2026/6/8
白山で栃餅が名物になったのはなぜ?縄文時代からの知恵

白山で栃餅が有名な理由は?
キュリオす
白山地域で栃餅が名物となった背景には、縄文時代から続く栃の実の利用、豪雪地帯での食料確保の必要性、そして栃の実のアク抜きという手間のかかる技術の継承がある。厳しい自然環境を生き抜く人々の知恵が詰まった郷土食である。
霊峰白山の懐深く、手取川の清流が流れる白峰地域を訪れると、土産物店や道の駅の軒先に「栃餅」の文字を見かける。黒みがかった素朴な餅は、口に含むと独特のほろ苦さが広がり、どこか懐かしさを覚える風味だ。米どころ石川にあって、なぜこの山深い地で、これほどまでに栃餅が郷土の味として根付いたのだろうか。その背景には、厳しい自然環境と、それを生き抜くための人々の知恵と工夫が織り込まれている。
栃の実が日本の食文化に登場するのは、遠く縄文時代に遡る。縄文時代の遺跡からは、ドングリと共に栃の実が多数出土しており、当時の人々にとって貴重な主食の一つであったと考えられているのだ。 特に、白山麓のような山間地域では、平地が少なく米の栽培が困難であったため、栃の木は人々の暮らしを支える重要な食料源だった。白峰地域では、古くからヒエやアワといった雑穀と共に栃の実を煮て「栃粥」として食す文化があり、米が貴重だった時代には、祭りや正月といった「ハレの日」の「ごちそう」として栃餅が作られてきたという。
この地では、かつて「出作り」と呼ばれる焼畑農耕が営まれてきた歴史がある。 山中で季節的に滞在し、そこで採れる自然の恵みを活用する生活様式の中で、大量に収穫できる栃の実は、長期保存が可能な澱粉源として重宝された。現代に続く栃餅の文化は、まさにこうした山村の暮らしと密接に結びつき、何世紀にもわたって受け継がれてきた知恵の結晶なのである。白山市白峰には、幹周り約12.7メートル、樹齢1300年とされ、日本最大ともいわれる国の天然記念物「太田の大トチノキ」がそびえ立つ。 この巨木は、この地域がいかに古くから栃の木と共に歩んできたかを静かに物語っている。
白山地域で栃餅が名物となった理由は、いくつかの地理的・歴史的要因が複合的に作用した結果だと言える。まず、この地域の地形が栃の木の生育に適していたことが挙げられる。栃の木は河岸段丘のような適度に湿った肥沃な土壌を好み自生するとされ、白峰地区にはそのような地形が多く分布しているのだ。 結果として、安定的に大量の栃の実を確保できる環境がそこにあった。
次に、この地が日本有数の豪雪地帯であったことが、栃の実の重要性を高めた。冬の間、雪に閉ざされ孤立を強いられた山村では、食料の確保が生命線となる。栃の実はデンプンを豊富に含み、適切な処理を施せば長期保存が可能であるため、厳しい冬を乗り切るための貴重なエネルギー源となったのだ。
しかし、栃の実はそのままでは強い苦味や渋味(サポニンやタンニン)を含み、食用には適さない。 これを取り除く「アク抜き」の工程こそが、白山の栃餅文化を特徴づける最大の要因である。アク抜きは非常に手間と時間を要する複雑な作業であり、その方法は地域や家々で代々受け継がれてきた。一般的な工程は、まず収穫した実を数日間水に浸けて虫を殺し、その後1ヶ月ほど天日干しして皮を乾燥させる。 次に加熱して皮を剥き、さらに10日間ほど流水にさらし、木灰で作った灰汁と共に煮る。 二晩寝かせた後、さらに水洗いをしてようやく食用となる。 この気の遠くなるような作業は、アクの抜き加減一つで味が大きく変わるため、長年の経験と熟練の技が不可欠だ。 この複雑なアク抜き技術が、この地で代々継承されてきたからこそ、栃の実が実用的な食料として定着し、栃餅という形になったのである。
栃餅は、白山地域だけでなく、日本各地の山間部、例えば山形、福島、新潟、長野、岐阜、京都、奈良、鳥取などでも郷土食として親しまれている。 これらの地域に共通するのは、平地の少ない山村において、米に代わる、あるいは米を補完する食料源として、栃の実が活用されてきたという背景である。
しかし、その加工方法や食し方には地域ごとの多様性が見られる。栃の実のアク抜き一つをとっても、白山周辺地域では、熱い灰汁の中に実を投入する「煮合わせ」や、加熱時間が短い「ビックリ合わせ」といった方法がある。 また、奈良県下北山村では、一度目の「アク灰」で苦味を抜き、二度目の「クイ灰」で香りを出すという二段階の灰汁づけを行うなど、独特の工夫が凝らされている。
食べ方にも違いがある。山形県や鳥取県では、栃餅をお正月の雑煮に入れる習慣がある一方、岐阜県や栃木県では、あんこ入りの栃餅をおやつやお土産として食すスタイルが主流だ。 また、かつての山村では、貴重な米を節約するため、餅米よりも栃の実の割合を多くした餅が作られていたが、現代では風味を重視し、餅米の割合を増やす傾向にあるという。 白山の栃餅は、このような多様な栃の実利用文化の中で、特にその豊かな自生環境と、雪深い冬を生き抜くための食料としての重要性、そしてそれを支える熟練のアク抜き技術によって、独自の存在感を放っているのだ。
今日、白山麓の栃餅は、かつてのように各家庭で日常的に作られる機会は減少している。アク抜きの膨大な手間と、灰汁に使う木灰の入手が困難になったことが主な理由である。しかし、この伝統の味を絶やすまいと、いくつかの菓子店や土産物店が栃餅の製造販売を続けている。白山市白峰にある「志んさ本舗」などがその代表例で、店内の調理場で手作りされた栃餅を通年で提供している。 白山麓の特産品を扱う「白峰特産品販売施設 菜さい」などでも、栃餅は主要な商品の一つとして並ぶ。
現代の栃餅は、素朴な味わいの中に栃の実特有のほろ苦い風味を活かしつつ、あんこを入れたものや、きな粉をまぶしたものなど、様々な形で楽しまれている。 しかし、この伝統食を取り巻く環境は決して安泰ではない。近年、気候変動の影響で栃の実の不作が増えたり、木材としての価値が高まった栃の木の伐採が進んだりすることで、原材料の確保が難しくなっているという声も聞かれる。 それでも、白山麓の人々は、この山の恵みを次世代に伝えようと、栽培や加工技術の継承に努めている。栃餅は単なる菓子ではなく、豪雪地帯で育まれた人々の生活の知恵と、自然への畏敬の念が凝縮された、生きた文化遺産なのである。
白山で栃餅が特別な意味を持つのは、それが単なる地域の名産品に留まらないからだ。口にしたときに感じるほろ苦さは、栃の実が持つアクそのものであり、同時に、それを食用に変えるために費やされた途方もない時間と労力、そして連綿と受け継がれてきた知恵の象徴でもある。
かつて食料に乏しかった山村で、人々は有毒な実から澱粉を取り出す複雑な技術を編み出し、それを世代を超えて伝えてきた。この「アク抜き」の工程は、縄文時代から続く、自然と対話し、その恵みを最大限に引き出すための実践的な科学だったと言える。現代の私たちは、その苦味の奥に、厳しい自然環境と向き合い、粘り強く生き抜いてきた先人たちの静かな営みを感じ取ることができるだろう。栃餅は、白山の豊かな自然と、そこに暮らした人々の知恵の歴史を、今に伝える確かな手がかりなのである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。