2026/6/2
大洗はいつからリゾート地になった?鉄道と海水浴の歴史

大洗の町の歴史を詳しく知りたい。リゾート地だったのか?
キュリオす
明治期に鉄道が開通し、海水浴場として整備された大洗は「海の別荘地」として発展しました。温泉のような明確なコンテンツはないものの、静かな保養地として、また時代ごとのリゾート概念の変化に対応しながら、現在の多様な観光地へと姿を変えてきました。
大洗の海岸に立つと、太平洋の広がりが眼前に迫る。鹿島灘の荒々しい波が打ち寄せ、その音は常に町の背景にある。この地が、かつては遠浅の砂浜が広がる漁村であったことを、現代の整備された港や賑わう観光地からは想像しにくいかもしれない。しかし、その変貌の過程には、鉄道の開通、海水浴の普及、そして特定の時代の「リゾート」という概念が深く関わっている。大洗は一体どのような経緯で現在の姿になったのか。その問いは、日本の近代における地方都市の発展モデルの一端を映し出している。
大洗が、近代的な観光地としての歩みを始めたのは、明治時代後期に鉄道が延伸されたことが大きな契機となる。1898年(明治31年)、水戸から磯浜(現・大洗町磯浜町)まで常磐線の支線である水戸鉄道(後の水浜線、廃止)が開通したことで、この地の様相は一変した。それまでの大洗は、漁業と農業が主体の静かな村であったが、鉄道が敷かれることで、東京や水戸といった都市部からのアクセスが格段に向上したのだ。この時期、日本の都市部では海水浴が健康法として注目され始め、各地で海水浴場が開設されていた。大洗もその流れに乗り、遠浅の美しい砂浜が海水浴場として整備され、多くの人々が訪れるようになった。特に、水戸藩ゆかりの地であること、そして広大な松林が防風林として海岸線に連なっていたことから、都市の喧騒を離れた「海の別荘地」としての魅力が喧伝された。大正から昭和初期にかけては、旅館や貸別荘が建設され、夏になると多くの避暑客で賑わったという。この時代の「リゾート」とは、現代のような大規模な複合施設を指すものではなく、むしろ自然の景観と静かな環境を提供する保養地としての性格が強かったのである。
大洗の発展には、海水浴場の開設と鉄道の開通という観光的要素に加え、複数の歴史的・地理的要因が重層的に絡み合っている。まず、この地には古くから「大洗磯前神社」が鎮座し、信仰の拠点として栄えてきた。特に、平安時代に常陸の国司によって創建されたと伝わるこの神社は、江戸時代には水戸藩主からも篤い信仰を集め、地域に一定の集客力をもたらしていた。次に、地理的条件として、鹿島灘に面した恵まれた漁場がある。明治以降、漁業は近代化され、大洗港は漁業基地としての機能を強化していく。昭和初期には、国の重要港湾に指定され、漁業だけでなく、商業港としての発展も視野に入れられていた。
さらに、大洗の歴史を語る上で見過ごせないのが、軍事拠点としての側面である。第二次世界大戦中、大洗は本土防衛の要衝として、また、特攻兵器「回天」の訓練基地が設置されるなど、軍事色が強かった時期がある。この時代には、多くの兵士や関係者が駐留し、町の構造や人々の生活にも大きな影響を与えた。戦後、これらの軍事施設は解体されたが、その痕跡は今も町の片隅に残されている。このように、大洗は単なる観光地としてではなく、信仰の場、漁業の拠点、そして軍事要塞といった複数の顔を持ちながら、それぞれの時代で異なる役割を担ってきたのだ。これらの要素が複雑に絡み合い、現在の町の景観や文化を形成していると言える。
大洗が経験してきた「リゾート地」としての変遷は、日本の観光開発史における一般的な傾向と異なる点がある。例えば、熱海や箱根といった全国的な温泉地や景勝地は、江戸時代から湯治場や保養地として知られ、明治以降は鉄道網の整備とともに、大規模なホテルや娯楽施設が建設され、大衆的なリゾート地へと発展していった。これらの地域では、自然の景観に加え、温泉という明確な「コンテンツ」があったことが強みとなった。また、湘南地域のように、東京からのアクセスが良い海岸線は、別荘地やマリンスポーツの拠点として独自の発展を遂げた。
一方、大洗の場合、初期の「海の別荘地」としての性格は、あくまで水戸や東京からの避暑地、海水浴場としての位置づけであった。温泉のような明確なキラーコンテンツはなく、その魅力は「静かなる保養地」という点にあった。しかし、戦後の高度経済成長期に入ると、日本のリゾート開発は、ゴルフ場、スキー場、テーマパークなどを擁する大規模な複合施設へと向かう。大洗も、そのような流れの中で、既存の海水浴場や漁港の機能を維持しつつ、マリンタワーやアウトレットモールといった新たな観光施設を導入していった。これは、古くからの保養地が、現代的な「体験型リゾート」へと変貌しようと試みた例と見ることができる。しかし、その過程で、かつての静謐な別荘地の面影は薄れ、より多様なニーズに応える観光地へと性格を変えていったのである。大洗の事例は、日本の地方都市が、時代ごとの「リゾート」概念の変化にどのように対応してきたかを示す一例と言えるだろう。
現在の茨城県大洗町を訪れると、多様な観光資源が混在していることに気づく。鹿島灘に面した海水浴場は、夏には多くの家族連れで賑わい、大洗サンビーチとして親しまれている。その隣には、大型フェリーが発着する大洗港があり、北海道への玄関口としての役割も担う。港周辺には、新鮮な海の幸を提供する飲食店が軒を連ね、観光客の胃袋を満たしている。また、近年ではアニメ作品の舞台となったことで、新たな層のファンが「聖地巡礼」に訪れるようになり、町中にキャラクターのパネルや関連グッズが見られるようになった。
一方で、大洗の歴史を伝える施設も健在である。大洗磯前神社は、今も変わらず鹿島灘を見下ろす高台に鎮座し、初日の出の名所としても知られる。また、町の歴史資料館などでは、かつての漁業の様子や、海水浴場としての発展の軌跡をたどることができる。これらの風景は、大洗が特定の時代のリゾート概念に固執することなく、その時々の社会のニーズや文化的な潮流を取り入れながら変化してきたことを示している。かつての「海の別荘地」としての名残は、一部の古い旅館や松林の風景に感じられる程度だが、その背景には常に、この土地が持つ歴史と地理的な条件が影響しているのだ。
大洗の歴史をたどると、この地が単一の「リゾート地」として定義しにくい重層的な顔を持っていることがわかる。明治期に海水浴という新たな余暇の形態が広がる中で、鉄道によってアクセスが容易になった大洗は、都市生活者にとっての「海の別荘地」として機能した。しかし、それは特定の階層が静かに保養する場であり、現代のテーマパークや大規模ホテルを擁する複合的な「リゾート」とは異なる。
戦後、高度経済成長とともに人々の余暇の過ごし方が多様化し、大洗もまた、海水浴場としての魅力を保ちつつ、港湾機能の強化、そして新たな観光施設やコンテンツの導入を模索してきた。アニメツーリズムのような現代的な現象がこの町に新たな活気をもたらしているのも、その変化の連続性の中にある。大洗の歴史は、日本の社会が「余暇」や「観光」に対して抱いてきた期待が、時代とともにどのように移ろい、そして地方都市がそれに応えようとしてきたかを示す、一つの具体的な事例なのである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。