2026/6/26
なぜ津のうなぎは日常食?「津ぎょうざ」や「天むす」発祥の地を辿る

三重の津の名物や銘菓を教えて欲しい。
キュリオす
三重県津市は、城下町・宿場町としての歴史と、四つの河川が注ぐ地理的条件から、うなぎが日常食として根付いた。学校給食発祥の「津ぎょうざ」や「天むす」発祥の地でもある津の名物・銘菓を辿る。
城下の道と川が育んだ食の土壌
津の食文化を語る上で、まず言及すべきは、この地が持つ歴史的・地理的な条件である。江戸時代初期、津藩祖・藤堂高虎による城下町の整備は、現在の津の街の礎を築いた。特に、伊勢国と伊賀国にまたがる32万石を治めた津藩にとって、津は政治経済の中心地であった。また、関西方面から伊勢神宮を目指す人々が通る参宮街道の要衝でもあり、多くの旅人が行き交う宿場町として賑わった歴史を持つ。この人の往来が、食文化の発展に大きな影響を与えたのは想像に難くない。
例えば、津が「うなぎの街」として知られる背景には、こうした城下町・宿場町の特性がある。江戸時代からうなぎが津の特産品として記録されていたわけではないが、北から志登茂川、安濃川、岩田川、雲出川という四つの河川が伊勢湾に注ぎ込む地理的条件は、海と川を行き来するうなぎの漁獲に適していた。これにより、庶民の間にもうなぎを食す習慣が根付いていったと推測されている。また、参宮街道を行き交う旅人にとって、うなぎは手軽に滋養を取れる贅沢な食事であり、その需要がうなぎ料理の文化を育む土壌となった。
一方、津の銘菓にも歴史の影は色濃く見られる。「平治煎餅」は、大正2年(1913年)に創業した老舗が手がける笠の形をした卵煎餅である。その形状は、津市の阿漕浦に伝わる「孝子平治伝説」に由来する。病気の母のため禁漁区で魚を捕り続けた漁師・平治が捕らえられた際、浜辺に忘れた笠が証拠となったという悲話から生まれた菓子だという。このように、津の食には、土地の物語や人々の営みが、菓子という形で伝えられてきた側面がある。
偶然と工夫が彩る津の味
津の食が今日の姿になったのは、単なる歴史の積み重ねだけでなく、いくつかの偶然と、それを活かす人々の工夫が重なった結果である。その最たる例が「津ぎょうざ」と「天むす」だろう。
「津ぎょうざ」は、直径15センチメートルという大きな皮で具を包み、油で揚げた餃子である。その起源は意外にも古くからの郷土料理ではなく、1985年頃に津市教育委員会の栄養士と学校栄養職員によって考案された学校給食のメニューに遡る。子どもたちに必要な栄養を効率良く摂取させ、かつ満足感を与えられること、そして給食室で手作りしやすいことを条件に開発されたという。通常の餃子を複数個作る手間を省くため、大きな皮で包んで揚げれば、栄養価も高く、子どもたちも喜ぶという発想から生まれたのだ。これが2008年の津まつりで市民団体によって試験販売されたところ、その見た目のインパクトと懐かしさで大好評を博し、瞬く間にご当地グルメとして市民権を得ることになった。
また、今や名古屋めしの一つとして全国的に知られる「天むす」も、その発祥は津市にある。昭和30年代の初め、津市大門にあった天ぷら定食店「千寿」の初代店主である水谷ヨネが、忙しい夫の昼食として、車エビの天ぷらを切っておむすびの中に入れたのが始まりとされている。これが常連客の間で評判となり、裏メニューから正式メニューへと昇格。1959年頃には天むす専門店として独立するに至った。夫への愛情から生まれた賄い料理が、やがて地域の食文化を代表する一品となったのである。
さらに、津市民のうなぎに対する熱量は特筆に値する。平成17年には市民一人当たりのうなぎ年間消費金額が全国1位になったこともあるほど、津市民にとってうなぎは日常に深く根付いた食べ物である。市内には20軒以上のうなぎ店が軒を連ね、多くが2000円前後でうな丼を提供するなど、手頃な価格帯を維持している。これは、かつて津市がうなぎの養殖に適した土地であり、流通コストを抑えて仕入れられた歴史に由来するとされる。昭和初期には200以上の養鰻業者が存在したが、伊勢湾台風などの影響で現在は養鰻業が衰退し、市内には養鰻池は一つもない。しかし、その食文化と「安く美味しいうなぎが食べられる」という伝統は、市民の間に強く受け継がれているのだ。
各地に見る食の集積と津の独自性
地域に特定の食文化が根付く背景には、共通するいくつかの構造が見られる。例えば、うなぎを例にとると、浜松や名古屋といった他の有名なうなぎどころも、それぞれに歴史や地理的条件が深く関わっている。浜松は浜名湖という豊かな水産資源を背景に養殖業が発展し、うなぎの一大生産地としての地位を確立した。一方、名古屋のひつまぶしは、独自の調理法と食文化が結びつき、広く知られるようになった。
これらと比較すると、津市のうなぎ文化は特異な位置にあると言える。津はかつて養鰻が盛んであったものの、現在は養鰻池が存在しない。にもかかわらず、市民一人あたりのうなぎ消費量が全国トップクラスを誇り、市内には多くのうなぎ専門店が点在する。その最大の理由は、うなぎが「ハレの日」の特別なご馳走であると同時に、「ケの日」の日常食として深く浸透している点にある。他の地域では高級品としてのイメージが強いのに対し、津では手頃な価格で提供されることが多く、これが市民の日常的な消費を支えている。この「日常の贅沢」としてのうなぎは、城下町・宿場町という歴史の中で、比較的豊かな食生活が享受できた土壌があったからこそ育まれたものだろう。焼き方も関西風の腹開き・地焼きが主流で、蒸さずに炭火で直接焼き上げることで、香ばしさと皮のパリッとした食感を特徴とする。
また、「天むす」が名古屋めしとして認識されることが多い中で、その発祥が津市であるという事実は、地域ブランドの形成における流動性を示唆している。名古屋の時計店が津の「千寿」から暖簾分けを受け、名古屋で専門店を開いたことが、天むすを全国区に押し上げるきっかけとなった。これは、発祥の地とブランドが確立される地が必ずしも一致しないという、食文化の広がりにおける興味深い一例である。
「津ぎょうざ」に至っては、その起源が学校給食という、他のご当地グルメとは一線を画す背景を持つ。宇都宮餃子や浜松餃子のように、特定の地域産野菜や豚肉を使用するといった明確な定義があるわけではなく、その最大の特徴は「直径15センチメートルの皮で包み、油で揚げる」という調理法と大きさにある。これは、栄養と満足感を両立させつつ、給食調理の手間を考慮した結果であり、特定の食材に依存しない汎用性が、かえって地域のイベントや飲食店での多様な展開を可能にしたと言えるだろう。
変わる風景と受け継がれる味
現代の津市においても、これらの名物や銘菓は地域に深く根差し、その姿を変えながら受け継がれている。かつて養鰻業が盛んだった津市に養鰻池はなくなったが、市内のうなぎ専門店は20軒以上が営業を続け、その多くが手頃な価格で高品質なうなぎを提供している。年末の仕事納めにうなぎを食べるという市民の習慣も残っており、うなぎは特別な日だけでなく、日常の節目を彩る食として生き続けている。各店舗が独自のタレと焼き加減を守り、津市民はそれぞれに「ひいきの店」を持つのが一般的だという。
「津ぎょうざ」は、学校給食発祥というユニークな背景を武器に、ご当地グルメとしての地位を確立した。2016年には東海・北陸B-1グランプリでゴールドグランプリを獲得し、2024年3月には文化庁の「100年フード」未来の100年フード部門に認定された。市民ボランティアで構成される「津ぎょうざ小学校」や「津ぎょうざ協会」がPR活動を展開し、市内外のイベントに参加するほか、親子料理教室を通じて食育活動も行っている。現在、津市内では30店舗以上で津ぎょうざが提供されており、具材は店舗ごとに異なるため、様々な味を楽しむことができる。
「蜂蜜まん」を販売する「蜂蜜まん本舗」は、昭和28年(1953年)創業以来、津市大門の地で行列ができるほどの人気を保っている。「はちまん」の愛称で親しまれ、焼きたてを求めて県内外から多くの人が訪れる。また、「平治煎餅本店」も大正2年(1913年)創業の伝統を守り、笠の形をした煎餅を製造販売し続けている。店内には喫茶室も併設され、伝統の味を現代のスタイルで楽しむ機会も提供している。
そして、全国的なスナック菓子である「ベビースターラーメン」を製造するおやつカンパニーの本社が津市にあることも、この街の食の多様性を示す一例だろう。即席麺の製造過程で生まれた切れ端を商品化したという、ある種の偶然から生まれたこの国民的スナックは、津市から全国に発信されている。
土地の記憶と食の現在地
津市の名物や銘菓を巡ることは、単に美味しいものを味わう以上の体験となる。そこには、津という土地が持つ多層的な歴史と、それに向き合ってきた人々の具体的な手業が見えてくる。うなぎにしても、天むすにしても、津ぎょうざにしても、その起源は華々しい伝承や壮大な物語ではなく、むしろ日々の暮らしの中の工夫や、ささやかな偶然から生まれている。
うなぎが市民の日常に深く根付いたのは、かつての漁獲の容易さや養鰻業の発展、そして城下町としての経済的な余裕が重なった結果である。養鰻業が衰退した現代においても、その食文化と手頃な価格を維持する努力が、うなぎを津の「ソウルフード」たらしめている。これは、供給源が変化しても、食の価値が地域の人々の間で再定義され、受け継がれることの証左だろう。
また、天むすの発祥が津でありながら、名古屋めしとして全国に広まった経緯は、食の「故郷」が必ずしも唯一の「顔」となるわけではないことを示している。一つの食文化が、異なる場所で新たな文脈を獲得し、発展していく柔軟性がある。そして津ぎょうざの学校給食という出発点は、食が単なる嗜好品ではなく、地域の子どもたちの健康と成長を願う、公共的な視点から生まれることもあるという、食文化の多様な側面を教えてくれる。
津の食は、古くからの伝統と、比較的新しい創造性、そして時には予期せぬ偶然が交差する地点にある。そのどれもが、この土地の風土と、そこで暮らす人々の暮らしに深く結びついているのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 津市にうなぎ店はなぜ多い|津のうなぎ話|津市うなぎおがわunagi-ogawa.com
- 津のうなぎsearchnavi.com
- 伊勢街道ものがたり:三重県・津市 お餅のことなら|九代目・玉𠮷餅店tamakichi9.com
- お土産に絶対喜ばれる三重県津市おすすめスイーツ特集!SWEETSU !! – ページ 3 – Guidoor Media | ガイドアメディアguidoor.jp
- 平治煎餅本店 - 津の時間。(津市観光協会)tsukanko.jp
- 津市のおみやげ「平治煎餅」のほんとうの悲話とは - 殺シ屋鬼司令IIthinkeroid.hateblo.jp
- 津ぎょうざ - Wikipediaja.wikipedia.org
- 津ぎょうざ - 【郷土料理ものがたり】kyoudo-ryouri.com