2026/6/9
片栗粉はカタクリの球根から?ジャガイモ澱粉が「片栗粉」と呼ばれる理由

片栗粉はもともとはカタクリの球根から作っていたの?今でも作っているところはある?
キュリオす
「片栗粉」の名称はカタクリの球根由来だが、現在は馬鈴薯澱粉が主流。明治以降のジャガイモ普及と技術進歩で原料が変化した。ごく一部では伝統的なカタクリ澱粉も生産されている。
スーパーマーケットの棚に並ぶ「片栗粉」の袋を手に取るとき、その白くサラサラとした粉が、かつては全く別の植物の根から作られていたという事実に立ち止まる人は少ないだろう。袋の裏に記された原材料名を見れば、「馬鈴薯澱粉」とある。つまり、ジャガイモのでんぷんだ。しかし、なぜこの粉は「片栗粉」という名で呼ばれ続けているのか。その名の由来となった植物、「カタクリ」が今もどこかで澱粉として加工されているのか、その疑問は、土中に眠る小さな球根の歴史へと誘う。
「片栗粉」の名称が示す通り、その起源はユリ科の植物「カタクリ」の鱗茎(球根)にある。カタクリは早春に紫色の可憐な花を咲かせる山野草で、北海道から九州まで広く自生していた。その鱗茎から澱粉が採取され始めたのは、少なくとも室町時代にまで遡るとされる。当時、澱粉は貴重な栄養源であり、また薬用としても用いられた。特に、病後の滋養食や乳幼児の離乳食として重宝されたという記録も残っている。カタクリの鱗茎は、その約20%が澱粉で構成されており、これをすり潰し、水に晒して不純物を取り除くという、手間のかかる作業を経て純粋な澱粉が作られた。この製法は、現代の澱粉製造と基本的な原理は同じだが、手作業で行われるため大量生産には不向きだった。江戸時代には、カタクリ澱粉は高級品として扱われ、一部の地域では藩の特産品としても保護されていたようだ。例えば、信州や越後といった山間部では、厳しい冬を越すための貴重な食料源であると同時に、商業的な価値も持っていたのである。
カタクリ澱粉から馬鈴薯澱粉への転換は、明治時代以降、ジャガイモ栽培の普及と澱粉精製技術の進歩によって急速に進んだ。ジャガイモはカタクリに比べて栽培が容易で、一つの塊茎から得られる澱粉量も格段に多い。特に北海道でのジャガイモの大規模栽培が始まったことで、安価で大量の馬鈴薯澱粉が市場に供給されるようになった。これにより、手間とコストがかかるカタクリ澱粉は採算が合わなくなり、次第に市場から姿を消していったのである。しかし、一度定着した「片栗粉」という名称はそのまま残り、主原料がジャガイモに変わった後も、消費者の間で広く使われ続けた。これは、澱粉の用途や見た目が変わらなかったため、特に名称を変更する必要がなかったこと、そして「片栗粉」という言葉が持つ歴史的・文化的な重みが大きかったことによるだろう。食品表示法が整備された現代では、たとえ馬鈴薯澱粉であっても「片栗粉」と表記されることが一般的だが、その下には必ず「馬鈴薯澱粉」と明記されている。
澱粉の主原料が時代とともに変化したのは、片栗粉に限った話ではない。例えば、葛粉もその一つだ。葛粉は、マメ科の植物であるクズの根から採れる澱粉で、古くから和菓子や料理に使われてきた。しかし、クズの根から澱粉を採取する作業は非常に重労働であり、近年ではサツマイモやジャガイモを原料とした「葛風澱粉」が広く流通している。本葛と表示されたものは純粋なクズ澱粉だが、多くの場合、他の澱粉が混合されている。また、ワラビ餅に使われるワラビ粉も同様で、本来はワラビの根茎から採れる貴重な澱粉だが、現在ではサツマイモ澱粉やタピオカ澱粉で代用されることが多い。これらの事例に共通するのは、希少で手間のかかる在来の原料が、栽培が容易で大量生産が可能な外来の原料に置き換わっていく過程である。澱粉の名称が、かつての原料植物の名を冠し続ける一方で、実際の原料は変化しているという点で、片栗粉の歴史は他の伝統的な澱粉製品の変遷とも重なる部分が多い。
では、純粋なカタクリ澱粉は、現代において全く作られていないのか。実は、ごく少量ではあるが、伝統的な製法を守り、カタクリの鱗茎から澱粉を作り続けている場所が存在する。主に長野県や新潟県、山形県など、カタクリが自生する山間部の一部地域で、地元の保存会や個人が、地域の伝統文化としてその製法を継承している。これらのカタクリ澱粉は、商業的な流通に乗ることはほとんどなく、地元の物産展で限定的に販売されたり、あるいは地域の祭事や特別な行事で用いられたりすることが多い。価格も非常に高価で、馬鈴薯澱粉とは比較にならない。その希少性から、一種の工芸品や文化財のような価値を持って扱われているのが現状だ。これは、単に澱粉を得るためというよりも、カタクリという植物の生態系を守り、古くからの食文化を次世代に伝えるという、文化的な側面が強い活動と言えるだろう。
「片栗粉」という一つの言葉を深掘りすると、そこには単なる調理材料としての澱粉の歴史だけでなく、土地の植生、人々の暮らし、そして産業の変遷が凝縮されていることがわかる。カタクリからジャガイモへと主原料が移り変わった背景には、効率と経済性が大きく影響している。しかし、その過程で、かつての原料植物の名が残り続けるという現象は、言葉が持つ文化的な記憶の強さを示している。現代において、純粋なカタクリ澱粉がごくわずかに生産され続けているのは、実用性や経済性とは異なる価値基準、すなわち地域固有の文化や伝統を継承しようとする意思が働いているからだ。スーパーマーケットで手にする「片栗粉」は、もはやカタクリの澱粉ではないが、その名を聞くたびに、私たちは遠い昔の山の恵みと、それを大切に扱ってきた人々の営みに、静かに思いを馳せることになるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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