2026/6/8
大阪万博のビーバー人形から生まれた、北陸のソウルフード「ビーバー」の軌跡

北陸のお菓子のビーバーについて詳しく教えて欲しい。
キュリオす
大阪万博のビーバー人形にヒントを得て誕生した揚げあられ「ビーバー」。一度は製造中止となるも、地元の人々の声と北陸製菓の尽力で復活。素材と製法にこだわり、多様なフレーバーで愛され続ける物語。
揚げあられ「ビーバー」の誕生は、1970年(昭和45年)に遡る。大阪で開催された日本万国博覧会、通称「大阪万博」は、当時の日本にとって未来への希望を象徴する一大イベントであった。その会場内にあったカナダ館には、シンボルであるビーバーの人形が展示されていたという。当時の製造元であった福富屋製菓(後に福屋製菓)の社員たちが、そのビーバー人形の歯と、二つ並べた揚げあられの形が似ていることに着想を得て、「ビーバー」という商品名を考案したとされている。
福富屋製菓は、1949年(昭和24年)に創業した白山市(旧松任市)の菓子メーカーで、ビーバーは同社の主力製品として成長を遂げた。北陸産のもち米に北海道産の日高昆布を練り込み、鳴門の焼塩で味を調えるという製法は、発売当初から変わらず受け継がれてきた。 このサクッと軽い食感と、昆布の旨味がじんわりと広がる味わいは、瞬く間に北陸三県の家庭に浸透し、「強いぞビーバー!」というテレビCMのフレーズと共に、多くの人々の記憶に刻まれていった。
しかし、長く愛され続けたビーバーにも危機が訪れる。2013年(平成25年)、製造販売を担っていた福屋製菓が経営破綻し、ビーバーは突如として店頭から姿を消したのだ。 北陸の人々にとって当たり前だったこの菓子が手に入らなくなったことは、大きな衝撃を与え、「この味をなくさないでほしい」という復活を望む声が多数寄せられた。その声に応える形で、金沢市の老舗菓子メーカーである北陸製菓が名乗りを上げ、2014年(平成26年)8月、レシピと製造ノウハウを引き継ぎ、ビーバーは奇跡的な復活を遂げることとなる。 この復活劇は、地元紙でも大きく報じられ、北陸の人々の喜びを物語る出来事であった。
ビーバーの魅力はその独特の食感と風味にある。ただの揚げあられとは一線を画すその特性は、北陸産のもち米を主原料とし、北海道産の日高昆布を生地に練り込み、鳴門の焼塩で仕上げるという、厳選された素材と手間暇をかけた製法によって生み出される。
その製造工程は想像以上に時間を要する。まず、もち米と昆布を混ぜ合わせ、ふっくらとした餅をつくることから始まる。この餅を型に入れて2日間寝かせ、その後薄くスライスし、さらに四角形にカットして2回に分けて乾燥させる。餅の乾燥具合は、季節や温度、湿度によって職人が微妙に調整し、乾燥したおかきが「カラカラ」と音を立てることで、その出来栄えを判断するという。 このようにして水分をしっかりと飛ばした生地は、大きな釜で絶妙な加減で揚げられ、最後に秘伝のパウダーで味付けされる。 出来上がりまでになんと約1週間もの時間を費やすというから驚きだ。 この長い工程が、ビーバー特有のサクサクとした軽やかな食感と、噛むほどに広がる昆布の旨味、そしてしつこさのない塩味を両立させているのである。一般的なスナック菓子が短期間で大量生産されるのに対し、ビーバーの製造には、餅菓子作りの伝統的な知見と職人の経験が不可欠だ。
また、ビーバーは単一の味に留まらず、多様なフレーバーを展開している点も特徴だ。定番のプレーン味に加え、富山湾名産の白えびを使った「白えびビーバー」や、高級魚として知られるのどぐろの旨味を凝縮した「のどぐろビーバー」、さらにはカレー味、あおさ塩味、カニ味、梅味など、地域の特産品を取り入れたり、消費者の嗜好に合わせたバリエーションが豊富に存在する。 これらのフレーバーは、ビーバーの基本的な食感と風味を活かしつつ、新たな味覚の広がりを提供している。
日本には多種多様な米菓が存在し、それぞれが地域性や製法に根差した個性を持っている。例えば、新潟県の「柿の種」や亀田製菓の「ハッピーターン」のように、全国的な知名度を誇り、スーパーマーケットの定番商品としてどこでも手に入るものも多い。これらの米菓は、大量生産が可能で、幅広い層に受け入れられる味付けが特徴である。
一方、ビーバーは長らく北陸地域に限定された「ソウルフード」としての地位を確立してきた。その背景には、まず生産規模の違いがある。ビーバーの製造には約1週間を要する手間暇がかかり、大量生産には限界がある。 また、北陸産もち米や日高昆布、鳴門の焼塩といった素材へのこだわりも、地域性を強く意識した結果だと言える。 このように、特定の地域で育まれた素材と、伝統的な製法を守り続ける姿勢が、ビーバーを「北陸の菓子」として特別な存在にしてきた。
しかし、2018年頃からビーバーを取り巻く状況は大きく変化した。NBAの八村塁選手がチームメイトに「白えびビーバー」を紹介し、その様子がSNSで拡散されたことをきっかけに、全国的な注目を集めることになったのだ。 これにより、ビーバーは一時的に品薄状態に陥るほどの人気を博し、北陸製菓はプレーン味の全国販売を開始するに至った。
この現象は、全国に流通する大手米菓が、均一な品質と効率的な供給体制を強みとする一方で、ビーバーのような地域に根差した商品が持つ「物語性」や「希少性」が、現代の消費者に新たな価値として受け入れられ始めていることを示唆している。八村選手のエピソードは、単なる宣伝効果を超え、北陸という土地に育まれた文化と、そこから生まれた菓子が持つ潜在的な魅力を浮き彫りにしたと言えるだろう。全国展開された現在も、「白えびビーバー」や「のどぐろビーバー」といった一部のフレーバーが北陸限定で販売されるなど、地域との結びつきを大切にする姿勢は変わらない。 これは、全国的な広がりを見せつつも、そのルーツである北陸への敬意を忘れない、ビーバーならではの戦略である。
一度は市場から姿を消しながらも、北陸製菓によって復活を遂げたビーバーは、現在、新たな展開を見せている。2018年に26歳で社長に就任した髙﨑憲親氏のもと、北陸製菓はビーバーブランドの強化に乗り出した。 彼は「北陸一の菓子ブランド」を目指し、SNSでの発信強化や、ビーバーの着ぐるみを使った販促活動、イベントへの積極的な参加を通じて、特に若い世代や子どもたちへの認知度向上を図ってきた。
その結果、現在では定番のプレーン味に加えて、富山湾の白えび、石川県ののどぐろ、福井梅など、北陸の豊かな食材を活かした地域限定フレーバーから、カレー、あおさ塩、カニ、さらに期間限定でレモネード味、キムチ味、焼肉味、そして初の試みとなるチョコレート味(抹茶味も登場)まで、実に多様なラインナップを展開している。 また、通常のビーバーよりも食べ応えのある「ぶち揚げビーバービスケット」や、小粒サイズの「ビーバーJr.」といった派生商品も登場し、様々なシーンでの楽しみ方を提案している。
さらに、サンリオのキャラクター「クロミ」や「最強王図鑑」といった意外なコラボレーションも実現し、話題性を創出している。 北陸製菓の直営店である「金沢彩匠」では、全てのビーバーシリーズが揃うほか、工場の一部(味付け工程)をガラス越しに見学できるなど、ファンにとっては特別な体験の場となっている。 毎月18日を「ビーバーの日」と定め、キャラクターのビーバーくんが登場するイベントも開催されるなど、地域との絆を深める取り組みも積極的に行われている。
これらの取り組みは、単に商品を販売するだけでなく、「ビーバー」というブランドが持つ物語や体験を消費者に提供することで、その価値を高めようとする戦略である。地元に愛される菓子としての基盤を守りつつ、新たな挑戦を続けることで、ビーバーは北陸から全国へ、そして世界へとその魅力を発信し続けている。
北陸の地で長きにわたり愛され、一度の消滅を乗り越えて復活した揚げあられ「ビーバー」の物語は、単なる地域菓子の成功譚に留まらない。大阪万博のカナダ館で見たビーバー人形の歯という、一見すると偶然の要素が商品名の由来となり、それが半世紀以上もの間、人々の記憶に残り続けた。この偶然性は、時にマーケティング戦略では生み出せない、地域固有の「物語」となっていく。
ビーバーの事例から見えてくるのは、食文化の継続において、伝統的な製法と素材へのこだわり、そして何よりも地元の人々の愛着が不可欠であるという事実だ。北陸産もち米と日高昆布、鳴門の焼塩というシンプルな構成要素でありながら、約1週間を要する製造工程が、他にはないサクサクとした食感と昆布の旨味を生み出している。これは、効率化が追求される現代において、あえて時間をかけることによって得られる価値を再認識させる。
また、一度は途絶えかけたビーバーが、地元の声と新しい担い手によって復活を遂げた経緯は、地域文化の継承における「共創」の重要性を示唆している。消費者からの強い要望が、北陸製菓という老舗企業を動かし、その技術と情熱が失われかけた味を現代に呼び戻した。さらに、若い経営者のもと、八村塁選手によるSNSでの拡散という偶発的な出来事を契機に、全国的な知名度を獲得し、多様なフレーバーやコラボレーションを通じて新たなファン層を開拓した。
ビーバーの歩みは、地域に根差した商品が、単なる「ご当地土産」に終わらず、時代と共に変化する消費者のニーズに応えながら、その普遍的な魅力を再発見していく過程でもある。それは、北陸の風土が育んだ素朴な味わいが、偶然と人々の情熱が重なることで、国境を越える可能性を秘めていることを静かに語りかけているかのようだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。