2026/6/27
弁慶の怪力と三井寺の鐘、青きな粉の秘密とは?大津「三井寺力餅」の由来

三井寺力餅について詳しく教えて欲しい。めちゃくちゃ美味しい。
キュリオす
大津の銘菓「三井寺力餅」は、弁慶と三井寺の鐘にまつわる伝説に由来する。青大豆と抹茶のきな粉、特製蜜を使った素朴な製法と、添加物不使用のこだわりが、この餅を特別なものにしている。
琵琶湖畔に伝わる「力」の記憶
滋賀県大津市、琵琶湖の南西に位置するこの地には、古くから親しまれる一つの菓子がある。「三井寺力餅」だ。初めてその名を聞いた時、「力餅」という響きに、ただならぬ重みを感じた。実際に口にすると、柔らかい餅に絡む蜜、そして鮮やかな青大豆きな粉の香りが広がり、素朴ながらも洗練された味わいに驚かされる。なぜこの餅が「力餅」と名付けられ、この大津の地で長く愛され続けてきたのか。その問いは、比叡山と三井寺の確執、そして武蔵坊弁慶という伝説的な僧兵の存在へと繋がっていく。単なる土産物としての菓子に留まらない、この土地の歴史と文化が凝縮された存在が、三井寺力餅なのではないか。
弁慶の伝説が銘菓に刻まれるまで
三井寺力餅の起源は、平安時代末期にまで遡る比叡山延暦寺と三井寺(園城寺)の熾烈な争いに根差している。当時、天台宗の二大勢力として教学や勢力を競い合っていた両寺院は、度々武力衝突を繰り返していた。その争いの中で、比叡山の僧兵を率いたのが、怪力で知られる武蔵坊弁慶である。弁慶は三井寺に攻め入り、数多くの堂塔伽藍を焼き払っただけでなく、三井寺が誇る美しい音色の梵鐘を戦利品として比叡山まで引きずり上げたという伝説が残されている。しかし、その鐘を撞くと「イノー、イノー」(関西弁で「帰りたい」の意)と響いたため、弁慶は怒って鐘を谷底に投げ捨ててしまったとされる。この鐘は後に三井寺に戻されたが、弁慶が引きずった際にできたとされる傷跡が今も残っているという。
この弁慶の怪力と三井寺の鐘にまつわる伝説にちなんで、餅が商われるようになったのは江戸時代の慶安年間(1648〜1652年)とされる。 当初は三井寺境内の茶屋「力軒」で「三井寺辨慶力餅」として提供されていた。 その後、明治2年(1869年)に初代・滋野半兵衛が現在の地で「三井寺力餅本家」を創業し、今日までその伝統を受け継いでいる。 創業当初、東海道の大津・追分(おいわけ)の宿場町として栄えたこの地で、旅人たちに愛される菓子として広まっていったという。 戦時中には軍に甘味を提供するために業態を一時的に切り替えることもあったが、終戦後の昭和20年(1945年)には力餅作りを再開し、以来、年中無休で営業を続けているのだ。
青きな粉と蜜が織りなす素朴な製法
三井寺力餅の魅力は、その素朴ながらも洗練された味わいと、伝統的な製法にある。主原料は近江のもち米で、これを丁寧にきねでつき上げた餅を、一口大に丸めて串に三つ刺すのが基本的な形だ。 そして、この餅に特製の蜜を塗り、仕上げにたっぷりのきな粉をまぶす。このきな粉こそが、三井寺力餅の大きな特徴の一つである。一般的な黄大豆のきな粉とは異なり、国産の青大豆ときな粉に抹茶をブレンドした「青きな粉」が使われているのだ。 この青きな粉が餅全体を覆い尽くすほどの量でまぶされるため、見た目にも鮮やかで、口に含むと青大豆の香ばしさと抹茶のほのかな苦味が広がる。
この製法は、添加物や保存料を一切使用しないという原則に基づいており、それが三井寺力餅の「できたての美味しさ」を追求する姿勢に繋がっている。 餅は毎朝、本店で蒸し上げられ、一つ一つ手作業で丸められる。 そして、客からの注文を受けてから、目の前で蜜ときな粉をかけて提供されるため、常に最も良い状態で味わうことができるのだ。 この手作りのこだわりと、保存料を使わないことによる消費期限の短さ(製造日の翌日まで)が、力餅の希少性を高めている。 5代目店主の滋野啓介氏は、かつて消費期限を延ばすために保存料の添加を試みたことがあったものの、餅の食感が変化してしまうため断念したという。 このエピソードは、味と食感への揺るぎないこだわりを示している。
全国に点在する「力餅」と大津の独自性
「力餅」という名の菓子は、日本各地に存在する。例えば、箱根の「箱根の力餅」や、伊勢の「赤福餅」のように、地域に根ざした餅菓子が数多く見られる。これらの多くは、特定の寺社や伝説、あるいは街道の休憩所で旅人に力を与える目的で生まれたという共通の背景を持つ。赤福餅は、伊勢神宮参拝の土産として、餅の上にこし餡を乗せたシンプルな形で提供され、その歴史は300年以上に及ぶ。また、仙台の「ずんだ餅」は、枝豆をすり潰して作る鮮やかな緑色の餡が特徴で、こちらも地域に深く根ざした家庭の味として親しまれている。
これらの「力餅」と名のつく菓子や、地域を代表する餅菓子と比較すると、三井寺力餅の独自性がより明確になる。まず、その「力」の由来が、武蔵坊弁慶という具体的な人物の怪力と、三井寺の鐘という特定の物体に結びついている点が挙げられる。これは、単なる「力をつける」という抽象的な意味合いに留まらず、大津の歴史的な出来事と密接に結びついていることを示している。次に、その色合いである。ずんだ餅も緑色ではあるが、三井寺力餅のきな粉は青大豆と抹茶をブレンドした独自の「青きな粉」であり、その風味も独特だ。 きな粉を「まぶす」というよりも「埋める」ようにたっぷりと使う点も、他のきな粉餅とは一線を画す。 また、多くの地域銘菓が百貨店や広域のサービスエリアで販売される中、三井寺力餅は本店を中心に大津市周辺の限られた店舗でしか購入できないという販売戦略も特徴的である。 これは、添加物を使わないことによる日持ちの短さという物理的な制約が背景にあるが、結果として「ここでしか味わえない」という希少価値を生み出し、地元住民に深く愛される要因となっている。 このように、三井寺力餅は、その由来、製法、そして販売形態において、他の追随を許さない独自の道を歩んできたと言えるだろう。
現代に息づく「力」と新たな挑戦
現在、三井寺力餅本家は京阪浜大津駅前に本店を構え、早朝7時から営業している。 地元住民が朝食代わりに買い求めたり、出張に向かう人が手土産として購入したりと、地域の日常に深く溶け込んでいる。 滋賀県観光土産品審査会での人気投票1位獲得や、食べログベストスイーツへの選出、さらに天皇陛下への献上菓子としての実績も持ち、その品質は高く評価されている。
しかし、伝統を守る一方で、現代的な課題にも直面している。添加物を使わない製法ゆえに日持ちが短く、遠方への発送が難しいという点は、広域での販売拡大を阻む要因となっている。 それでも、5代目店主は「どこでも買えるものだったら買われない」と語り、この希少性こそが力餅の価値であるとの考えを貫いている。 また、若い世代に力餅を知ってもらうための試みとして、本店併設の甘味処では「力餅ソフトクリーム」を考案した。 抹茶碗に盛り付けられたソフトクリームと力餅の組み合わせは、SNSでも話題を呼び、新たな名物となっている。 店の2階には、入場無料の大津絵ギャラリーも併設されており、訪れる人々に菓子の味だけでなく、大津の文化にも触れる機会を提供している。 このように、三井寺力餅は、伝統の味と製法を頑なに守りつつ、現代のニーズに合わせた柔軟な取り組みも行いながら、大津の顔として存在し続けている。
餅に宿る土地の記憶
三井寺力餅を巡る旅は、単なる菓子の来歴を辿る以上の示唆に富む。そこには、比叡山と三井寺という二つの巨大な寺院が繰り広げた歴史の確執、そして武蔵坊弁慶という伝説の僧兵の存在が色濃く刻まれている。餅という日常的な食物が、特定の歴史的事件や人物の「力」を象徴する存在として名付けられ、今日まで受け継がれてきた事実は、この土地の人々が、過去の記憶をいかに身近な形で保持しようとしてきたかを示している。
また、保存料を一切使わず、手作りの製法を貫く姿勢は、効率性や広域流通が重視される現代において、むしろ独自の価値を生み出している。日持ちの短さという一見すると不利な条件が、「ここでしか味わえない」という希少性を高め、地元住民のリピーターを増やし、観光客にとっては「大津を訪れる理由」の一つとなっているのだ。三井寺力餅は、単なる甘味ではなく、大津という土地の歴史、文化、そして人々の誇りが凝縮された、いわば「食べられる歴史の断片」なのである。その一口には、遥か昔の僧兵の「力」と、それを現代まで繋いできた人々の手仕事の「力」が静かに宿っている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 三井寺力餅(みいでらちからもち) - 大津百町百福物語otsu-hyakufuku.jp
- 滋賀県の土産菓子「三井寺力餅」。たっぷりとかけられた、きな粉の色は? | ご当地情報局gotouchi-i.jp
- cocoshiga.jp
- 大津百町百福物語 Vol.14 弁慶の伝説から生まれた「三井寺力餅」 - びわ湖大津経済新聞biwako-otsu.keizai.biz
- 三井寺力餅本家 購入エリアを広げずに「希少性」を価値にする | 2024年8月号 | 事業構想オンラインprojectdesign.jp
- 三井寺力餅本家 | 大津百町DAYSotsu-hyakucho-days.jp
- 天台宗 > 特集ページ > 門前シリーズ8 「三井寺」と「弁慶の力餅」tendai.or.jp
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