2026/7/2
なぜ灘の酒は「男酒」と呼ばれるのか?辰馬本家酒造360年の歩み

神戸の辰馬本家酒造について詳しく知りたい。
キュリオす
神戸・西宮の辰馬本家酒造は360年以上続く老舗。灘の酒が「男酒」と称される理由を、良質な地下水「宮水」、酒米「山田錦」、そして「丹波杜氏」の技という三つの要素から辿る。
西宮の浜辺に湧く水、その深層へ
神戸と大阪の間に位置する西宮の地で、白鹿の看板を掲げる辰馬本家酒造は、江戸時代初期の寛文2年(1662年)に創業した老舗である。多くの人が「灘の酒」と聞いて思い浮かべるのは、その力強く、しかしどこか洗練された味わいだろう。この「灘の男酒」と称される酒質が、いかにしてこの地で確立され、そして360年以上にわたり連綿と受け継がれてきたのか。辰馬本家酒造の歴史を紐解くと、それは単一の成功要因ではなく、自然の恵み、人の技術、そして時代の流れが複雑に絡み合った結果であることが見えてくる。
西宮の海岸から約1キロメートル内陸に位置する一帯からは、古くから酒造りに最適な水が湧き出していた。これが「宮水」である。その存在が広く認識され、灘の酒造りにおける決定的な要素となるのは江戸時代後期、天保年間まで待たなければならない。しかし、辰馬本家酒造の創業はそれよりもはるか前、宮水が「発見」される以前から、この地で酒を醸し続けていたのだ。一体、何がこの蔵を、そして灘五郷全体を、日本を代表する酒どころへと押し上げたのだろうか。その答えは、単なる水の良さだけでは説明できない、複合的な背景の中に隠されている。
辰馬家が歩んだ360余年
辰馬本家酒造の歴史は、初代辰屋吉左衛門が西宮の邸内で良質な水を得て、清酒の醸造を始めた1662年(寛文2年)に始まる。創業当初の屋号は「辰屋」であった。この頃、すでに西宮の酒は「西宮の旨酒」として都に知られていたという。しかし、灘が全国的な酒どころとして台頭するのは、江戸後期から明治にかけてのことで、それまでの酒造業の中心は、大阪の池田や伊丹であったのだ。
灘の酒造業が飛躍的な発展を遂げる転換点の一つは、江戸への海上輸送路の確立にあった。江戸時代、大阪湾に面した灘五郷は、酒を樽に詰めて船で江戸へ送る「樽廻船」を利用した「下り酒」の主要拠点となる。これにより、灘の酒は巨大な消費地である江戸市場で圧倒的な存在感を示すこととなる。辰馬本家もこの流れに乗り、十代辰馬吉左衛門の時代には、西宮酒造家の総代として江戸積酒造に貢献した記録が残る。
そして、灘の酒の品質を決定づける「宮水」の発見が、その後の灘五郷の運命を決定づけた。天保年間(1830年代後半)、魚崎郷の山邑太左衛門(櫻正宗六代目当主)が、西宮の蔵で造る酒が魚崎の蔵よりも常に優れていることに気づき、その原因が仕込み水にあることを突き止めたとされている。この「西宮の水」が略されて「宮水」と呼ばれるようになり、その優秀性が知られると、灘の各酒造家は競って西宮に井戸を求め、宮水を仕込み水として使うようになった。辰馬本家酒造も1852年には宮水販売部を開設し、その水の供給源としての役割も担ったという。
明治時代に入ると、辰馬本家酒造はさらに多角的な事業展開を見せる。1853年には製樽業を開始し、1861年には製樽工場を開設している。酒造りには欠かせない樽の製造を自社で行うことで、品質管理とコスト削減に繋げたのだろう。また、1917年には株式会社として設立され、1920年には高級酒「黒松白鹿」を発売し、瓶詰商品の先駆けとなった。この頃、辰馬家は酒造業だけでなく、土地開発や金融業、海運業など多岐にわたる事業を手がけ、「辰馬財閥」を形成するに至る。教育事業にも力を入れ、1920年には学校法人辰馬育英会を創設し、甲陽学院中学校・高等学校を開設するなど、地域社会への貢献も果たしている。
戦後、財閥解体によって多くの事業を手放すこととなるが、酒造業を核とした経営は継続された。1982年には創業320周年を記念して「白鹿記念酒造博物館」を開館し、酒造りの歴史と文化を後世に伝える役割も担っている。阪神・淡路大震災(1995年)では多くの蔵が被害を受けたが、辰馬本家酒造もその困難を乗り越え、復興を果たした。この360年以上の歩みは、単なる酒造会社の歴史ではなく、灘五郷の発展そのものと深く結びついているのだ。
灘の酒を育む三つの要素
灘五郷が日本一の酒どころと呼ばれる背景には、水、米、そして人の「技」という三つの要素が深く関わっている。辰馬本家酒造の酒造りも、これらの要素の上に成り立っている。
まず「水」は、灘の酒造りにおいて最も重要な要素の一つである「宮水」に他ならない。宮水は、西宮市の海岸から内陸に約1キロメートルの範囲で湧き出す地下水で、リン、カリウム、カルシウムなどのミネラル分を豊富に含みながらも、酒の品質を損ねる鉄分が極めて少ないという特徴を持つ。これらのミネラルは、麹菌や酵母の増殖を活発にし、発酵を促進する働きがある。これにより、発酵が力強く進み、キレの良い辛口の酒、いわゆる「灘の男酒」が生まれるのだ。宮水の水源は、六甲山系から流れ出る夙川の伏流水が、広大な砂層の三角州を形成した地層を通り抜ける過程で、酒造りに適した成分が付加されることで形成されると考えられている。この自然がもたらす絶妙なバランスが、灘の酒の骨格を形作っている。
次に「米」については、「酒米の王者」と称される兵庫県産の「山田錦」がその中心を担う。兵庫県は山田錦の主要な生産地であり、特に三木市や加東市の一部地域は「特A地区」として、最高の品質を誇る山田錦を産出する。山田錦は、米粒が大きく、米の中心部にあるデンプン質でできた「心白」が発達しているため、麹菌が繁殖しやすいという特性を持つ。この心白に麹菌が深く食い込むことで、酒の旨味と香りの元となる成分が効率よく生成されるのだ。灘五郷の酒蔵は、この良質な山田錦を容易に手に入れることができる地理的優位性を享受してきた。辰馬本家酒造も、兵庫県内の契約農家と連携し、厳選された山田錦を使用している。
そして「技」は、日本三大杜氏の一つに数えられる「丹波杜氏」の存在に集約される。丹波杜氏は、現在の兵庫県篠山市(丹波篠山市)出身の酒造工集団で、その起源は18世紀後半に遡る。彼らは、農閑期に酒造りの出稼ぎに出て生計を立てており、その勤勉さと高度な酒造技術は高く評価された。灘五郷の酒造りが大きく発展するにつれて、多くの丹波杜氏がこの地に進出し、彼らが確立した「丹波流」と呼ばれる技術が、灘の酒の品質を支えた。特に、冬の厳しい寒さを利用して酒を仕込む「寒造り」は、六甲山から吹き降ろす冷たい風「六甲颪」と共に、安定した低温環境での発酵を可能にし、キレのある酒質を生み出す上で不可欠な要素であった。辰馬本家酒造では、「酒は造るものではなく育てるもの」という信念のもと、杜氏と蔵人たちが麹や酵母の成長を見守りながら酒造りにあたっている。この職人たちの経験と情熱が、灘の酒の伝統を未来へと繋いでいるのだ。
異なる風土が育む酒の個性
日本には、灘五郷以外にも伏見(京都府)や西条(広島県)といった著名な酒どころが存在し、これらは一般に「日本三大酒どころ」と称される。それぞれの地域が、その風土と歴史に根ざした独自の酒質を育んできた。灘の酒造りにおける特徴をより深く理解するためには、これら他の地域との比較が有効である。
灘の酒は、前述の通り「男酒」と評されることが多い。これは、宮水という硬水を用いることで、酵母の活動が活発になり、発酵が速く進む結果、キレが良く骨格のしっかりとした辛口の酒が生まれるためである。発酵期間が比較的短く、醪(もろみ)の日数も短めになる傾向があるという。この力強い酒質は、食中酒として日本の多様な料理、特に味の濃いものや脂の乗った料理との相性が良いとされる。江戸時代には、長期輸送に耐えうる堅牢な酒質が求められたことも、この「男酒」の特性が重宝された一因だろう。
一方、京都の伏見で造られる酒は「女酒」と形容されることが多い。伏見の地下水「伏水」は、中硬水から軟水が多く、ミネラル分が灘の宮水と比較して穏やかである。この水で仕込まれた酒は、やわらかく、なめらかで上品な口当たりが特徴となる。発酵が比較的ゆっくりと進むため、繊細で芳醇な香りを持ち、飲みやすい酒質になりやすい傾向がある。伏見の酒は、明治以降、女性にも好まれる酒として人気を集め、全国ブランドを多数輩出してきた歴史を持つ。
広島の西条は、近代酒造りの発展地として知られる。明治時代に三浦仙三郎によって軟水醸造法が確立されたことで、吟醸酒文化の発祥地となった。西条の酒は、灘の力強さや伏見の優雅さとは異なり、バランスの取れた幅広い酒質が特徴とされる。吟醸酒造りに適した軟水と、吟醸造りの技術に長けた広島杜氏の存在が、西条の酒の多様性を生み出している。西条では、JR西条駅周辺に酒蔵が集中しており、徒歩で複数の蔵を巡れる「酒蔵通り」が観光資源となっている点も特徴的である。
これらの比較から見えてくるのは、単に水質が酒の個性を決定するだけでなく、気候風土、杜氏の技術、そして時代の要請といった複数の要素が複合的に作用し、それぞれの地域の酒文化を形成してきたという事実である。灘の辰馬本家酒造が「白鹿」という銘柄を通して築き上げてきた辛口で骨格のしっかりした酒質は、宮水という硬水、山田錦という酒米、そして丹波杜氏の技、さらには江戸への海上輸送という物流の利点が組み合わさって生まれた、まさにその土地固有の回答なのである。
いま、西宮郷で育まれる酒
現代において、辰馬本家酒造は360年以上の歴史を背負いながらも、その歩みを止めることなく進化を続けている。代表銘柄である「白鹿」は、今も多くの人々に親しまれる存在である。兵庫県西宮市の西宮郷に位置する同社は、伝統的な酒造りの技法を守りつつも、最新の技術導入にも積極的だ。例えば、食品安全マネジメントシステムの国際規格であるFSSC22000やISO22000の認証を取得しており、品質管理への厳格な姿勢がうかがえる。
辰馬本家酒造が掲げる企業理念の一つに「酒は造るものではなく育てるもの」という言葉がある。これは、麹や酵母の活動を最大限に引き出し、愛情を込めて酒を醸すという、同社の酒造りに対する真摯な姿勢を表している。杜氏の小川義明氏をはじめとする蔵人たちは、この信念のもと、伝統的な白鹿の旨みのある味わいを守りながらも、香りのある酒を造るなど、新しい挑戦も続けている。2025年には、360年にわたる酒造りの粋を結集した純米大吟醸酒「HAKUSHIKA 六光年」を発売しており、選び抜かれた兵庫県産山田錦を使い、すべての工程を手作業で丁寧に醸し出すという。これは、伝統と革新を両立させようとする同社の取り組みの象徴とも言えるだろう。
また、辰馬本家酒造は、酒造業に留まらない多角的な事業展開を続けている「白鹿グループ」の中核を担う。教育事業では甲陽学院中学校・高等学校を運営し、文化事業としては「酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館)」を通じて酒造りの歴史や文化を伝えている。この博物館は、創業320周年を記念して1982年に開館し、日本の生活文化遺産である酒造りの歴史を後世に残すことを目的としている。2024年12月には、「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録され、同博物館ではこれを記念した特別展示も開催されている。
現代の日本酒市場は、多様なニーズに応えるべく変化している。辰馬本家酒造も、若年層や日本酒に馴染みのない層に向けて、スタイリッシュなボトルデザインの「おづシリーズ」を展開したり、日本酒と料理のマリアージュを提案するセミナーを開催したりと、新しい日本酒の楽しみ方を積極的に提案している。また、コロナ禍を経て「米を笑いに」というスローガンを掲げ、日本酒を通してお客様を笑顔にするという存在意義を再確認したという。地域社会との連携も深め、西宮市が推進する「日本酒振興プロジェクト」に参加し、蔵を開放して新酒を振る舞うイベントにも協力している。
このように、辰馬本家酒造は、過去の栄光にあぐらをかくことなく、常に「次代を指向する企業」として、伝統の継承と新たな価値創造の両面から、日本酒文化の未来を育んでいるのだ。
土地の恵みと人の意志が織りなすもの
辰馬本家酒造、そして灘五郷の酒造りの歴史を辿ると、特定の条件が偶然に重なり合った結果として、その地位が確立されたことが理解できる。西宮に湧き出す宮水、良質な山田錦が育つ兵庫の土壌、そして丹波杜氏の優れた技術、さらには江戸という巨大消費地への海上輸送ルート。これら一つでも欠けていれば、今の灘の酒は存在しなかったかもしれない。
しかし、これらの要素は単に与えられたものではなく、それぞれの時代において、人々の選択と努力によって最大限に活かされてきた。山邑太左衛門による宮水の「発見」は、単なる偶然ではなく、酒質の差異に対する探求心と観察力の賜物であり、その後の酒造家たちが競って宮水を利用したことも、水の持つ可能性を信じる「意志」の表れである。また、丹波杜氏の技術は、厳しい自然環境の中で生き抜くための「勤勉さ」と「創意工夫」から生まれたものであり、彼らが灘五郷に集結したことは、より良い酒を求める蔵元と、技術を発揮する場を求める職人との「出会い」がもたらした結果と言える。
辰馬本家酒造の360年以上の歴史は、まさにその繰り返しであった。財閥解体や阪神・淡路大震災といった大きな苦難を経験しながらも、酒造りという本業を守り、教育や文化事業を通じて地域社会との繋がりを深めてきた。彼らは「酒は造るものではなく育てるもの」という言葉に、自然の恵みを最大限に引き出し、それを未来へと繋ぐという、静かで確固たる決意を込めている。
灘の酒が「男酒」と称されるその力強いキレの良さは、単に硬水である宮水がもたらす物理的な特性だけではない。それは、厳しい自然環境と向き合い、巨大な市場の要求に応え、そして困難を乗り越えてきた、この土地と人々の「意志」が醸し出した味わいなのかもしれない。西宮の地で今も続く酒造りの営みは、自然の恩恵と、それを活かし、育てる人間の営みが織りなす、歴史の層の厚さを物語っている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 辰馬本家酒造 - Wikipediaja.wikipedia.org
- 江戸下り酒文化伝承の地「新川」で店を構える「辰馬本家酒造」さん、東日本支店長にインタビューしました! by New River | 中央区観光協会特派員ブログtokuhain.chuo-kanko.or.jp
- 灘の宮水で醸される清酒「白鹿」。江戸時代の創業から360年にわたり受け継がれた日本酒造りの魅力とは?|たのしいお酒.jptanoshiiosake.jp
- 辰馬本家酒造(株) | 兵庫県 | 酒蔵検索japansake.or.jp
- 白鹿 HAKUSHIKA|辰馬本家酒造株式会社hakushika.co.jp
- 年表|白鹿 HAKUSHIKA|辰馬本家酒造株式会社hakushika.co.jp
- 「灘の生一本」の起源はご神託にあった?!─ 灘酒と3つの神社の関わり | 日本酒専門WEBメディア「SAKETIMES」jp.sake-times.com
- 日本一の酒どころ神戸「灘五郷」で酒蔵巡り!灘の魅力や酒造りの歴史をご紹介 - 酒みづきsawanotsuru.co.jp