2026/6/8
湿地から湧き出た湯、あわら温泉の歴史を辿る

福井のあわらの歴史について詳しく知りたい。
キュリオす
福井県あわら市は、明治期に湿地帯で偶然発見された温泉が、鉄道開通により発展した歴史を持つ。別府や城崎とは異なる近代開発の側面を持ち、復興や新幹線延伸を経て現在も進化を続ける。
福井県の北部に位置するあわら市は、その名を聞けば温泉地を思い浮かべる者が多いだろう。しかし、その温泉があの地に湧き出すまでの経緯や、町が形成されていった歴史を辿ると、単なる観光地とは異なる、土地固有の条件と人々の選択が重なり合った様相が見えてくる。なぜこの地が「あわら」という名を冠し、なぜ湯治場として発展したのか。その答えは、かつての湿地帯の風景と、鉄道開通という近代の波の中にあった。
あわら温泉の歴史は、明治時代に入ってから急速に動き出す。それ以前のこの地域は、広大な湿地帯が広がり、水はけの悪い土地であった。近隣の村々では、田畑の用水路を確保するため、試行錯誤が繰り返されていたという。その中で、1884年(明治17年)に、灌漑用水用の井戸を掘っていた際に偶然、熱い湯が噴出したのが始まりとされている。この発見は、当時の地域住民にとっては驚きであり、当初は「奇妙な水」としか認識されていなかったかもしれない。
しかし、この湯が病に効くという評判が広がり始めると、次第に湯治客が集まるようになる。初期の湯治場は簡素なものであったが、1887年(明治20年)には、現在のあわら温泉の基礎となる「温泉場」が整備され、木造の共同浴場が設けられた。この頃から、周辺の村落からは湯治客向けの宿が少しずつ建ち始め、現在の温泉街の原型が形作られていったのだ。地元の記録によれば、この湯は「芦原湯」と呼ばれ、その名が地域の通称として定着していったという。
あわら温泉の発展を決定づけたのは、明治末期から大正時代にかけての鉄道網の整備であった。1911年(明治44年)には国鉄(現在のJR)北陸本線の芦原駅(現在の芦原温泉駅)が開業し、さらに1913年(大正2年)には、福井市と芦原温泉を結ぶ京福電気鉄道(現在のえちぜん鉄道)が敷設された。この鉄道開通は、それまで一部の地元住民や近隣からの湯治客に限られていた温泉地の客層を一変させた。大阪や京都といった京阪神方面からのアクセスが格段に向上し、多くの観光客が訪れるようになったのである。
鉄道の開通は、単に客足を増やすだけでなく、温泉地のインフラ整備にも拍車をかけた。旅館の大型化が進み、娯楽施設も充実。温泉地の魅力が増すにつれて、周辺地域からの移住者も増え、芦原の町は急速に活気付いていった。この時期には、芸妓文化も花開き、北陸有数の歓楽温泉地としての地位を確立していく。鉄道という近代の動脈が、湿地から湧き出た湯の価値を、全国へと繋ぐ役割を果たしたのだ。
日本の温泉地は、その立地や発見の経緯、そして発展の過程において多様な顔を見せる。たとえば、大分県の別府温泉は、古くから湧出する豊富な湯量を背景に、多様な泉質と「地獄めぐり」に代表される観光資源で全国的な知名度を得た。一方、兵庫県の城崎温泉は、平安時代から続く歴史を持つとされ、文人墨客に愛された情緒ある温泉街と、外湯めぐりを中心とした独自の文化を育んできた。
これらと比較すると、あわら温泉の歴史は、より近代的な開発と交通網の整備に強く依存している点が特徴的である。別府のように古くからの湯治文化が深く根付いていたわけでも、城崎のように歴史的な風情が先行したわけでもない。あわらの場合は、明治期に偶然発見された湯が、鉄道という新たな交通手段によって大規模な観光地へと変貌を遂げた。かつて湿地であったという地理的条件が、かえって大規模な開発を可能にした側面もあるだろう。既存の集落に縛られず、新たな温泉地としてゼロから都市計画が立てられたことは、他の伝統的な温泉地とは異なる、ある種の「開拓地」としての性格をあわらに与えたと言える。
昭和に入り、あわら温泉は幾度かの火災に見舞われながらも、その都度復興を遂げ、旅館街は規模を拡大していった。特に1956年(昭和31年)の「芦原大火」は温泉街のほぼ全域を焼失させる甚大な被害をもたらしたが、これを機に大規模な区画整理が行われ、現在の整然とした温泉街の景観が形成された。この復興の過程で、より現代的な観光客のニーズに応えるべく、旅館の設備やサービスも進化していったのである。
近年では、北陸新幹線の延伸に伴い、芦原温泉駅が新幹線の停車駅となり、再び交通の要衝としての役割が注目されている。これは、明治期の鉄道開通がもたらした発展の再来を期待させる動きでもある。しかし、同時に地方の温泉地が抱える課題、例えば観光客の多様化や、施設の老朽化、後継者不足といった問題も顕在化している。あわら市は、これらの課題に対し、伝統的な温泉文化を継承しつつ、新たな魅力を創出するための模索を続けているのだ。
あわらの歴史を振り返ると、そこには常に「変化」と「適応」の物語がある。かつては利用価値の低かった湿地帯から、偶然の発見を契機に湯が湧き出し、それが近代の交通網という外的な要因によって、一大観光地へと押し上げられた。別府や城崎のような古来からの歴史や伝説に彩られた温泉地とは異なり、あわらは比較的新しい時代に、人為的な意図と技術によってその姿を大きく変えてきたと言える。
その変遷は、土地の潜在的な価値が、いかに時代ごとの技術や社会情勢によって引き出され、形作られていくかを示している。あわら温泉は、単なる湯治場ではなく、湿地の記憶と近代の足跡が重なり、その都度、最善の姿を模索してきた地域の記録なのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。