2026/6/8
福井の「いちほまれ」はコシヒカリを超える米なのか?

福井のいちほまれについて詳しく知りたい。
キュリオす
福井県がコシヒカリ発祥の地としての誇りを胸に、20万種の交配から「いちほまれ」を開発。粒感と粘りの調和、冷めても美味しい実用性を追求し、プレミアム米市場での地位確立を目指す取り組みを紹介。
炊き上がった米粒が放つ、あの静かな輝き。湯気とともに立ち上るほのかな甘い香りは、食卓に並ぶ何よりも雄弁に、その存在を主張する。米は単なる主食ではなく、土地の歴史と人々の営みを映す鏡だ。福井県で生まれた新しい米「いちほまれ」は、その名を耳にする機会が増えた。しかし、なぜ今、この地で新たなブランド米が生まれたのか。そして、その一粒にはどのような物語が込められているのだろうか。
福井県における稲作の歴史は古く、縄文時代晩期にはすでにイネ花粉が検出されており、九州北部と同時期に稲作が伝来した可能性が指摘されている。弥生時代には、河和田遺跡などでイネ籾の圧痕を持つ土器が見つかるなど、この地で稲作が定着していったことがうかがえるのだ。江戸時代には土地の開墾・改良が進められ、米作りが盛んに行われた記録も残る。
明治時代に入ると、農業技術の改良が急速に進められた。1905年には「苗代田取締規則」が設けられ、短冊形共同苗代や正条植が奨励されるなど、収量増加と品質向上のための取り組みが始まった。同時に、多岐にわたっていた米穀の品種改良にも着手し、1911年には推奨品種が選定され、農事試験場内に原々種田が設置されるなど、組織的な品種改良の基盤が築かれていく。
そして、福井の米作り史において決定的な転換点となるのが、1956年に誕生した「コシヒカリ」である。新潟県で「農林22号」と「農林1号」が交配され、福井県農事改良実験所(現在の福井県農業試験場)で系統育成された「越南17号」が、後に「コシヒカリ」と命名されたのだ。その名は福井県と新潟県を含む「越の国」に由来し、「越の国で光り輝く品種に育ってほしい」という願いが込められていたという。しかし、コシヒカリが全国的なブランド米として確立される中で、世間の認識としては新潟県産のイメージが強く、福井県は「コシヒカリ発祥の地」でありながら、その恩恵を十分に享受できていなかった側面がある。
さらに、21世紀に入ると、日本の米消費量はピーク時(1962年度の年間118kg)から半減し、2016年には54kgまで減少するなど、米を取り巻く環境は厳しさを増していた。地球温暖化の進行も品質低下の要因となり、夏の高温によるコメの品質劣化が全国的に懸念され始めていたのだ。こうした背景から、福井県は、コシヒカリ発祥の地としての誇りを再確認し、次世代を担う新たなブランド米の開発に乗り出すことになる。単なる品種改良ではなく、「コシヒカリを超える」という明確な目標を掲げ、2011年に「ポストコシヒカリ開発プロジェクト」が始動した。
「いちほまれ」の開発は、福井県農業試験場に新設された「ポストコシヒカリ開発部」が主導し、2011年から約6年の歳月を費やして進められた。その道のりは、気の遠くなるような選抜の連続だったという。まず、20万種類もの膨大な数の交配から候補を選び出す作業が始まった。遺伝子レベルでの分析に加え、稲の草丈や病害虫への耐性、収量、そして最も重要な食味といった多岐にわたる評価基準が設定されたのだ。
開発チームは、コシヒカリが抱える課題、特に倒伏しやすさや夏の高温に弱い点を克服することを目指した。コシヒカリよりも草丈が短く、風雨で倒れにくい品種であること。そして、夏場の酷暑でも品質が安定し、玄米の見た目が美しい状態で収穫できること。これらは生産者にとって重要な要素であり、安定的な栽培を可能にするための必須条件だった。
食味に関しては、消費者ニーズを徹底的に探るという、従来のブランド米開発では異例のアプローチが取られた。ただ美味しいだけでなく、「絹のような白さと艶」「口に広がる優しい甘さ」「粒感と粘りの最高の調和」という具体的な目標が設定された。プロジェクトメンバーは、選抜された品種を何度も試食し、米粒の硬さ、粘り、味わいを細かく確認。専門家だけでなく、県民による試食評価も踏まえながら、理想の食味を追求していった。
最終的に選ばれたのは、富山67号とイクヒカリを親に持つ「越南291号」という系統だった。2016年にこの新品種が誕生し、全国から10万件を超える公募の中から「日本一(いち)美味しい、誉れ(ほまれ)高きお米」となってほしいという願いを込めて「いちほまれ」と命名されたのである。2017年には試験販売が開始され、翌2018年9月には全国での本格販売が始まった。この「いちほまれ」は、開発直後から高い評価を受け、日本穀物検定協会の食味ランキングでは最高評価である「特A」を連続して獲得している。これは、長年の研究と、生産者・開発者の熱意が結実した結果と言えるだろう。
「いちほまれ」がデビューした2018年当時、日本のプレミアム米市場はすでに多様な銘柄がひしめき合っていた。北海道の「ゆめぴりか」や「ななつぼし」、宮城の「ひとめぼれ」、そして言わずと知れた「コシヒカリ」など、それぞれが独自の食味とブランドイメージを確立している。その中で「いちほまれ」は、どのようにして独自の立ち位置を築こうとしているのか。
「いちほまれ」の最大の特徴は、コシヒカリが持つ粘りや甘みを受け継ぎながらも、しっかりとした「粒感」を併せ持つ点にある。一般的に、粘りの強い米は柔らかく、粒感が薄れがちだが、「いちほまれ」は粘りと粒感のバランスが絶妙だと評される。この特性は、和食はもちろん、洋食や中華など、幅広い料理との相性を良くする。また、炊き上がりの「絹のような白さと艶」は視覚的な美しさも提供する。さらに、「冷めても美味しい」という特徴も際立っている。お弁当やおにぎりでも、炊きたてと変わらない粘りや味わいが持続するという点は、現代の食生活において大きな強みとなる。
一方、コシヒカリは、その芳醇な旨みと粘り、そして程よい甘みが特徴で、単体で「主役」となるご飯として愛されてきた。しかし、産地によって食味の差異が生じやすく、特に新潟県魚沼産コシヒカリのような特定の産地が突出したブランド力を持つため、他の産地のコシヒカリは価格面で苦戦することも少なくなかった。また、近年は猛暑による品質低下も課題となっている。
「いちほまれ」は、こうしたコシヒカリの課題を克服しつつ、新たな価値を創出する品種として開発された。例えば、北海道の「ゆめぴりか」は強い粘りと甘みが特徴で、そのもっちりとした食感は多くのファンを持つ。東北地方の「ひとめぼれ」は、コシヒカリに似た食味でありながら、栽培しやすさも兼ね備えることで広く普及した。これらの銘柄がそれぞれ異なる特性を打ち出す中で、「いちほまれ」は「粒感と粘りの調和」という独自の食感と、冷めても美味しいという実用性を前面に押し出しているのだ。これは、単に「コシヒカリを超える」という目標だけでなく、多様化する消費者のニーズに応えようとする意図が見て取れる。新しい銘柄が既存の強豪と肩を並べ、あるいは凌駕するためには、明確な差別化と一貫した品質が不可欠であり、「いちほまれ」はその点を意識して開発された品種と言えるだろう。
「いちほまれ」は、2018年の本格デビュー以来、福井県内の主要な米として定着しつつある。県は「いちほまれ」のブランド化と品質向上を目指し、生産農家を対象とした研修会を毎年開催している。栽培マニュアルの作成と周知、各地に設立された「いちほまれ研究会」を通じた栽培技術指導など、安定した高品質米を生産するための支援体制が整えられているのだ。具体的には、農産物検査等級1等、粒厚1.9mm以上、玄米タンパク質6.4%以下という厳格な出荷基準が設けられており、これらをクリアしたものだけが「いちほまれ」として市場に出回る。
福井県とJAグループは一体となり、この新しいブランド米の生産拡大と販路開拓を進めてきた。2025年には県内で生産されるコメ全体の約1割にあたる1万2000トンの収穫を見込むなど、着実に生産量を増やしている。販売店舗数も、これまで福井県産米の販売が少なかった関東地区を含め、2,200店舗を超える規模に拡大した。
マーケティング戦略も多角的に展開されている。公募で選ばれた「日本一美味しい、誉れ高きお米」という名前には、その品質への自信と期待が込められている。また、「おかずがいらないくらい美味しい」というキャッチコピーは、その優しい甘さと粒感のバランスが、白飯だけでも十分に楽しめることを示唆している。テレビCMや交通広告、大手コンビニエンスストアでのおにぎり販売、飲食店や宿泊施設での利用認証制度など、幅広い層への認知度向上と需要開拓が進められている。
福井県は、2023年3月に「第3次いちほまれブランド戦略」を策定し、2025年度までの3年間で、高価格ブランド米としての地位確立と生産者所得の向上を目標に掲げた。さらに、2026年3月には「第4次いちほまれブランド戦略」も策定されており、今後も「いちほまれ」を核とした福井県産米全体の産地強化が図られる見込みである。猛暑が続く近年の気象条件下においても、いちほまれは影響が少ないと報告されており、気候変動に適応できる品種としての存在感も増している。コシヒカリ発祥の地としての歴史を背負いながらも、新たな時代に即した米作りを模索する福井県の姿が、「いちほまれ」の取り組みから見て取れるだろう。
「いちほまれ」の誕生と普及は、単に新しい米が市場に加わったという事実以上のものを物語っている。それは、コシヒカリという偉大な品種を生み出した福井県が、その栄光に安住することなく、未来を見据えて新たな挑戦を続けた結果である。かつてコシヒカリが全国に広がり、そのルーツが福井にあるという事実が薄れていった経緯は、地域ブランドの確立がいかに難しいかを浮き彫りにした。しかし、「いちほまれ」の開発は、その経験を踏まえ、明確な差別化戦略と強固なブランド構築を目指している点が特徴である。
コメの消費量が減少する現代において、単なる量産ではなく、付加価値の高い「プレミアム米」としての地位を確立することは、産地の持続可能性に直結する。福井県が「いちほまれ」に託したのは、まさにその未来だったと言える。気候変動への適応力、生産者の栽培しやすさ、そして何より消費者が求める「美味しさ」を追求する過程は、地域の農業が直面する課題に対する、具体的な回答でもあるのだ。
「いちほまれ」は、その開発プロセスにおいて、遺伝子レベルでの研究から、専門家と消費者の双方からの試食評価まで、多角的な視点を取り入れた。これは、作り手の都合だけでなく、食べ手の視点を重視した現代的な商品開発の姿勢を示している。福井が「コシヒカリ発祥の地」という歴史的背景を再認識し、その上で「コシヒカリを超える」という、ある意味で自らへの挑戦を課したことは、地域の農業が持つ「矜持」の表れとも解釈できる。一粒の米が、単なる食糧を超え、地域の歴史、技術、そして未来への意思を内包していることに、改めて気づかされるのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。