2026/6/12
なぜ名古屋・主税町は戦災を免れ、武家屋敷から財界人の邸宅へと姿を変えたのか

名古屋の主税町のあたりについて詳しく教えてほしい。なんかいい感じの街並み。
キュリオす
名古屋の主税町一帯は、江戸時代に武士の居住地として整備された後、明治以降は陶磁器貿易などで財を成した人々の邸宅地へと変貌した。戦災を奇跡的に免れたこの地区は、現在も歴史的な町並み保存地区として景観が守られている。
塀と緑が織りなす静寂の道
名古屋の都心部にありながら、一歩足を踏み入れると、時間の流れが緩やかになる場所がある。東区主税町、白壁、そして橦木町の一帯だ。黒々とした瓦屋根の塀が続き、その向こうには豊かな緑が覗く。電線は地中に埋められ、空はどこまでも高く感じられるだろう。名古屋の街が戦災で焦土と化し、戦後復興の中でダイナミックな都市計画が進められたことを思えば、なぜこの一角だけが時を止めたような表情を見せるのか、その問いは自然と浮かび上がる。
武士の面影から財界人の邸宅へ
主税町の名の由来は、江戸時代初期に遡る。名古屋城築城に伴う「清洲越し」の後、初代尾張藩主・徳川義直に仕えた勘定奉行、野呂瀬主税(のろせちから)がこの地に屋敷を構えたことに始まるとされている。この一帯は、名古屋城の東に位置し、城から遠からず近からずの距離にあったため、石高300石級の中級武士たちの居住地として整備された。広大な屋敷地には、長屋門を構え、黒塀と庭の樹木が連なる景観が形成されていたという。
明治維新により武士の時代が終わりを告げると、かつての武家屋敷地は新たな変化を迎える。広大な敷地と、瀬戸や多治見といった陶磁器の産地への交通の便が良かったことから、この地域は輸出陶磁器産業の一大拠点として発展したのだ。明治後期には、陶磁器の世界的なブランドである「ノリタケ」の前身である森村組を創設した森村市左衛門が邸宅を構え、多くの陶磁器関係者が集住した。
大正から昭和初期にかけては、陶磁器貿易商だけでなく、名古屋を代表する財界人たちが次々と移り住むようになる。彼らは、武家屋敷の地割りを活かしつつ、和風建築と近代洋風建築を融合させた質の高い邸宅を建てた。例えば、トヨタ自動車の創業者である豊田佐吉の弟、豊田佐助の邸宅や、輸出陶磁器商の春田鉄次郎の邸宅などがその代表例だ。 これらの建物は、当時の日本の近代化と経済的繁栄を象徴する存在であり、主税町が単なる武家屋敷町から、時代の変遷とともに新たな富裕層の住宅地へと姿を変えていった過程を物語る。
空襲を免れた偶然と、守り継ぐ意志
名古屋市は第二次世界大戦中、B29による空襲を60回以上受け、市街地の約4分の1が焦土と化した。特に中心部では50%以上の地域が焼失したという。名古屋城の天守や本丸御殿もこの空襲で失われたほどだ。 しかし、主税町を含む白壁・橦木の一帯は、奇跡的に大規模な戦災を免れたのである。 この偶然が、江戸時代からの町割りと、明治以降に建てられた優れた近代建築が残る、現在の独特な町並みを形成する決定的な要因となった。
戦後、急速な復興と都市開発が進む中で、この貴重な町並みを保全しようとする動きが生まれた。1985年、名古屋市は主税町筋、白壁町筋、橦木町筋を中心とした約14.3ヘクタールを「白壁・主税・橦木町並み保存地区」に指定した。 この指定により、地区内の建築物や工作物の新築、増改築、除却などを行う際には、事前に市への届出が義務付けられるようになった。 保存計画では、門や塀は和風の形式に則り、ブロックやフェンスの使用を避け、瓦や銅板葺きの屋根を設けること、電線の地中化を進めることなどが定められている。 これらの規制と助成制度が、歴史的な町並みを維持するための具体的な仕組みとして機能しているのだ。
また、名古屋市はこのエリアを「文化のみち」と名付け、歴史的遺産の保存と活用を推進している。 旧豊田佐助邸や旧春田鉄次郎邸、カトリック主税町教会といった歴史的建造物が一般に公開され、地域の文化拠点として機能している。 電線の地中化は、単に景観を整えるだけでなく、訪れる人々に「タイムスリップしたような」感覚を与える効果も生んでいる。 戦災からの奇跡的な生還と、その後の住民や行政による地道な保存活動が重なり、主税町は名古屋の歴史を肌で感じられる稀有な場所として現在に至る。
異なる保存地区との対比
日本の各地には、それぞれの歴史的背景と地域特性に基づいた町並み保存地区が存在する。例えば、京都の「京町家」に代表されるような、細長い敷地に木造の伝統的な商家が連なる町並みは、職住一体の生活様式と商都としての歴史を色濃く反映している。金沢の「ひがし茶屋街」や「長町武家屋敷跡」は、特定の機能(茶屋、武家屋敷)に特化した景観が特徴だ。また、名古屋市内にも、江戸時代の商家の面影を残す「四間道(しけみち)」や、宿場町の雰囲気を伝える「有松」といった保存地区がある。
これらと比較すると、主税町を含む白壁・主税・橦木地区の町並みは、いくつかの点で際立つ特徴を持つ。まず、その規模である。四間道や中小田井が約2.8ヘクタールであるのに対し、この地区は14.3ヘクタールと広大だ。 これは、江戸時代の中級武士の屋敷地としての地割りがそのまま残り、一区画が数百坪にも及ぶ広さを持っていたことに起因する。
次に、建築様式の多様性である。京都の町家が主に木造の伝統的な和風建築で統一されているのに対し、主税町には江戸時代の武家屋敷の面影を残す長屋門や黒塀に加え、明治から昭和初期にかけて建てられた洋館や和洋折衷の邸宅が混在している。 これは、明治維新後の近代化の中で、陶磁器貿易で財を成した実業家や財界人が、新しい時代の象徴として洋風建築を取り入れた結果だ。彼らは伝統的な日本家屋に西洋の要素を融合させ、独自の建築文化を育んだのである。 このように、主税町は単一の時代や様式に固執することなく、武士の時代から近代の産業勃興期に至る、複数の歴史層が重なり合った町並みを形成している点が、他の保存地区とは異なる。広大な敷地を背景に、異質な文化が混じり合いながらも、全体として静謐な邸宅街としての統一感を保っているのは、この地の歴史的経緯と、そこに暮らした人々の美意識がもたらした結果と言えるだろう。
今も息づく邸宅街の日常
現在の主税町は、歴史的景観を保ちながらも、人々の生活が営まれる住宅街としての姿を維持している。地区内を歩けば、瓦屋根の続く黒塀の先に、手入れの行き届いた庭木が垣間見える。 電線が地中化されているため、空は広く、視界を遮るものがない。 この整備された景観は、都市の喧騒から隔絶されたような静けさを生み出し、訪れる人々に独特の安らぎを与える。
かつての豪邸の一部は、一般に公開される文化施設として活用されている。例えば、「文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)」は、日本初の女優と称された川上貞奴と「電力王」福沢桃介が暮らした邸宅を移築復元したもので、大正ロマンの雰囲気を今に伝えている。 「旧豊田佐助邸」や「旧春田鉄次郎邸」も、当時の財界人の暮らしぶりや建築様式を伝える貴重な存在として、見学が可能だ。 また、明治12年に名古屋で初めて創建された「カトリック主税町教会」は、歴史ある礼拝堂と司祭館が都市景観重要建築物に指定され、地域に溶け込んでいる。
一方で、広大な敷地の維持は容易ではなく、一部ではマンションへの建て替えも進んでいる。 しかし、その際にも保存地区のガイドラインに基づき、門や塀、樹木の一部を残すなど、景観への配慮が求められている。 近年では、歴史と格式あるこの地に、現代の匠の技術を融合させた新たな高級邸宅が建てられる事例も見られる。 これは、単に過去を保存するだけでなく、現代の価値観を取り入れながら、この地の魅力が継承されていく試みと言えるだろう。歴史的な建造物と、そこに住まう人々の営み、そして新しい建築が共存する姿は、主税町が「生きた町並み」であることを示している。
「残された」という事実が語るもの
名古屋の主税町が持つ「いい感じの街並み」は、単に古いものが残っているという事実以上の意味を持つ。それは、都市の発展と破壊、そして再生の過程において、特定の場所がどのような偶然と意図によってその姿を留め得たのか、という問いを静かに投げかける。
名古屋の市街地が広範囲にわたり戦災で失われた中で、主税町一帯が奇跡的に焼け残ったという事実は、この町並みが持つ存在感の根底にある。 その後、失われた都市の記憶を繋ぐように、行政と住民が協働して「町並み保存地区」として指定し、景観を守るための具体的な手立てを講じてきた。 この過程は、歴史的資産が単に「残っていた」だけでなく、「残そうとされた」結果であることを示している。
主税町の町並みが提示するのは、都市の景観が、自然発生的に形成されるだけでなく、時に破壊を免れる「運」と、その後の人々の「意思」によって、その様相を大きく左右されるという現実だ。そして、その意思は、単なる懐古主義に留まらず、近代の生活様式や新しい建築をも包摂しながら、地域固有の価値を再定義し、未来へと繋ごうとする試みを含んでいる。主税町を歩くことは、名古屋の近代史における空白と、そこに刻まれた確かな時間を、五感を通して辿る経験に他ならないだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 白壁・主税・橦木町並み保存地区|名古屋市公式ウェブサイトcity.nagoya.jp
- 主税町c-shintoshi.co.jp
- 主税町 (名古屋市) - Wikipediaja.wikipedia.org
- 主税町長屋門 | ニッポン旅マガジンtabi-mag.jp
- 文化のみちについて:文化のみち橦木館~輸出陶磁器商の館shumokukan.jp
- 主税町の町名の由来;主税町公園・主税町東公園及び町内にある主な建物 | 「洋ちゃん」のひとりごとameblo.jp
- 文化のみちの変遷 - Time Travel in Nagoyatimetravel.network2010.org
- なごや今昔紀行 ≪白壁エリア≫ | 特集 | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」nagoya-info.jp