2026/6/5
赤城・榛名・妙義の三山、前橋を囲む地形の成り立ちとは

前橋は、赤城山、妙義山、榛名山に囲まれている。どう言う地形的な成り立ちなのか?
キュリオす
前橋市は赤城山、榛名山、妙義山の三つの山に囲まれている。本記事では、これら上毛三山の火山活動と、関東平野の地殻変動、河川による浸食・堆積作用が複雑に絡み合い、前橋の地形が形成された過程を辿る。
前橋市に立つと、北に赤城山、西に榛名山が、そして南西には妙義山が遠望できる。それぞれの山容は異なり、赤城は裾野を広げた雄大な姿、榛名は幾重にも峰を重ねた穏やかな表情、妙義は垂直に切り立つ岩峰の連なりを見せる。なぜこれほど個性豊かな三つの山が、一つの平野を囲むように並び立つのか。この風景は単なる偶然ではない。悠久の時を経て、地球内部の力と、水の浸食が織りなした壮大な物語が、前橋の足元に刻まれているのだ。
前橋が位置する関東平野は、約500万年前から続く「関東造盆地運動」と呼ばれる地殻変動によって形成された巨大な堆積盆地である。周囲の山地が隆起する一方で、中央部が沈降し続けるこの運動は、現在も進行中だ。その沈降する盆地の北西縁に、上毛三山は位置する。
まず、赤城山と榛名山は、ともに巨大な成層火山として形成されてきた。赤城山は、約39万年前の真岡軽石の噴出に始まり、現在の最高峰である黒檜山を上回る火山体が形成されたと考えられている。約20万年前には大規模な山体崩壊を起こし、岩なだれ堆積物を形成した。その後も噴火を繰り返し、約10万年前から7.5万年前の間には深山カルデラ、さらに約4.5万年前には湯ノ口軽石の噴出に伴い、大沼や小沼を抱く山頂カルデラが形成された。カルデラ内には地蔵岳や長七郎山といった中央火口丘が形成され、その活動は約2万4千年前には終息したとされている。
一方の榛名山も、約50万年前頃から火山活動を開始し、古期榛名火山と呼ばれる成層火山体を形成した。約20万年間の休止期を経て、約5万年前に再び活動を活発化させ、八崎軽石や室田火砕流の噴出によって山頂火口が拡大し、榛名カルデラが形成された。カルデラ内には榛名富士や相馬山、水沢山などの溶岩ドームが形成され、特に6世紀中頃には大規模な噴火が発生し、大量の降下軽石や火砕流が山麓に到達した。この噴火によって、古墳時代の集落が埋没した黒井峯遺跡などが知られている。
妙義山は、赤城山や榛名山とは異なる成り立ちを持つ。約500万年以上前に活動を終えた「古妙義火山」の遺構であり、その特徴的な奇岩群は、火山活動後に周囲の柔らかい地層が浸食され、緻密で硬質な溶岩や貫入岩体が残された結果である。約300万年前までの本宿カルデラを形成した火山活動の産物とも言われ、その後の浸食作用が現在の荒々しい山容を形作ったのだ。
前橋の地形を特徴づけるのは、これらの山々が生み出した膨大な量の火山噴出物と、それが堆積してできた扇状地である。赤城山と榛名山は、繰り返し発生する噴火によって溶岩流や火砕流、火山灰を放出し、山麓に広大な火山麓扇状地を形成した。前橋市街地が広がる「前橋台地」は、主に利根川と、これら両火山からの堆積物が合わさって形成された複合扇状地である。特に約2万4千年前の浅間山の山体崩壊で発生した「前橋泥流」が堆積したことで、台地面のほとんどが平坦になったと考えられている。
この扇状地の形成は、利根川の流れにも大きく影響を与えた。かつての利根川は、現在の広瀬川や桃ノ木川の流路を本流としていた時代もあったが、火山噴出物による地形の変化や、大洪水による流路の変遷を経て、現在の流路になった。河川が山間部から平野に出る地点では、勾配が緩やかになることで運搬力が低下し、土砂が堆積して扇状地が形成される。上毛三山から流れ出る河川、特に利根川水系は、これらの火山活動によって供給された大量の土砂を運び、前橋周辺に広大な堆積面を築き上げたのだ。
また、関東平野全体が沈降し続ける「関東造盆地運動」の只中にあったことも、前橋の地形形成において重要である。盆地が沈降することで、山々から供給される土砂を受け止める空間が生まれ、厚い堆積層が形成されていった。この地殻運動と火山活動、そして河川による浸食・堆積作用が、複雑に絡み合いながら、現在の前橋を取り巻く独特の地形を形作っていったのである。
日本列島は火山活動が活発な地域であり、火山によって形成された平野や盆地は各地に存在する。例えば、九州の阿蘇カルデラ内には広大な平野が広がり、火山の恵みと脅威が共存する独特の景観を呈している。また、東北地方の那須火山群の麓にも、山体崩壊によってできた那須高原のような広大な地形が見られる。しかし、前橋周辺の地形は、これらの例とは異なる特異性を持つ。
阿蘇や那須が主に単一の火山群によって形成された広がりであるのに対し、前橋を取り巻くのは、赤城と榛名という二つの巨大な複成火山と、それらとは地質学的起源が異なる妙義山という、三者三様の山々である。特に赤城と榛名は、それぞれが独立した活動史を持ちながら、その噴出物が関東平野の北西縁で合流し、前橋台地という広大な扇状地を形成した点に特徴がある。
さらに、妙義山のような浸食によって形成された奇岩の山が、二つの火山性の山と並び立つ景観は珍しい。妙義山は、緻密な安山岩が数百万年かけて浸食された結果であり、その荒々しい姿は、火山岩の性質と浸食の力の対比を如実に示している。このように、活動時期や形成メカニズムの異なる三つの山が、関東平野の沈降域という共通の舞台で、それぞれの個性を際立たせながら並び立つ構図は、地質学的に見ても多様性に富んでいる。
関東平野自体も、日本最大の規模を持つ平野でありながら、その形成に火山灰の堆積が大きく寄与している点で特異だ。プレートの衝突によって生じる地殻の歪みと、それに伴う火山活動、そして河川による土砂運搬が複合的に作用し、現在の広大な地形が生まれたのである。前橋の周囲の山々は、この広大な平野の形成史と密接に結びついており、単なる風景の一部ではなく、関東平野という巨大な地形システムの構成要素として捉えることができる。
現代の前橋市は、これらの複雑な地質学的背景の上に成り立っている。市街地を縦断する利根川は、赤城山と榛名山の間に挟まれた地形を通り抜け、前橋台地を潤している。かつて利根川の本流であった広瀬川は、現在も市内に豊かな水環境をもたらし、市民生活に深く根ざしている。
赤城山南麓に広がる緩やかな斜面は、火山砕屑岩層と関東ローム層からなり、古くから集落が発達してきた。これらの火山灰土壌は、肥沃であると同時に、水はけが良いという特性も持ち合わせている。また、榛名山の噴火によってもたらされた軽石層は、現在も伊香保温泉周辺で軽量ブロック材や園芸用土として採掘されるなど、地域の産業に活用されている。
一方で、火山活動は過去の災害の記憶も刻んでいる。1783年の浅間山の大噴火では、吾妻川を下った泥流が利根川を経て前橋市川原町付近にまで達し、厚い泥の堆積物を残した記録がある。このような歴史は、現代においても治水や防災の課題として意識され、利根川の河川整備や土砂管理に生かされている。上毛三山の存在は、前橋の人々にとって、単に美しい景観を提供するだけでなく、生活の基盤を形成し、過去から現在、そして未来へと続く土地との対話を促す存在であり続けている。
前橋を取り囲む赤城、榛名、妙義の三つの山は、それぞれが異なる地質学的時間を内包している。赤城と榛名が、数十万年から数万年という比較的「新しい」火山活動によってその姿を大きく変えてきたのに対し、妙義山は数百万年という「古い」火山の、浸食によって削り出された骨格を今に見せている。この時間の差が、三つの山それぞれの独特な山容を生み出した根源にあるのだ。
私たちは日常の風景としてこれらの山並みを見上げるが、その背後には、地球の活動と水の力が、途方もない時間をかけて地形を彫り続けてきた歴史が横たわっている。前橋の平坦な台地は、その山々が放出した膨大な量の土砂が、関東平野の沈降という大きな地殻運動の中で堆積し続けた結果である。見慣れた山々が、実はそれぞれに異なる物語を持ち、それが重なり合って一つの都市の足元を形作っているという事実は、足元の地面を見つめる視点を少しばかり変えるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。