2026/6/6
川越の「いも」はなぜ江戸で愛された?十三里の甘さの秘密

埼玉の名産物について教えて欲しい。深谷ねぎ以外。
キュリオす
埼玉の名産として知られる深谷ねぎ以外に、川越が「いも」と深く結びついた歴史を辿る。江戸時代、水はけの良い土壌と新河岸川の水運が、川越芋を江戸の食卓へ届け、人気を博した理由を探る。
川越の蔵造りの町並みを歩くと、時の流れがゆるやかになったかのように感じる。黒漆喰の重厚な壁と、軒先に吊るされた暖簾の向こうから、ほのかに甘い香りが漂うことがある。それは、焼き芋や芋菓子からくるものだ。埼玉県の名産といえば深谷ねぎが広く知られるが、この地にはもう一つ、深く根を下ろした「いも」の文化がある。なぜ川越はこれほどまでに芋と結びつき、その甘さが人々の記憶に残り続けているのか。この問いは、土地の歴史と、江戸との密接な関係の中にその答えを求めている。
川越におけるサツマイモ栽培の歴史は、江戸時代中期にさかのぼる。サツマイモが日本に伝来したのは17世紀初頭だが、その栽培が本格的に広まったのは享保の飢饉以降のことである。飢饉に際してサツマイモが救荒作物として注目され、各地で栽培が奨励された。川越藩も例外ではなく、時の藩主である松平朝矩(まつだいらともつね)が、1751年(宝暦元年)頃に現在の三芳町(みよしちょう)竹間沢(たけまざわ)地区でサツマイモの試作を始めたのが、川越芋の本格的な歴史の始まりとされる。
この試作が成功すると、川越藩は積極的に栽培を奨励した。川越の土壌は、火山灰が堆積した関東ローム層と呼ばれる水はけの良い土壌であり、サツマイモの栽培に適していたのだ。さらに、江戸に近接しているという地理的条件が、川越芋の普及に拍車をかけた。当時、江戸の町では焼き芋が大衆の味として人気を博しており、川越から新河岸川(しんがしがわ)や荒川(あらかわ)を利用した舟運で、サツマイモが次々と江戸へと運ばれた。この輸送ルートは「川越いも河岸」と呼ばれ、江戸の食文化を支える重要な動脈となったのである。
川越でサツマイモ栽培が盛んになった背景には、いくつかの要因が重なっている。まず、地理的条件が挙げられる。川越周辺の土地は、前述の通り関東ローム層に覆われ、水はけが良く、サツマイモの生育に適した環境だった。サツマイモは乾燥に強く、比較的痩せた土地でも育つため、当時の農民にとって栽培しやすい作物であったと言える。
次に、江戸という巨大な消費地への近さが決定的な役割を果たした。川越は江戸から陸路で約12里(約48km)と比較的近く、また新河岸川や荒川といった水路が整備されていたため、大量のサツマイモを効率的に輸送することができた。江戸後期には、「栗よりうまい十三里」という言葉が流行した。「十三里」とは、川越から江戸日本橋までの距離が約13里であることに由来し、焼き芋の美味しさを称えるとともに、その産地が川越であることを示唆する言葉でもあった。この言葉は、川越芋が江戸の食文化に深く浸透していた証拠だろう。さらに、川越藩が栽培を奨励し、品種改良にも取り組んだことで、品質の高いサツマイモが安定して供給される体制が整えられた。
サツマイモの産地として全国的に知られるのは、鹿児島県や茨城県である。鹿児島県のサツマイモ栽培は、17世紀初頭に中国から伝来したのが始まりとされ、シラス台地という水はけの良い土壌と温暖な気候が栽培に適している。焼酎の原料としても大量に消費され、その生産量は日本一を誇る。一方、茨城県も広大な畑地と温暖な気候を活かし、紅あずまや紅はるかといった品種を中心に、干し芋の生産が盛んだ。
これらの主要産地と比較すると、川越芋の特徴がより明確になる。鹿児島や茨城が広大なスケールでの栽培と加工品への利用で発展したのに対し、川越芋は「江戸という大消費地への近さ」という地理的優位性と、「高品質な生食用サツマイモ」としてのブランドを確立した点が際立つ。川越芋は、江戸の町で「高級焼き芋」として珍重され、その甘さとホクホクとした食感が人々に愛された。大規模な工業的生産よりも、江戸の食文化に寄り添った「地の利」を活かした点が、川越芋の独自の発展を促したと言えるだろう。
現代の川越においても、サツマイモは重要な存在であり続けている。蔵造りの町並みには、焼き芋専門店や芋菓子を扱う店が軒を連ね、観光客の多くがその甘い香りに誘われる。芋ようかん、芋けんぴ、スイートポテトなど、多様な加工品が生み出され、土産物としても人気が高い。
しかし、栽培面積は全盛期に比べれば減少傾向にある。農業従事者の高齢化や後継者不足は、全国の農業が抱える共通の課題であり、川越芋も例外ではない。それでも、地元の農家や菓子店は、伝統的な栽培方法を守りつつ、新しい品種の導入や加工品の開発に意欲的に取り組んでいる。また、川越市では「川越いも友の会」のような団体が、川越芋のブランド維持と普及活動を行っており、地元の小学校での芋掘り体験などを通じて、次世代への継承にも力を入れている。観光客にとっては、歴史的な町並みと結びついた「いも」の存在が、川越を訪れる大きな魅力の一つとなっているのだ。
川越のサツマイモが今日までその名を残しているのは、単に美味しい作物であったからだけではない。水はけの良い土壌という自然条件、そして江戸という巨大な市場へのアクセスを可能にした水路というインフラ、この二つの要素が、川越芋を特別な存在へと押し上げたのだ。それは、自然の恵みと、人々の生活圏との距離感が、特定の産物をいかに発展させるかを示す具体的な例である。
「栗よりうまい十三里」という言葉が示すように、川越芋は単なる食料を超え、江戸の人々の暮らしに彩りを与えた。現代の観光地としての川越において、芋菓子や焼き芋は、かつての舟運が途絶えた後も、この土地と江戸のつながりを、味覚として、そして記憶として呼び覚ます役割を担っている。川越の町を歩き、甘い香りに包まれるとき、私たちは過去と現在が交錯する、この土地ならではの「いも」の物語に触れているのだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。