2026/6/12
「ういろう」はなぜ名古屋で銘菓になったのか?薬から生まれた蒸し菓子の変遷

名古屋名物のういろうの歴史について詳しく教えてほしい
キュリオす
名古屋名物ういろうの起源は、中国から伝わった薬「透頂香」にある。外郎家がもたらしたこの薬は、やがて菓子へと姿を変え、交通の要衝であった名古屋で土産物として独自の発展を遂げた。
蒸し菓子が語る、異国の香り
名古屋駅の売店に並ぶ、色とりどりの「ういろう」。その柔らかな口当たりと、控えめな甘さは、旅の土産として多くの人が手にする。しかし、この一見素朴な蒸し菓子が、実は数奇な歴史を背負っていることを知る人は少ないかもしれない。その名は、遠く中国大陸から渡来した一族に由来し、かつては薬として珍重されたという。なぜこの菓子が、遠く離れた名古屋の地でこれほどまでに定着し、地域を代表する銘菓となったのか。その問いを抱えて、ういろうの歴史を紐解いてみる。
外郎家の渡来と薬の伝播
ういろうの歴史を語る上で、まず触れるべきは「外郎家」という一族の存在である。彼らはもともと中国の元朝に仕えた人物で、その祖先は陳延清(ちんえんせい)という人物だとされている。陳延清は、14世紀末の応永年間(1394-1428年)に日本に渡来したと伝わる。その際、彼は「透頂香(とうちんこう)」と呼ばれる霊薬を携えていた。これは口中清涼剤や万能薬として用いられ、その薬を包む紙に「外郎」と記されていたことから、やがて薬そのものも「ういろう」と呼ばれるようになったという。
陳延清は、室町幕府の将軍である足利義満に仕え、その薬効が認められて「外郎」の姓を賜ったとされている。外郎家はその後、京都や小田原を拠点とし、透頂香の製造販売を続けた。この透頂香は、口に含むと香りが広がり、薬効もあることから、当時の貴族や武士の間で重宝されたという。
薬としてのういろうが広まる一方で、外郎家は接待用の菓子としても独自の製法を用いた蒸し菓子を作っていた。この菓子は米粉や砂糖を主原料とし、蒸し上げて作るもので、現在のういろうの原型とされる。当初は薬の製造工程で余った材料を活用したという説や、薬の服用を促すために添えられたという説など諸説あるが、いずれにしても、薬と菓子が密接な関係にあったことは確かだ。この菓子は「外郎餅」とも呼ばれ、次第に薬とは別の存在として認識されていくことになる。
旅路の要衝と菓子の変遷
薬としての「ういろう」が、いつ、どのようにして菓子へとその主役の座を譲り、特に名古屋という地で花開いたのか。その背景には、いくつかの要因が重なっている。まず、外郎家が拠点を置いた小田原や京都といった地は、交通の要衝であり、多くの旅人が行き交う場所であった。そのため、外郎家が作る菓子は、旅人を通じて各地にその名を知られるようになったと考えられる。
特に、江戸時代に入ると、東海道の宿場町として栄えた名古屋は、人と物資の交流が活発な場所であった。外郎家が直接名古屋に進出したわけではないが、旅人や商人によって、ういろうの製法や存在が伝えられた可能性は高い。名古屋の地でういろうが定着した大きな転機は、明治時代以降、鉄道網の整備とともに、名古屋駅が東海道本線の主要駅となったことだ。旅の途中で手軽に買える土産物として、ういろうは急速に需要を伸ばしていった。
名古屋の菓子店は、この需要に応える形でういろうの製造に力を入れた。たとえば、青柳総本家は1879年(明治12年)に創業し、駅構内での販売を積極的に行い、名古屋ういろうの代名詞的存在となった。また、大須ういろや餅文総本店といった老舗も、それぞれ独自の製法と味でういろうを広めていった。薬としての「ういろう」が持つ格式高いイメージと、米粉を主原料とするシンプルな蒸し菓子の製法が、名古屋の地で土産物という新たな価値を見出し、定着していったと言えるだろう。
他の銘菓との対比に見る独自性
ういろうが名古屋の銘菓として確立された経緯は、他の地域で発展した菓子と比較することで、その独自性がより明確になる。例えば、京都の八ッ橋は、もともと琴の形を模した堅焼き煎餅として生まれ、後に生八ッ橋が広く知られるようになった。これは、琴という文化的な背景と、京都という観光地が持つブランド力が融合して生まれた菓子と言える。また、福岡の博多通りもんは、洋菓子の要素を取り入れつつ、餡とミルクの組み合わせで現代的な味覚に合わせたことで全国的な人気を博した。これらは、地域固有の文化や、時代に合わせた味覚の変化を巧みに取り入れた例だ。
一方で、ういろうは、その起源に「薬」という異色の要素を持つ点が特徴的である。薬として渡来し、将軍家にも献上されるような格式高い存在であったものが、時を経て庶民的な土産菓子へと変化していった。この「高貴なものから身近なものへ」という変遷は、八ッ橋や通りもんとは異なる軌跡を描いている。八ッ橋が京都の伝統文化を背景に持つように、ういろうもまた、外郎家という渡来人の歴史と、そのもたらした薬という異文化の象徴をその名に刻んでいる。しかし、その製法は米粉と砂糖というシンプルな素材で構成されており、特定の文化的な象徴に強く結びついているわけではない。
この「シンプルさ」が、名古屋という交通の要衝で、多くの人々に受け入れられる土壌を作ったとも考えられる。特定の味覚や文化に偏らず、幅広い層に親しまれる素朴な味わいは、旅の土産として最適な条件を満たしていた。また、名古屋の菓子店が、ういろうを単なる伝統菓子としてではなく、現代の消費者の嗜好に合わせた多様なフレーバーやパッケージで展開していったことも、その普及を後押しした要因として挙げられるだろう。ういろうは、外来の文化が日本に根付き、地域の特性と融合しながら変化していった、ある種の「適応力」を示す菓子と言える。
老舗が守る伝統と新たな試み
現代の名古屋において、ういろうはもはや単なる土産物以上の存在だ。名古屋駅構内や主要な観光地には、青柳総本家、大須ういろ、餅文総本店といった老舗の店舗が軒を連ねる。これらの店では、伝統的な白、黒、抹茶、桜、小豆といった定番の味に加え、季節限定のフレーバーや、一口サイズに個包装された商品など、多様なういろうが販売されている。
たとえば、青柳総本家は「カエルまんじゅう」といったユニークな商品でも知られるが、ういろうの製造においては、米粉の選定から蒸し加減まで、長年の経験に基づく職人の技が息づいている。また、大須ういろは、その名の通り大須商店街に本店を構え、地元の人々に愛され続けている。餅文総本店もまた、江戸時代からの歴史を持つ老舗であり、伝統的な製法を守りながらも、現代のニーズに合わせた商品開発に取り組んでいる。
しかし、伝統的な和菓子産業が直面する課題は少なくない。若年層の和菓子離れや、職人不足といった問題は、ういろう業界も例外ではないだろう。そうした中で、各社はSNSを活用した情報発信や、カフェ業態の展開、他業種とのコラボレーションなど、新たな試みを通じてういろうの魅力を伝えようとしている。例えば、青柳総本家は、ういろうを洋菓子のようにアレンジした「生ういろう」を開発するなど、伝統に縛られすぎない柔軟な姿勢を見せている。こうした努力は、ういろうが単なる懐かしい味としてではなく、常に新しい発見のある菓子として、現代の消費者に受け入れられ続けるための重要な取り組みと言える。
名を継ぎ、形を変える菓子
名古屋のういろうが持つ歴史を辿ると、それは単なる菓子の物語に留まらない。遠く中国から渡来した薬が、日本の地で菓子へと姿を変え、交通の要衝である名古屋で独自の発展を遂げた。この菓子は、異文化の受容と、地域ごとの適応の過程を静かに示している。
薬として「透頂香」と呼ばれたものが、外郎家の名とともに「ういろう」という菓子になり、やがて名古屋の土産として定着した。その過程には、時の将軍の庇護、街道を行き交う旅人、そして地の利を生かした商人の存在があった。現代のういろうは、その製法こそシンプルだが、その裏には数世紀にわたる人々の営みと、文化が交錯する歴史が凝縮されている。名古屋の店先で色とりどりのういろうを選ぶとき、その柔らかな甘みの中に、異国の香りと、日本の風土が織りなした時間の層を感じ取ることができるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- ういろう (菓子) - Wikipediaja.wikipedia.org
- ういろうとは?発祥の歴史や名産地について解説 | 北の菓子 菓風kitanokashi-kafuu.com
- ういろうの歴史|ういろうuirou.co.jp
- ういろう (企業) - Wikipediaja.wikipedia.org
- 観光が好調な小田原、知られざる歴史と文化 「ういろう」の元祖は小田原にある | ビジネス | 東洋経済オンラインtoyokeizai.net
- 銘菓「ういろう」の由来と歴史 ~650年続く老舗の知恵 | 智慧の燈火オンラインchienotomoshibi.jp
- otoriyosetecho.jp
- ういろうの元祖は薬だった?食文化研究家・阿古真理が紐解く、神奈川・富山・滋賀の「思い出のお菓子」3選 2ページ目 | ライフ | 東洋経済オンラインtoyokeizai.net