2026/6/8
射水の万葉カレイはマコガレイ?古代からの物語を味わう

射水の万葉カレイについて教えて欲しい。マコガレイ?
キュリオす
射水市新湊沖で獲れる「万葉カレイ」はマコガレイ。400g以上、肉厚、泥抜きといった基準を満たしたものがブランド化されている。万葉集に詠まれた奈呉の浦の漁業の歴史と結びつき、現代の漁師たちが品質と物語を追求する。
「万葉カレイ」の「万葉」は、日本最古の歌集である『万葉集』に由来する。今からおよそ1300年前、天平18年(746年)から約5年間、大伴家持が越中国守として現在の高岡市伏木に赴任していた時期がある。彼が越中で詠んだ歌は「越中万葉」と呼ばれ、その数は340首にも上るという。中でも射水市新湊地区の海岸は、当時「奈呉(なご)の浦」と呼ばれ、家持の歌にもたびたび登場する場所だった。
「東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし奈呉の海人の釣りする小舟漕ぎ隠る見ゆ」という一首は、奈呉の海で漁をする海人の小舟が、強く吹く東風に揺られ、波間に見え隠れする様子を詠んだものだ。 この歌に登場する「奈呉の海人」とは、まさに現在の新湊の漁師たちの祖先を指す。江戸中期には、放生津(ほうじょうづ、新湊の古称)の全戸数の約4割が漁師であったという記録も残されており、この地がいかに漁業とともに発展してきたかがわかる。 新湊の漁港は万葉の時代からすでに形成されていたと考えられ、魚の質、量、種類ともに県内随一の港町として、その勢いを増していったのだ。 このように、古代から連綿と続く漁業の歴史と、それを歌に詠み残した文化的な奥行きが、「万葉カレイ」という名に込められている。
射水市新湊沖で獲れる「万葉カレイ」は、具体的にはマコガレイを指す。 マコガレイは全国各地の沿岸で獲れる魚だが、新湊の若手漁師たちで構成される「沿岸漁業研究会」が2011年に立ち上がり、翌2012年からこの地の上質なマコガレイを「万葉カレイ」としてブランド化した。
ブランドとして認められるには厳格な基準が設けられている。まず、重さが400グラム以上であること。 そして肉厚で状態が良い個体が選ばれる。さらに重要なのは、水揚げされた後、最低1日以上水槽に入れて泥を吐かせる工程を経ることだ。 これにより泥臭さがなくなり、マコガレイ本来の繊細な旨味が際立つ。これらの基準を満たしたカレイには尾びれにタグが付けられ、市場に出荷されるのだ。 マコガレイはクセのない上品な白身が特徴で、刺身にすると水晶のような光沢があり、ヒラメにも勝ると評されることもある。 塩焼きや煮付け、唐揚げなど、どのような料理にも向く汎用性の高さも持ち合わせている。 この素材が持つ潜在能力を最大限に引き出すための手間と、歴史に裏打ちされた物語が付加されることで、単なるマコガレイが「万葉カレイ」という特別な存在へと昇華されたのである。
「万葉カレイ」のように、特定の魚種に地域名を冠しブランド化する試みは各地で見られる。例えば大分県では、日出町の賜谷城下で獲れるマコガレイを「城下かれい」と呼び、江戸時代には将軍への献上品とされた歴史を持つ高級魚として知られている。 こちらもまた、特定の場所で獲れること、そして歴史的な背景がブランド価値を高めている点では共通する。しかし、「万葉カレイ」が古典文学である『万葉集』、それも大伴家持の歌に直接結びつく点は、他の多くのブランド魚とは一線を画す特徴だろう。
一般的なマコガレイは、かつては惣菜の定番魚として親しまれていたが、今日では天然の活けものは高級魚の部類に入る。 その中でも、特定の漁場、厳しい選定基準、そして泥抜きといった手間暇をかけることで、さらに付加価値を高めているのが「万葉カレイ」の戦略である。富山湾では他にも、ベニズワイガニやシロエビといった独自のブランド魚介類が豊富に水揚げされるが、それぞれが独自の物語や品質基準を持つことで、消費者の間で差別化を図っているのだ。 「万葉カレイ」の場合、その物語の根底には、1300年という時の流れの中で、この地の海と人が紡いできた関係性がある。
射水市新湊の漁港は、今も富山県内有数の漁獲量を誇る活気ある場所である。 しかし、近年、富山湾の漁業は大きな変化と課題に直面している。2024年には「万葉カレイ」を含むカレイ全体の漁獲量が記録的な不漁となり、例年の10分の1以下にとどまった。 関係者は、能登半島地震による海底の変化が影響している可能性を懸念しているという。 網が海底に引っかかる「根掛かり」が増え、漁場に行けない日もあると漁師は語る。
このような環境の変化は、「万葉カレイ」のブランド維持にとっても大きな課題となる。安定した供給が困難になれば、せっかく築き上げたブランド価値が揺らぎかねない。それでも、射水市では「万葉カレイ」の人気は現在も続いているとされており、漁師たちは自然と向き合いながら、新たな漁業の可能性を模索している。 漁師が自ら水産加工会社を興し、カレイのブランド化だけでなく、カニの干物開発や海洋深層水を使った塩の生産、さらには漁船の観光利用まで手掛ける動きも見られる。 漁獲量の減少や海洋環境の変化といった困難に直面しながらも、地域の資源と歴史を活かし、多様な形で持続可能な漁業を目指す現代の「奈呉の海人」たちの姿がそこにはある。
「万葉カレイ」が問いかけるのは、単に「おいしい魚」というだけではない。それは、古代の歌人が見つめた海と、現代の漁師が日々向き合う海が、時代を超えてつながっているという事実だ。大伴家持が詠んだ歌に登場する「奈呉の海人」が、まさにこの地の漁業のルーツであり、その末裔たちが今も同じ海で魚を獲り、品質を追求している。
このカレイを味わうことは、1300年前の歌人の視点と、現代の漁師の努力、そして富山湾の豊かな生態系という、複数の時間が交差する地点に立つことを意味する。記録的な不漁という困難に直面しながらも、「万葉カレイ」というブランドが守られ、その価値が語り継がれることは、この地の文化と歴史が、単なる過去の遺物ではなく、現代に生きる人々の手によって更新され続けていることの証左だろう。それは、変化する自然環境の中で、人間がどのように地域固有の価値を見出し、未来へと繋いでいくのかという問いを、静かに投げかけている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。