カルデラでも純粋な断層湖でもない猪苗代湖は、どのようにして形作られたのか

鏡のような水面の下に秘められた歪み
磐越自動車道を西へ走り、長浜や志田浜の湖岸に立つと、視界の半分を巨大な水面が占める。標高514メートルという高地に位置しながら、面積は約103平方キロメートルに及び、滋賀県の琵琶湖、茨城県の霞ヶ浦、北海道のサロマ湖に次いで日本で4番目の広さを誇る。北側には標高1,816メートルの磐梯山がそびえ、波の静かな日にはその山影が水面に鮮明に映り込むことから、古くから「天鏡湖」という別名でも呼ばれてきた。
観光地として名高いこの湖を訪れたとき、多くの人は北に佇む磐梯山との組み合わせから「火山活動によってできた湖」と直感するだろう。実際に、磐梯山の北側に広がる裏磐梯の桧原湖や秋元湖、小野川湖、そして五色沼群は、1888(明治21)年の水蒸気爆発に伴う山体崩壊によって川が堰き止められて形成された典型的な堰止湖である。そのため、南側に広がる猪苗代湖もまた、磐梯山の噴火によって誕生した巨大な火山湖やカルデラ湖だと思われがちだ。
しかし、猪苗代湖の水深や形状を細かく観察していくと、その通念にはおかしな点が見えてくる。十和田湖や屈斜路湖のようなカルデラ湖は、巨大な噴火によってマグマ溜まりが空洞化し、落とし穴のように中央部が円形に大きく陥没するため、すり鉢状の非常に深い構造を持つことが多い。これに対して、猪苗代湖の最大水深は約93.5メートル、平均水深は約51.5メートルであり、湖面の広さに比べると驚くほど浅く、底面は平坦である。
さらに、湖の東西を眺めると、東側には南北に直線的に伸びる川桁山地が壁のように立ちはだかり、西側には背炙山を中心とする高原地帯がほぼ平行に伸びている。火山が作った円形の窪みというよりは、巨大な長方形の箱の中に水が溜まっているような印象を受けるのだ。富士山よりはるかに小さい火山体がひとつ北側に鎮座しているだけで、これほど広大で平坦な湖底を持つ高地の湖が本当に作れるものだろうか。だとすれば、この歪な箱型の地形は、どこからやってきたのだろうか。
川桁と背炙、二つの断層が大地を引き裂いた
猪苗代湖の本当の成り立ちを紐解くには、時計の針を磐梯山が誕生するよりもはるかに昔、およそ20万年から30万年前の第四紀更新世中期まで戻す必要がある。
この時代、現在の福島県中央部では、地球規模のプレート運動に伴う巨大な地殻変動が進行していた。大地に対して東西から強い圧縮力がかかり続けた結果、地表のあちこちに裂け目が生じ、断層運動が活発化した。猪苗代湖が収まっている領域の東側には「川桁断層」が、西側には「会津盆地東縁断層」や「東山断層」といった南北方向に走る巨大な活断層群が形成されたのである。
川桁断層は、茨城県水戸市付近から福島県棚倉町を経て山形県へと抜ける巨大な構造線である「棚倉構造線」の延長線上に位置しており、日本列島の古い地質構造の境目にもあたる大規模な断層帯だ。この断層を境にして東側の川桁山地が猛烈な勢いで隆起し、同時に西側の背炙山周辺の大地も隆起を開始した。
二つの平行する断層の「外側」が大きく持ち上げられた一方で、その二本の線に挟まれた「内側」の大地は、まるで底が抜けるようにズルズルと沈降していった。地質学ではこれを「構造盆地」あるいは「断層盆地(グラベン)」と呼ぶ。東の壁と西の壁に挟まれた中央部が帯状に落ち込むことで、極めて底の平らな猪苗代盆地が誕生したのだ。
宿から自転車を借りて湖岸や線路沿いの農道を走ってみると、周囲を山に囲まれているにもかかわらず、足元の大地が恐ろしいほど真っ平らであることに気付かされる。この不自然なフラットさは、断層運動によって落ち込んだ盆地の底に、長年にわたって周囲の山々から削り出された土砂が均一に積み重なった結果生まれたものだ。
地質学的な調査によれば、この断層運動の歴史はさらに古い海の中まで遡ることができる。猪苗代湖の西岸にある砂質泥岩の崖からは、約1600万年前(前期から中期中新世)の地層である東尾岐層が露出しており、そこからはウニや貝、クジラやカイギュウといった海棲生物の化石が多数産出している。かつて日本列島がユーラシア大陸から引き裂かれて太平洋へと押し出された際、この地域一帯は激しい海底火山活動の伴う深い海の底であった。その海底が長い年月をかけて隆起して陸地となり、さらに20万〜30万年前の断層運動によって再び引き裂かれ、凹地へと姿を変えたのである。
しかし、20万年前の段階で出来上がっていた猪苗代盆地には、まだ「猪苗代湖」という巨大な水たまりは存在していなかった。当時、周囲の山々から集まってきた水は、盆地の西部にあたる現在の日橋川(にっぱしがわ)周辺の低い谷を通って、隣の会津盆地へとそのままスムーズに流れ抜けていたからだ。大地が凹んだだけでは、水は留まらずに川となって過ぎ去ってしまう。湖が誕生するためには、この水の出口を塞ぐ「もう一つの要素」が必要だった。
古磐梯の崩壊と、塞がれた水の抜け道
断層によって用意された「箱」に水を溜め、湖へと変貌させた主役こそが、盆地の北側に姿を現した古磐梯山であった。
約8万年前(諸説あり、約4万年前や2万5000年前とする説もある)、現在の磐梯山の前身にあたる「古期磐梯火山」が激しい爆発的噴火を起こした。火山内部のマグマの上昇や熱水の増加によって山体が極めて不安定になり、大規模な「山体崩壊」が発生したのである。崩れ落ちた膨大な量の岩石や土砂は、猛烈なスピードで山麓を駆け下りる「岩屑なだれ(がんせつなだれ)」となって南西方向へとなだれ込んだ。
このとき発生した堆積物は「翁島岩屑なだれ堆積物」と呼ばれ、猪苗代盆地の北西部に大量に積み重なった。現在、JR磐越西線の翁島駅周辺や磐越自動車道を車で走ると、平坦な土地の中に小さな小山がポコポコと何十個も点在している不思議な風景を目にする。これは「流れ山」と呼ばれる地形であり、山体が崩壊した際の大規模な岩塊が土砂とともに運ばれ、そのまま残されたものだ。
この翁島岩屑なだれが、まさに会津盆地へと続いていた西側の低い谷筋を完全に覆い尽くした。水が通り抜けていた出口が、高さ数十メートルに達する分厚い火砕物と泥流の防波堤によって一瞬にして「南京錠」をかけられたのである。
行き場を失った水は、東の川桁断層、西の背炙山断層、そして北の火山堆積物に囲まれた閉鎖的な盆地の底へと勢いよく溜まり始めた。こうして、日本でも類を見ない構造盆地と火山堰止が組み合わさった「古猪苗代湖」が誕生した。
誕生したばかりの初期の猪苗代湖は、現在の姿よりもはるかに巨大で、水位もずっと高かった。湖岸の周辺には現在、標高530メートルから540メートル付近に明確な「湖岸段丘(かつての波打ち際が残された階段状の地形)」が3段にわたって観察できる。現在の猪苗代湖の水面標高は514メートルであるため、当時は今よりも15メートルから20メートル以上も高い水位まで水没していたことになる。
水位がこれほど高かった古猪苗代湖は、やがて自らの水圧とオーバーフローする水の力によって、堰き止め口であった西側の堆積物(日橋川の谷頭部)を徐々に削り始めていった。川底が浸食されて下がるにつれて、湖の水位も段階的に低下していった。約2万年前までに、浸食速度と水の流入量のバランスが保たれる位置まで水位が下がり、ほぼ現在と同じ標高514メートル、面積103平方キロメートルという絶妙なスケールに落ち着いたと考えられている。
さらに、この火山の関与は地形の骨組みをつくっただけに留まらない。湖の水質という面でも決定的な役割を果たした。
猪苗代湖の北側からは、安達太良山や磐梯山の火山地帯を源流とする「長瀬川」が流入している。この川の上流には酸川(すがわ)や沼尻温泉、中ノ沢温泉、さらには旧硫黄鉱山などが存在し、pH2前後の強力な酸性水と、大量の鉄イオンやアルミニウムイオンを運んでくる。
この強酸性の水が猪苗代湖へと流れ込むことで、湖全体の水質は長年にわたって酸性に保たれてきた。水が酸性であると、魚類や水生植物の繁殖は制限されるが、同時に極めて優れた「自然の浄化作用」が働く。長瀬川から持ち込まれた鉄やアルミニウムのイオンが、水中の有機物やリンと結合して凝集し、重くなって湖底へと沈殿するからだ。そのおかげで、猪苗代湖は有機物の少ない「酸栄養湖」となり、濁りのない清澄な水面を維持し続けることができたのである。
カルデラでも純粋な断層湖でもない理由
日本の代表的な大型湖沼と比較してみると、猪苗代湖が持つ「断層盆地+火山堰止」という二段階構造の特殊性がより鮮明に浮かび上がってくる。
日本の湖の成因は、大きく分けて「カルデラ湖」「純粋な断層湖」「純粋な火山堰止湖」「海跡湖(潟湖)」などに分類される。
まず、十和田湖(青森・秋田県境)や屈斜路湖(北海道)、あるいは栃木県の十勝岳周辺や阿蘇のカルデラ湖などを思い浮かべよう。十和田湖は典型的な二重カルデラ湖であり、激しいマグマ噴出によって地表が円形に丸ごと落とし穴のように陥没してできた。そのため、湖の形は円形や二層の円が重なった形状になりやすく、水深は十和田湖で最大326メートルに達する。外輪山が湖の周囲を360度取り囲み、湖岸からいきなり深い水底へと落ち込む急峻な崖が特徴である。猪苗代湖のように「東西だけが断層の直線状の山並みで、底が真平ら」という形状には絶対にならない。
一方で、日本最大の湖である滋賀県の琵琶湖や、長野県の諏訪湖は「純粋な断層湖(構造湖)」の代表例だ。琵琶湖は約400万年前に誕生し、地殻変動に伴う複数の断層運動によって凹地が移動・拡大しながら現在の形になった。諏訪湖も「中央構造線」と「糸魚川―静岡構造線」が交差するアクティブな断層帯に位置し、大地が引き裂かれる「横ずれ断層の座屈(プルアパート)運動」によって形成されている。純粋な断層湖の特徴は、地殻変動が続く限り陥没が持続し、何百万年という極めて長い寿命を持つ点にある。
しかし、純粋な断層湖は、川が流れ込んで土砂が溜まると次第に埋め立てられて湿地化するか、あるいは水が一番低い場所から川としてどんどん流れ出てしまい、湖として留まりにくいという性質も持っている。
では、富士五湖(山梨県)や、猪苗代湖のすぐ北にある桧原湖のような「純粋な火山堰止湖」はどうだろうか。富士五湖(本栖湖、精進湖、西湖など)は、富士山の噴火によって流れ出た青木ヶ原溶岩流が、かつて存在した巨大な湖( U 湖)を分断・堰き止めて作られた。桧原湖も1888年の小磐梯の崩壊による岩屑なだれが川を塞いで生まれたものだ。
これらの純粋な火山堰止湖の共通点は、元々の地形が「山間の谷筋」であったことだ。山と山の間の細い谷を溶岩や土砂でダムのように塞ぐため、完成する湖は川の形を反映して細長くなったり、複雑に入り組んだリアス式海岸のような湖岸線を持つことが多い。また、谷筋の規模に制約されるため、湖の面積は数平方キロメートルからせいぜい数十平方キロメートル程度と、中規模以下に留まることがほとんどである。
ここに猪苗代湖の真の異例さがある。
もし、猪苗代盆地に断層運動による巨大な構造盆地が準備されていなければ、古磐梯山がいくら岩屑なだれを起こして川を塞いだところで、出来上がるのは山道の横にある小さな堰止湖に過ぎなかっただろう。
逆に、もし断層運動でどれほど立派な盆地が生まれていても、北側に古磐梯山という都合の良い火山が存在せず、西への抜け道を膨大な土砂で塞いでくれなければ、そこはただの「土砂が平坦に積もった広い会津の隣の盆地」にしかならず、広大な水面が生まれることはなかった。
大規模なプレート運動が作った「東西の断層という巨大な箱(容器)」と、数十万年後に偶然その北側に現れた「火山の爆発という頑丈な栓(蓋)」。本来であれば全く別の地球科学的プロセスであるふたつの要因が、ピンポイントで同じ位置と時代に交差した。この奇跡的な重なり合いがあったからこそ、標高514メートルという高地に、100平方キロメートルを超える日本第4位の大湖が誕生したのである。
日橋川の出口と、安積疏水が繋いだ現代
現在、この複雑な地質史の末に生まれた猪苗代湖は、人の手による精巧な水資源管理の舞台となっている。
湖から流れ出る自然の河川は、古磐梯山の岩屑なだれを削り破ってできた西端の「日橋川」たった1本しかない。日橋川は猪苗代湖の唯一の吐き出し口であり、ここから盤脚(ばんきゃく)を削りながら会津盆地へと下り、阿賀川(新潟県に入ると阿賀野川)へと合流して最終的に日本海へと注ぎ込む。
もし日橋川をまったくの自然状態のまま放置しておけば、水の流れる力によって川底は年々削られ、最終的には湖の水がすべて日本海へと排出されてしまい、猪苗代湖は遠い未来に干上がってしまう運命にある。実際、日橋川の流入部には現在、複数の発電用ダムや水門(十六橋水門など)が建設されており、湖の水位は標高514メートル前後で人間によって厳密にコントロールされている。
さらに、明治時代に入ると、この地形的条件を利用した国家的プロジェクトが敢行された。それが「安積疏水(あさかそすい)」の開削である。
猪苗代湖の東側には川桁山地がそびえ、その向こう側には水不足に悩まされていた郡山盆地(安積原野)が広がっていた。猪苗代湖の水面標高は514メートル。対して東側の郡山盆地の標高は300メートル前後から200メートル台である。つまり、東側の山にトンネルを掘りさえすれば、ポンプを使わずに位置エネルギー(高低差)だけで、膨大な量の湖水を乾燥した東側の大地へと自然流下させることができるのだ。
1879(明治12)年に着工された安積疏水事業では、オランダ人技師ファン・ドールンらの指導のもと、湖の東岸にあたる上戸(じょうこ)付近から川桁山地を貫く隧道(トンネル)が掘削された。こうして猪苗代湖の水は、本来流れていくはずのなかった太平洋側(阿武隈川水系)の乾燥地帯へと大量に供給されるようになり、一帯の広大な原野を一大米作地帯へと変貌させた。
現在も猪苗代湖は、かんがい用水や水道用水として地域を支えるだけでなく、その落差を利用した水力発電の拠点として機能している。湖の水は日橋川を下りながら幾つもの発電所を動かし、会津の工業や暮らしを支え続けている。
しかし、長年この湖の美しさを保ってきた自然のメカニズムには、現在静かな変化が生じている。
近年、上流部での硫黄鉱山の閉山後の処理や生活排水の流入、さらには酸性雨の影響の変化などによって、長瀬川から注ぎ込む水の酸性度が弱まり、湖水の中性化が顕著に進行しているのだ。湖水が中性へと近づくと、これまで鉄やアルミニウムのイオンによって沈殿させられていた有機物やリンが水中に漂うようになり、水質の悪化や透明度の低下、コイ科の魚の増加といった生態系の変化が懸念され始めている。
湖南港の桟橋に立ち、湖面に揺れる水を見つめると、かつて塩や米を運んだ水上交通の記憶とともに、人間の生活と湖の化学的バランスが表裏一体であることを実感させられる。
断層の窪みと火山の蓋が重なった場所で
猪苗代湖の湖岸を一周してみると、場所ごとにまったく異なる表情を見せることに驚かされる。
北岸の天神浜や志田浜からは、目の前に広がる穏やかな水面の向こうに、荒々しい火口壁を見せる磐梯山が雄大にそびえ立つ。南岸の舟津浜に回ると、松の古木が立ち並ぶ静かな砂浜の向こうに、遠く小さくなった磐梯山のシルエットが浮かび上がる。そして東岸に回れば、南北に直線状にどこまでも続く川桁山地の急峻な崖が、夕日を浴びて壁のように立ちはだかる。
これらの風景は単なる絵画的な美しさではなく、地球がこの場所で繰り広げた二重の地質イベントの痕跡そのものだ。
一見すると、単に山に囲まれたひとつの大きな美しい湖に見える。しかしその成り立ちの輪郭をなぞっていくと、「断層の引き裂き」と「火山の爆発」という、本来なら異なる二つの大きな力が同じ地点で接合された稀有な現場であることが分かってくる。
20万年以上前に東西の断層が地殻を引き裂いて作った底の平らな長方形の箱。そこに8万年前の古磐梯山が山体崩壊によって大量の泥流を流し込み、西への出口を塞いで掛けた鍵。そして2万年かけて日橋川が川底を削り、標高514メートルという絶妙な高さで水面を落ち着かせた時間。
湖畔の国道を走り抜け、静かな波打ち際に立つとき、そこに広がる清澄な水面は決して偶然の産物ではないことを知る。断層運動が掘り進めた巨大な凹地と、火山が残した強烈な爪痕が交差した地点にのみ成立する、きわめて精密な地球の構造物が、いまも静かに水をたたえている。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 猪苗代湖|水の話|フジクリーン工業株式会社fujiclean.co.jp
- 猪苗代湖と磐梯山 (福島県猪苗代町~郡山市) - 佳景探訪natsuzora.com
- 猪苗代湖・裏磐梯湖沼水環境保全対策推進協議会mizu-mirai.jp
- 猪苗代風土記 - 町の名の由来に感動する|綺世界探訪|地誌・民俗と紀行文note.com
- 日本の地形千景 福島県:猪苗代湖は,断層性盆地と火山の噴出物の賜物web-gis.jp
- 猪苗代湖の歴史と会津の地形の成り立ち~湖畔からウニ化石が!?~ (2ページ目)articles.mapple.net
- 磐梯朝日国立公園(磐梯吾妻・猪苗代地域)のストーリー | 磐梯朝日国立公園の特徴 | 磐梯朝日国立公園 | 国立公園一覧 | 国立公園に、行ってみよう! | 環境省env.go.jp
- 気象庁|磐梯山data.jma.go.jp