2026/6/27
工業都市・四日市に息づく萬古焼、なが餅、とんてきの秘密

四日市の名物や銘菓について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
四日市の名物や銘菓は、良質な陶土や清らかな水といった自然の恵み、東海道の宿場町としての歴史的背景、そして人々のたゆまぬ努力によって育まれてきた。萬古焼、なが餅、大矢知麺、とんてきなど、その独自の進化を辿る。
工業都市に息づく、土と小麦の物語
四日市という名を耳にすれば、多くの人がまず広大なコンビナート群を連想するだろう。しかし、その工業地帯の合間、あるいはその手前から、この土地ならではの品々が静かに息づいている。伊勢湾に面し、東海道の要衝として栄えたこの地には、土の恵みと人の手が紡ぎ出した、独自の食と工芸の文化が深く根付いているのだ。なぜ、これほどまでに多様な名物や銘菓が、この工業都市の片隅で守り継がれてきたのか。その問いは、四日市のもう一つの顔を浮き彫りにする。
東海道の足跡と土の記憶
四日市の名物を語る上で、まず触れるべきは「萬古焼」だろう。その歴史は江戸時代中期、桑名の豪商・沼波弄山(ぬなみろうざん)が、元文年間(1736-1741年)に現在の朝日町に窯を開いたことに始まる。弄山は、型にとらわれない自由な発想で、当時としては珍しい施釉陶器(せゆうとうき)や磁器の技術を取り入れ、独自の「萬古焼」を確立した。彼の作品には「萬古」または「萬古不易」の印が押され、「いつの世までも栄え続ける優れた焼き物」という願いが込められていたという。しかし、弄山の死後、一時的に途絶えかけた萬古焼は、幕末から明治にかけて、森有節(もりゆうせつ)や二代目の沼波弄山によって再興される。特に有節は、輸出向けの精巧な陶器や、独特の彩色を施した「有節萬古」と呼ばれる技法を確立し、その名を国内外に広めた。明治以降は、産業構造の変化とともに、現在の急須や土鍋といった日用品が主軸となり、昭和54年には国の伝統的工芸品に指定されている。
一方、食の面では、東海道の宿場町としての顔が色濃く反映されている。その代表格が「なが餅」である。なが餅の歴史は古く、室町時代にまで遡るとも言われ、織田信長が伊勢平定の際に食したという逸話も残る。当時のなが餅は、餅と餡を薄く伸ばして焼いた素朴な菓子であったと考えられている。 四日市宿は、東海道五十三次の三十四番目の宿場であり、旅人にとっての休息の地であった。長旅の疲れを癒やす甘味として、なが餅は定着していったのだ。江戸時代には、現在の「笹井屋」や「太白永餅」といった老舗が創業し、その製法と味を守り続けてきた。 このように、四日市の名物の多くは、弄山の進取の精神や東海道という物流の幹線がもたらした需要といった、明確な歴史的背景の上に成り立っているのである。
風土が育む、技と味の理由
四日市の名物がこの地で発展した背景には、地理的条件や自然の恵み、そして地域特有の文化が複雑に絡み合っている。萬古焼がこの地に根付いたのは、まず良質な陶土が豊富に産出されたことが大きい。特に、鉄分を多く含む「赤土」は、急須や土鍋に適した強度と耐熱性を持つ。さらに、伊勢湾に面した四日市は、古くから海上交通の要衝であり、製品の運搬や原材料の調達に有利な立地であった。弄山が桑名で萬古焼を始めた後、四日市へと産地が移った背景には、より大規模な生産に適した土地や、燃料となる木材の確保が容易であったことも指摘されている。 明治以降、陶器産業が近代化する中で、四日市は機械化による大量生産に適応し、全国有数の陶磁器産地へと成長していった。特に、ペタライトという鉱物を用いた耐熱陶器の開発は、萬古焼の土鍋を全国に普及させる決定打となった。
食の分野では、「大矢知(おおやち)麺」がその代表的な例だ。四日市市大矢知地区は、江戸時代から手延べ麺の産地として知られてきた。この地で麺づくりが盛んになった要因は、鈴鹿山脈から流れ出る清らかな伏流水に恵まれていたこと、そして冬場の冷たく乾燥した気候が、麺の乾燥に適していたことが挙げられる。 また、近隣で良質な小麦が栽培されていたことも、麺産業の発展を後押しした。手延べ麺は、小麦粉を練り、油を塗って細く引き延ばすという根気のいる作業を繰り返すことで、独特のコシと滑らかな舌触りが生まれる。この伝統的な製法は、地域の職人たちによって代々受け継がれてきた。
銘菓「なが餅」も、その立地が理由である。東海道の宿場町として、旅人の需要に応える形で発展したなが餅は、日持ちが良く、持ち運びしやすい形状であったことが重宝された。餅と餡というシンプルな素材ゆえに、それぞれの素材の質が味を左右する。伊勢平野で収穫される良質なもち米と、北海道産の小豆を用いることで、素朴ながらも洗練された味わいを保ってきた。 そして、もう一つ四日市の名物として外せないのが「四日市とんてき」である。これは戦後、四日市市内の飲食店で考案された比較的新しいご当地グルメだが、分厚い豚肉をにんにくと共に特製の濃いタレで炒め、パンチの効いた味付けに仕上げるという特徴がある。 これは、高度経済成長期の四日市の産業を支えた労働者たちの、スタミナ食としての需要に応える形で生まれたという側面も指摘されている。 各地の名物が、その土地の風土や歴史、そしてそこで暮らす人々の営みと深く結びついていることの証左と言えるだろう。
他地域の「名物」との対比から見えてくるもの
四日市の名物や銘菓が持つ独自性は、他地域の類似品と比較することでより明確になる。例えば、萬古焼の土鍋は、伊賀焼の土鍋と並び称されることが多いが、その特性には違いが見られる。伊賀焼は、多孔質の粗い土で作られ、遠赤外線効果に優れることで知られる。 これに対し、萬古焼の土鍋は、ペタライトを配合することで高い耐熱衝撃性を持ち、直火や空焚きにも強いという特徴がある。 この耐熱性の高さは、現代のキッチン環境において、より汎用性の高い調理器具としての地位を確立する要因となった。また、萬古焼の急須は、常滑焼の急須と比較される。常滑焼は朱泥の無釉焼締が特徴で、お茶の渋みを吸着し、まろやかにすると言われる。 一方、萬古焼の急須は、紫泥(しでい)と呼ばれる鉄分の多い土を使い、使い込むほどに艶が増す独特の風合いを持つ。また、茶葉が詰まりにくいように工夫された「網」の構造にも定評があるなど、それぞれが異なる茶文化のニーズに応えてきたことがわかる。
食の分野では、大矢知麺を手延べ麺の産地として捉えた場合、播州素麺(兵庫県)や小豆島素麺(香川県)といった全国的な産地との比較が興味深い。播州素麺は、揖保川の清流と小麦の産地という条件のもと、江戸時代から発展してきた。 小豆島素麺は、瀬戸内海の温暖な気候とごま油を用いた独特の製法が特徴である。 大矢知麺は、これらの産地と同様に清らかな水と乾燥に適した気候という共通項を持つ一方で、その製法には地域ごとの微妙な違いが見られる。特に、大矢知麺は太めの麺が多く、強いコシと滑らかな喉ごしが特徴とされ、ざるうどんや煮込みうどんとしても食されるなど、素麺という枠にとどまらない多様な食され方をしてきた点に独自性がある。
また、なが餅のような薄焼きの餅菓子は、東海道沿いの他の宿場町にも見られる。例えば、関宿の「関の戸」や、赤福餅で有名な伊勢の餅菓子なども、旅の土産として発展した歴史を持つ。これらの菓子は、いずれも餅と餡を基本としながらも、形状や製法、使用する素材に地域ごとの工夫が見られる。なが餅の細長く薄い形状は、他の餅菓子と比較しても特異であり、携帯性と食べやすさを追求した結果と言えるだろう。これらの比較から、四日市の名物は、その土地の自然条件、歴史的背景、そして人々の生活様式に深く根ざしながら、他地域の優れた産品とは異なる独自の進化を遂げてきたことが浮かび上がる。
現代を生きる、土と小麦の風景
現在の四日市では、これらの名物がどのように受け継がれ、どのような姿を見せているのだろうか。萬古焼は、今も四日市市の地場産業として重要な位置を占めている。市内の窯元では、伝統的な急須や土鍋の製造が続く一方で、現代のライフスタイルに合わせた新しいデザインの器や、アロマポット、コーヒー器具といった多様な製品開発も進められている。 若手の陶芸家たちが伝統技術を学びつつ、独自の感性で新たな萬古焼の可能性を追求する動きも見られる。四日市市内の「ばんこの里会館」では、萬古焼の歴史や製造工程が紹介され、実際に製品を購入できるほか、陶芸体験も可能だ。 これは、単なる物販に留まらず、萬古焼の文化そのものを体験として提供しようとする現代的な試みと言える。
大矢知麺の生産も、依然として地域の重要な産業である。製麺所では、伝統的な手延べ製法を守りながらも、衛生管理や品質向上に努め、スーパーマーケットやオンラインストアを通じて全国に販路を広げている。 夏場には冷たいざるうどんとして、冬場には温かい煮込みうどんとして、一年を通して食卓に並ぶ。地元では、様々な飲食店で大矢知麺を使ったメニューが提供されており、その多様な食べ方を知ることができる。
なが餅は、笹井屋や太白永餅といった老舗が、今も変わらぬ製法で製造・販売を続けている。 四日市駅周辺や高速道路のサービスエリアなどでも手軽に購入でき、地元の人々にとっては日常の菓子であり、観光客にとっては定番の土産物となっている。伝統の味を守りつつ、時代の変化に合わせてパッケージデザインを工夫したり、限定品を販売したりするなど、現代の消費者のニーズに応えようとする努力も怠らない。そして、四日市とんてきは、「四日市とんてき協会」が発足し、B級グルメとして地域振興の目玉となっている。 市内の多くの飲食店で提供され、それぞれが独自の味付けや調理法を競い合っている。四日市の街を歩けば、萬古焼の窯元の煙突や、製麺所の軒先に干された麺、老舗の菓子店の暖簾、そしてとんてきを出す飲食店の活気ある声といった、それぞれの名物が織りなす現代の風景に出会うことができるだろう。
産業の影に宿る、日常の確かさ
四日市の名物や銘菓を巡る旅は、工業都市という一面的なイメージの裏側に、豊かな自然の恵みと、それらを活かす人々のたゆまぬ努力、そして歴史の中で培われた知恵が息づいていることを教えてくれる。萬古焼の耐熱性が、現代の食卓に欠かせない土鍋として定着したように、また大矢知麺が清らかな水と気候の恩恵を受け、手延べの技を守り続けてきたように、この地の名物は、決して華やかさだけを追求したものではない。そこには、日々の暮らしに寄り添い、実用性と品質を重視してきた、地に足の着いたものづくりの精神がある。
東海道の旅人が求めた素朴な甘味であるなが餅や、戦後の労働者の胃袋を満たしたとんてきもまた、その時代の、その土地の人々の確かな需要に応える形で発展してきた。それは、派手な宣伝や一過性のブームに流されることなく、品質と伝統を地道に守り続けることで、確固たる地位を築いてきた証左である。四日市を訪れる時、工場の煙突の向こうに、あるいは幹線道路の脇にひっそりと佇む老舗の店先に目を向けてみれば、この土地の持つもう一つの顔、すなわち、産業の影で静かに、しかし力強く生き続ける日常の確かさを感じ取ることができるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- town.asahi.mie.jpwww2.town.asahi.mie.jp
- 萬古焼とは | ばんこの里会館 – ばんこの里会館bankonosato.jp
- 歴史 │ 三重県四日市「萬古焼」製造販売 株式会社 森三morisun.net
- 四日市萬古焼 | 認定品 | 【公式】 三重ブランドmiebrand.jp
- BANKO history / 萬古焼の歴史 | BANKO archive design museum / BANKOアーカイブデザインミュージアムbanko-a-d-museum.com
- 三重県|伝統産業・地場産業:経済産業大臣指定伝統的工芸品 四日市萬古焼pref.mie.lg.jp
- 万古焼を再興 森有節-藩の国産陶器政策にも一役bunka.pref.mie.lg.jp
- 色々な萬古焼 | 四日市萬古焼の紹介 | 萬古陶磁器卸商業協同組合yokkaichi-banko.com