地形が形成された。関東大震災による隆起が陸繋島としての姿を決定づけた。
相模湾に突き出す江の島は、その姿を眺めるたびに、なぜこれほどまでに特徴的な地形をしているのかという疑問を抱かせる。陸から橋で渡れる陸繋島でありながら、周囲は切り立った海食崖に囲まれ、島内には波が削り出した洞窟が深く口を開けている。観光地として多くの人が訪れるこの島の風景は、ただ美しいだけでなく、地球の活動と海の営みが織りなす、長い歴史の痕跡をそこかしこに残しているのだ。
江の島の地質学的な歴史は、約1500万年前の中新世にまで遡る。この時期、現在の葉山層群大山層に属する凝灰質の砂岩が深海に堆積した。この地層は、フィリピン海プレートが日本列島の下に沈み込む際に形成された付加体の一部であると考えられている。江の島の主要部を構成するこの葉山層群は、複雑な地質構造を持ち、断層が多く発達している。その後、約1200万年前から900万年前の三浦層群(逗子層や池子層)の泥岩や凝灰岩も一部に分布している。これらの地層が形成された後、江の島が海上に姿を現し始めたのは、約7万年から8万年前とされている。地殻変動による断続的な隆起が、長い時間をかけて海底の堆積物を押し上げ、現在の島の原型を形作っていった。
島の南西部に位置する「岩屋」は、この地殻変動と波の浸食が作り出した海食洞窟である。古くは弘法大師や日蓮上人が修行したと伝えられ、江島神社の信仰発祥の地ともされるこの洞窟の形成過程には、二度の海食作用の時期があったと推定されている。約6000年前の縄文海進期と、その後の海面停滞期に波の浸食が進行し、断層線などの弱い部分に沿って岩盤が削られていったのだ。
江の島が現在の陸繋島としての姿になった背景には、地殻変動による隆起と、沿岸流による砂の堆積という二つの要因が大きく関わっている。江の島は、もともとは独立した島であったが、相模川や境川(片瀬川)から供給された砂礫が沿岸流によって運ばれ、島の対岸との間に砂州を形成していった。この砂州は「トンボロ」と呼ばれ、かつては干潮時にのみ現れる「海の道」であった。
このトンボロが常時陸と繋がるようになった大きな転換点は、1923年(大正12年)に発生した関東大震災である。この大地震によって、相模湾沿岸の小田原から房総半島にかけて最大約2メートルもの地盤隆起が起こり、江の島付近でも約1メートル隆起したことが記録されている。 地震前の海面下にあった波食台が海面上に現れ、これまで潮の満ち引きによって出現していた砂州が、この隆起によって恒常的に陸と繋がるようになったのだ。 鎌倉時代には『吾妻鏡』にも、江の島と片瀬の間が隆起して徒歩で渡れるようになったという記述があり、過去にも同様の現象が繰り返されてきた可能性を示唆している。
江の島のように地殻変動による隆起と波浪による浸食が複合的に作用して形成された地形は、日本各地に存在する。例えば、房総半島の南端に位置する野島崎周辺も、関東大震災による隆起が顕著に見られる地域である。ここでは、地震によって海食台が隆起し、かつての海底が陸化したことで、多様な海岸地形が観察できる。しかし、江の島の特徴は、その隆起がトンボロという砂州の形成と結びつき、島が陸と繋がった点にある。
また、陸繋島という点では、北海道の函館山もよく知られた例だ。函館山は、火山活動によって形成された島が、函館湾からの砂の堆積によって陸と完全に繋がった地形である。江の島が主に地殻変動による隆起を基盤とし、そこに砂州が形成されたのに対し、函館山は火山島という異なる起源を持ちながら、同様に砂州によって陸と結びついたという点で共通性が見られる。ただし、江の島のトンボロは潮位や波浪によってその姿を変えることがあり、完全に固定された陸地とは異なる動的な側面を持っている。 江の島の地層が約1500万年前の深海堆積物であるのに対し、函館山は比較的新しい火山岩で構成されるなど、その成り立ちには大きな違いがある。 これらの比較から、地殻変動、海面変動、堆積作用という普遍的な地球の営みが、それぞれの地域の地質条件や環境に応じて、多様な「陸と島の繋がり方」を生み出していることが見て取れる。
現代の江の島は、陸繋島として、片瀬海岸から架かる江の島弁天橋と江の島大橋によって陸と完全に結ばれている。 観光客は橋を渡って気軽に島へアクセスできるが、かつての「海の道」としてのトンボロは、現在でも大潮の干潮時に、橋の東側でその姿を現すことがある。これは、江の島が今もなお、海の営みの中で地形を変化させ続けている証左ともいえるだろう。
島の南側には、波の浸食によって形成された海食台や海食崖が広がり、訪れる人々は、切り立った岩肌や打ち寄せる波の力強い景観を間近に感じることができる。 1964年の東京オリンピックではヨット競技の会場となり、島の東半分が埋め立てられ、聖天島のようなかつて独立していた小島が江の島と一体化した歴史もある。 これは、自然の地形形成だけでなく、人間の活動が島の姿に大きな影響を与えてきたことを示している。
江の島の地形を紐解くと、それは単なる静的な島ではなく、地殻変動と海の浸食が絶えず作用し、その姿を変え続けてきた動的な存在であることがわかる。約8万年前に海上に姿を現して以来、断続的な隆起が島の高さを増し、特に大正関東大震災のような巨大地震がその地形を大きく変える契機となった。一方で、波の浸食は海食崖や海食洞を生み出し、隆起した地盤を削り続けている。
そして、河川から運ばれる土砂が沿岸流によって堆積し、トンボロという形で陸と島を結びつける。この隆起と浸食、そして堆積という一連のプロセスは、地球の表面で常に繰り返されている現象であり、江の島はその縮図ともいえるだろう。島を歩き、岩屋の洞窟に足を踏み入れ、あるいは潮が引いた砂州を眺める時、私たちは何百万年もの時間をかけて形作られてきた地球の息吹と、その変化の途上にある現在の島の姿を同時に見ることになる。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。