2026/7/2
嵯峨天皇の夢から始まった「厄神さん」の信仰、門戸厄神東光寺の由緒

門戸厄神 東光寺について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
兵庫県西宮市の門戸厄神東光寺は、嵯峨天皇の夢をきっかけに弘法大師空海が厄神明王像を刻んだことに始まる。愛染明王と不動明王が一体となった仏像が、日本三大厄神の一つとして多くの信仰を集める。
住宅街に現れる「厄神さん」の階段
阪急今津線の門戸厄神駅に降り立つと、駅名そのものが寺の名を冠していることに気づく。そこから住宅街を縫うように歩くこと数分、視界に飛び込んでくるのは、石段が連なる表門だ。関西では「厄神さん」と親しまれるこの寺、正式名称は松泰山東光寺といい、兵庫県西宮市に位置する。年間約100万人もの参拝者が訪れるというこの寺は、なぜこれほどまでに「厄除け」の聖地として知られるようになったのか。その背景には、平安の昔から積み重ねられてきた信仰の歴史と、特定の仏像が持つとされる霊験があった。多くの人々が人生の節目にここを訪れ、その重い願いを託すのは、単なる慣習だけではない、この地に宿る確かな力が理由なのだろうか。
嵯峨天皇の夢と弘法大師の刻印
門戸厄神東光寺の歴史は、平安時代初期の天長6年(829年)に遡る。寺伝によれば、当時41歳の厄年にあった嵯峨天皇が、ある夜不思議な夢を見たことが創建の契機となった。その夢では、愛染明王と不動明王が一体となり、あらゆる災厄を打ち払う姿が現れたという。天皇はその霊験に感銘を受け、弘法大師空海に厄除けの祈願を命じたのだ。
勅命を受けた空海は、嵯峨天皇の夢に現れた愛染明王と不動明王が一体となった「厄神明王像」を三体刻んだと伝えられている。この三体のうち、一体は高野山の天野大社へ、もう一体は山城国の石清水八幡宮へ、そして残る一体がこの門戸厄神東光寺へと勧請された。それぞれの像には、国家安泰、皇家安泰、そして国民安泰の願いが込められたという。
しかし、戦国の世が到来し、度重なる戦乱によって多くの寺社が焼失した際、門戸厄神東光寺の伽藍もまた灰燼に帰した。だが、その焼け跡から、厄神明王像だけは厳然と立ち続けているのが発見されたと伝わる。この奇跡が人々の信仰をより一層深め、以来、この寺の厄神明王像は、空海が刻んだ三体のうち唯一現存するものとして尊ばれるようになったのだ。 こうした由緒が、門戸厄神を「日本三大厄神」の一つと称されるに至らしめた背景にある。
二つの顔を持つ明王の力
門戸厄神東光寺が「厄除けの聖地」として多くの信仰を集めるのは、その本尊である厄神明王の存在に深く関係している。厄神明王は、愛染明王と不動明王という二つの明王が一体となった特別な姿を持つ仏像である。 左側の愛染明王は、人々の愛欲や煩悩を清らかなものに浄化し、深い愛情と慈悲を注ぐ力を持つとされる。対して右側の不動明王は、目に見える悪や内なる煩悩を智慧の炎で焼き尽くし、縛り上げる強い力を持つという。 この二つの異なる性質が一体となることで、厄神明王はあらゆる災厄を打ち払い、厄除開運、家内安全、無病息災、交通安全、商売繁盛など、諸願成就に霊験があるとされているのだ。
寺の境内には、男性の厄年にちなんだ42段の「男厄坂」と、女性の厄年に合わせた33段の「女厄坂」がある。 これらの石段を一段ずつ登ることで、日々の災厄や穢れを落とし、清らかな心で本堂へ向かうという意味が込められている。 参拝者は、この物理的な行為を通して、内面的な厄払いを行う。また、厄除け祈願は年中無休で受け付けており、特に毎年1月18日、19日に行われる「厄除大祭」には、数十万人もの参拝者が関西一円から訪れ、境内は熱気に包まれる。 この大祭では、厄神明王の化身とされる燃え盛る炎で厄を払い除ける護摩祈祷が厳修される。 厄年の概念は、単に災難を避けるだけでなく、人生の節目として自分自身を振り返り、心身を整える機会と捉えられている。 厄除けは、その節目を無事に乗り越えるための心の準備であり、仏様に見守られているという安心感を得るためのものだという住職の言葉もある。
「厄除け」信仰の多様な姿
日本において「厄除け」や「厄払い」は古くから存在する風習であり、門戸厄神東光寺のように特定の仏尊を祀る寺院や、神道に基づく神社など、その形態は多様である。例えば、厄除け大師として知られる川崎大師平間寺(神奈川県)や佐野厄除け大師(栃木県)なども、年間を通じて多くの参拝者を集める寺院だ。これらの寺院は、弘法大師信仰や特定の厄除け本尊を据える点で門戸厄神と共通する。しかし、門戸厄神の特異性は、愛染明王と不動明王という二つの明王が一体となった「厄神明王」を日本で唯一現存する形で祀っている点にある。
また、厄年の概念自体も地域や宗派によって解釈や対象年齢、厄払いの時期に多少の違いが見られる。一般的には数え年で男性は25歳、42歳、61歳、女性は19歳、33歳、37歳が大厄とされ、その前後が前厄・後厄とされている。 厄払いも、お札やお守りを受けるだけでなく、徳島の薬王寺のように階段を下りるごとに小銭を置いて厄を落とすという風習や、節分に餅や豆と一緒に厄をまき、それを他人に拾ってもらうという地方の習俗も存在する。 これらの多様な実践は、人々が「厄」という見えない力に対して、いかに具体的な行動や象徴的な儀式を通して向き合ってきたかを示している。門戸厄神の「男厄坂」「女厄坂」も、単なる物理的な階段ではなく、厄を一段ずつ落とすという象徴的な意味合いを持つ点で、こうした広範な厄除け文化の一端を担っていると言えるだろう。 厄除けの贈り物が「七色のもの」や「肌身離さず持てる長いもの」が良いとされるのも、同様に象徴的な意味合いが強い。
現代に息づく「厄神さん」の風景
今日の門戸厄神東光寺は、古くからの信仰の場としての顔を持ちながらも、現代社会のニーズに応えるべく変化を続けている。境内は、本尊である薬師如来を祀る薬師堂をはじめ、厄神明王を祀る厄神堂、大黒天や愛染明王を祀る大黒堂・愛染堂など、多様な堂宇が点在している。 参拝者は、手水舎で身を清めた後、これらの堂を巡り、それぞれの仏尊に手を合わせる。 厄除け祈祷は毎日受け付けられ、特別祈祷では本堂で直接お祓いを受け、その後一年間の祈祷が行われる。
また、現代的な取り組みとして、遠方からの参拝が難しい人々のためにオンライン祈祷も導入されており、祈祷の様子を動画で視聴できる仕組みも用意されているという。 これは、伝統的な信仰の形を守りつつ、情報技術を活用してより多くの人々に安心を届けようとする寺の姿勢を示している。境内の「厄神龍王」の壁画は、創建1190年を記念して2020年に披露されたもので、全長30メートルにわたる陶板で描かれた龍の姿は、厄除け開運を念じる登竜門として新たな見どころとなっている。 このように、門戸厄神は単に厄除けの祈願を受ける場所であるだけでなく、十三参りや初宮参り、交通安全祈願、さらには人形供養といった様々な人生の節目や願いに応える場として、地域社会に深く根差している。
「厄」が問いかける人生の節目
門戸厄神東光寺を巡る旅は、「厄」という概念が持つ多層的な意味合いを改めて問い直す機会となる。一般に「厄年」と聞けば、災難や不幸が訪れる時期という負の側面が強調されがちだが、寺の住職が語るように、本来「厄」は「役」に通じ、人生における重要な節目、役割の変化を意味する時期として捉えられてきた。 肉体的、社会的な変化が増える時期に、あらかじめ心構えを持ち、身辺を整えるための昔人の知恵が「厄年」という習わしを生んだのだ。
門戸厄神に祀られる厄神明王が、愛染明王の「浄化と慈悲」と不動明王の「悪を打ち払う力」を併せ持つように、厄除けの本質もまた、単に災いを避けるだけでなく、内なる煩悩や外からの困難に立ち向かうための心の準備、そして自己を見つめ直す機会を与えることにある。男厄坂、女厄坂を登り、祈祷を受ける行為は、その象徴的な表れと言えるだろう。現代社会において、厄除けはときに形式的なものと見なされることもあるが、門戸厄神の歴史と信仰の深さは、人々が漠然とした不安に対し、具体的な行動と精神的な支えを求めてきた普遍的な営みを静かに示している。それは、人生の節目に立ち止まり、自らの心と向き合うことの重要性を、時代を超えて伝える場所なのである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 日本三大厄神の一つ 「門戸厄神東光寺」 – 美肌茶房bihadasabo.net
- 西国愛染十七霊場第2番札所・東光寺(門戸厄神)aizen17.net
- 御由緒・歴史:門戸厄神東光寺(兵庫県門戸厄神駅) | ホトカミ - 神社お寺の投稿サイトhotokami.jp
- 門戸厄神(東光寺)hyogo.mytabi.net
- 門戸厄神縁起 - 大阪・兵庫の厄除け厄払いは【門戸厄神】松泰山東光寺mondoyakujin.or.jp
- 境内案内 - 大阪・兵庫の厄除け厄払いは【門戸厄神】松泰山東光寺mondoyakujin.or.jp
- 門戸厄神東光寺 | 【効果絶大】関西エリア(大阪・兵庫・奈良)で厄除け最強寺院・神社5選tokyoheadline.com
- 【門戸厄神 東光寺】厄年は人生の節目・ご住職に聞いた厄除けの心得 – 西宮流 (にしのみやスタイル)nishinomiya-style.jp