2026/6/5
栃木のイチゴ栽培、歴史と技術の変遷

栃木といえばイチゴだ。栃木のイチゴ栽培の歴史と現状について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
栃木県が長年「いちご王国」として生産量日本一を維持する背景には、戦後の農業転換期における先駆者の挑戦、高冷地育苗や品種改良といった技術革新、そして気候条件の活用がある。現在も多様な品種展開とスマート農業で進化を続けている。
栃木県を旅すると、冬から春にかけて、ビニールハウスが連なる広大な風景が目に飛び込んでくる。そのハウスの中には、規則正しく並んだ畝に、鮮やかな赤色の果実が実っている。イチゴだ。栃木といえばイチゴ、その認識は多くの人にとって共通のものであろう。実際、栃木県は長年にわたりイチゴの収穫量、作付面積、そして産出額で全国一位を維持している「いちご王国」だ。しかし、この「当たり前」の背後には、どのような歴史と工夫が隠されているのだろうか。なぜ栃木の地で、これほどまでにイチゴ栽培が発展し、持続してきたのか。その問いは、単なる農産物の話に留まらない、土地と人々の営みの物語へと誘う。
栃木県におけるイチゴ栽培が本格的に始まったのは、戦後の昭和30年代に入ってからのことである。それ以前、日本のイチゴ栽培は江戸時代末期にオランダから伝来し、明治期にアメリカから導入された品種が福羽逸人によって改良され、「福羽」という国内初の品種が誕生したことで普及が進んだとされる。しかし、当時の主要産地は温暖な静岡県や神奈川県であり、栃木県での作付面積は昭和9年時点でわずか8ヘクタールに過ぎなかったという記録もある。
転機となったのは、戦後の農業政策の転換期だった。麦類の価格統制が廃止され、大麻の価格が下落したことを背景に、農家は水稲の裏作として高収益が期待できる作物としてイチゴに着目し始めたのだ。この時期、足利市御厨町(現・足利市)の農業技術研究家である仁井田一郎氏が、減反政策で収益が上がらない農家の現状を憂い、水稲の裏作となる作物としてイチゴ栽培に挑んだことは、栃木のイチゴ史において特筆すべき出来事である。仁井田氏は、温暖な他県の栽培地へ視察に赴き、試行錯誤を重ねた末、昭和30年代には東京市場への出荷を実現したという。
初期のイチゴ栽培は、5月から6月が収穫時期の露地栽培が主流であった。しかし、仁井田氏や田沼町(現・佐野市)の柿沼兵次氏らによる「高冷地育苗」、すなわち夏の間、涼しい日光戦場ヶ原などの高地で苗を育てる「山上げ」と呼ばれる低温処理技術の試行が始まったことで、状況は大きく変わっていく。これにより、収穫時期は従来の5〜6月から2月へと大幅に早まり、イチゴの収益性は飛躍的に向上したのである。昭和40年代後半には、イチゴの収穫量が全国一位となり、この地位を現在まで維持する礎が築かれたと言える。
さらに昭和50年代に入ると、病害に汚染された苗の蔓延を防ぐため、県内10か所に「無病苗増殖基地」が整備され、良質な苗の一元的な安定供給体制が確立された。この時期には、現在の促成栽培の基礎となる育苗技術が確立され、地下水を利用した省エネルギー保温技術である「ウォーターカーテン」も開発・普及し、年内出荷への道が開かれていく。昭和60年(1985年)には、栃木県が独自に開発した品種「女峰」が登場し、クリスマス時期の出荷が可能になったことで、イチゴは年間を通して楽しめる果物としての地位を確立していくことになる。この「女峰」の成功が、後の「とちおとめ」へと繋がる品種開発の大きな一歩となったのである.
栃木県が「いちご王国」と呼ばれるまでに発展し、半世紀以上にわたって生産量日本一を維持している背景には、複数の要因が複雑に絡み合っている。大きくは、恵まれた自然条件、先端的な栽培技術の確立、そして生産者、農業団体、行政が一丸となった強力な連携体制の三つが挙げられるだろう.
まず、イチゴ栽培に適した気候条件が挙げられる。栃木県は内陸型気候で、夏と冬、そして昼と夜の寒暖差が大きいという特徴がある。特に冬期の日照時間が全国平均を大きく上回る587.5時間と全国3位の長さであり、これはイチゴの光合成を促進し、果実の糖度を高める上で有利に働く. 厳寒期でも日中に豊富な日射を受けるハウス内は30℃近くまで昇温し、夜間は放射冷却で外気温が急激に低下するものの、ウォーターカーテンなどの保温技術により、この昼夜の温度差がイチゴの生育や果実肥大に良い影響を与えていると考えられている. また、平坦で肥沃な大地と、日光や那須連山を源とする豊富な水資源も、安定した栽培を支える基盤となっている.
次に、長年にわたる栽培技術の進化と品種改良へのたゆまぬ努力である. 栃木県では、昭和44年(1969年)に当時の農業試験場佐野分場でイチゴの育種事業が開始されて以来、50年以上にわたり品種開発が続けられてきた。その成果として、昭和60年(1985年)に「女峰」が誕生し、平成8年(1996年)には、女峰の良さを受け継ぎつつ、さらに大粒で甘みが強い「とちおとめ」が開発された. 「とちおとめ」は瞬く間に全国的な人気品種となり、国内で最も多く栽培されるイチゴの約3割を占めるまでになったという. さらに、近年では大粒で贈答用にも適した「スカイベリー」(2011年品種登録)、酸味が少なく甘さが際立つハート型の「とちあいか」(2018年誕生)、観光イチゴ園向けの「とちひめ」、夏秋期に収穫できる「なつおとめ」、白い果実の「ミルキーベリー」など、多様なニーズに応えるオリジナル品種が次々と生み出されている. これらの品種開発を支えているのは、全国で唯一のイチゴ専門研究機関である「栃木県農業総合研究センターいちご研究所」であり、新品種の育成だけでなく、栽培技術や消費動向の調査・分析も行っている. ハウス栽培においては、土耕栽培が中心であり、高畝にすることで日射を効率的に受ける工夫がされている. また、蓄熱式環境制御システムを用いた省エネルギー栽培技術の開発も進められており、ヒートポンプの活用や炭酸ガス施用により、収量増加と光熱費削減を両立させる試みも行われている.
そして、行政と農業団体が連携した強力な支援体制も欠かせない。栃木県は「いちご王国・栃木」を宣言し、積極的なプロモーション活動を展開している. また、新規就農者への手厚い研修制度や支援体制も整備されており、令和4年度の新規自営就農者のうち約3割がイチゴ栽培を志向するというデータもある. 大消費地である首都圏に近いという地理的優位性も大きく、新鮮なイチゴを迅速に市場に届けられる点は、他の産地にはない強みとなっている. 輸送コストを抑えられるだけでなく、市場のニーズに合わせた出荷が可能になることで、農家の収益安定にも貢献しているのだ.
全国のイチゴ産地を見ると、それぞれが気候、歴史、品種開発、流通戦略において独自の強みを持っていることがわかる。栃木県が長年「いちご王国」の地位を保ち続ける中で、他の主要産地との比較から、その戦略の独自性や普遍性が見えてくるだろう。
例えば、福岡県は「あまおう」という全国的に有名なブランドイチゴを擁し、収穫量で栃木県に次ぐ全国2位の座にある. 「あまおう」は大粒で甘みが強く、高級イチゴとしてのブランド戦略を確立している点が特徴だ. また、熊本県は「ゆうべに」や「恋みのり」といった品種で知られ、愛知県は「章姫」や「紅ほっぺ」などの他県開発品種も多く栽培している. これらの九州や東海地方の産地は、温暖な気候条件がイチゴ栽培に適しているという共通点を持つ. 冬期の最低気温が高いことは、厳寒期の栽培管理において有利に働く場合があるだろう.
一方で、栃木県は「とちおとめ」に代表されるように、大粒で甘みが強く、かつ収量性の高い品種を主力とし、「安く大量に出荷する」戦略を採ってきた側面がある. しかし、これは単に数をこなすという話ではない。冬の日照時間の長さと昼夜の寒暖差という気候的優位性を最大限に活かし、効率的なハウス栽培技術と、品種改良によって収量性と品質を両立させてきた結果だ. 「とちおとめ」が市場を席巻する中で、福岡の「あまおう」など、より大粒で高単価なイチゴが台頭してきた時期には、栃木県も「スカイベリー」のような贈答用高級イチゴの開発に注力し、多様な市場ニーズに応える戦略へと転換している.
また、他の産地も首都圏への近接性や、冬の晴天日の多さ、平坦な農地の広さといった共通の利点を活かしている。例えば、茨城県や千葉県も首都圏に近い利点を持ち、冬の晴天日が多いという共通の気候条件を持つ. しかし、栃木県が際立つのは、それらの条件に加えて、「いちご研究所」という全国唯一の専門研究機関を設置し、半世紀以上にわたる育種研究を継続的に行ってきた点だろう. この研究機関は、単に品種を開発するだけでなく、栽培技術の改善、病害対策、さらには消費動向の調査分析まで一貫して行い、産地全体の競争力を高める役割を担っている.
さらに、栃木県では「苗の更新を義務付けている」という取り組みも特徴的である. 毎年、県が指定する苗に更新することで、収量の低下や病気の発生を防ぎ、安定した高品質なイチゴ生産を維持しているのだ. これは、個々の農家の努力だけでなく、産地全体としての品質管理への意識の高さを示すものであり、結果として「いちご王国」としてのブランド力を強化している要因の一つと言えるだろう。
<h2>「いちご王国」の現在地:多様化と持続可能性への挑戦</h2>現在、栃木県は「とちおとめ」を主力としつつも、多様な品種を展開している。市場出荷向けの「とちおとめ」に加え、観光イチゴ園でしか味わえない「とちひめ」、ケーキなどの業務用需要に応える夏秋イチゴ「なつおとめ」、そして大粒で贈答用として人気の「スカイベリー」、さらに近年では酸味が少なく甘さが際立つ「とちあいか」、白い果実の「ミルキーベリー」など、用途や需要に応じた豊富なラインナップを誇っている. 特に「とちあいか」は、農家にとっての栽培のしやすさと、甘さの際立つ食味の良さから、現在の県内作付面積では「とちおとめ」を抜いて約6割を占める主力品種に成長している. このように、消費者の多様なニーズに応える品種戦略は、「いちご王国」の柔軟性を示していると言える。
栽培技術においても、進化は続いている。多くの農家が土耕栽培を基本としつつも、一部では高設栽培も導入され始めている. 高設栽培は、収穫作業時の身体的負担を軽減し、作業効率の向上に貢献するとされる. また、栃木県農業総合研究センターいちご研究所では、AIを活用した「とちあいか」の生産システム開発に向けたデータ収集や、蓄熱式環境制御システムを用いた省エネルギー栽培技術の研究など、スマート農業の推進にも力を入れている. これらの取り組みは、生産性の向上だけでなく、持続可能な農業の実現を目指すものだ。
しかし、現代の農業が抱える課題は栃木県とて例外ではない。農業就業人口の減少や高齢化は全国的な傾向であり、栃木県でも販売農家戸数や農業就業人口は減少傾向にある. 一方で、経営規模5ヘクタール以上の農家数や販売額500万円以上の農家数の割合が増加するなど、経営の大規模化が進んでいる実態も指摘されている. 新規就農者への手厚い支援や研修制度は整備されているものの、後継者育成は依然として重要な課題である.
観光の側面では、栃木県内の多くの観光イチゴ園が、新型コロナウイルス感染症の影響で一時的に来園者が半減した時期もあった. しかし、感染症対策の徹底や、地域観光業との連携強化により、V字回復に向けた取り組みが進められている. 観光イチゴ園は、消費者と生産者が直接触れ合う場であり、「いちご王国」の魅力を発信する重要な拠点となっている。
<h2>足元の土から未来へ紡ぐ「いちご王国」の物語</h2>栃木県のイチゴ栽培の歴史と現状を辿ると、単なる農作物の生産地という枠を超えた、土地と人々の絶え間ない試行錯誤と適応の物語が見えてくる。戦後の混乱期に、水稲の裏作としてイチゴに着目した先駆者たちの眼差しは、当時の常識にとらわれないものであった。温暖な地域が適地とされていたイチゴを、内陸性の気候を持つ栃木の地で根付かせようとしたその挑戦は、まさに「ないものねだり」から始まったと言えるだろう。
しかし、その「ないものねだり」を可能にしたのは、冬の日照時間の長さと昼夜の寒暖差という、この土地固有の自然条件を深く理解し、それを最大限に活かす技術開発への執念であった。高冷地育苗やウォーターカーテンといった技術、そして「女峰」「とちおとめ」「スカイベリー」「とちあいか」と続く品種改良の系譜は、自然の恵みをただ享受するだけでなく、それを人間の知恵と努力で最適化し、さらに新たな価値を創造してきた証左である。全国で唯一のいちご研究所の存在は、この持続的な技術革新を組織的に支える基盤となっている。
現代において、栃木のイチゴ栽培は、単一品種に頼ることなく、多様な市場ニーズに応える多品種戦略へと移行している。これは、変化する消費者の嗜好や流通環境に柔軟に対応しようとする姿勢の表れだ。同時に、新規就農者への支援やスマート農業の導入は、未来を見据えた持続可能性への投資であり、半世紀以上にわたる「いちご王国」の歴史が、単なる過去の栄光ではなく、今もなお進化し続ける現在進行形の物語であることを示している。足元の肥沃な土と、空から降り注ぐ陽光、そしてそこに立つ人々の不断の努力が、これからも栃木の「いちご王国」を紡いでいくのだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。