2026/6/28
なぜ湯浅の醤油は「最初の一滴」と呼ばれ、角長は180年以上伝統を守り続けるのか

和歌山の湯浅の角長醤油の歴史について詳しく知りたい。
キュリオす
和歌山県湯浅町は醤油発祥の地。鎌倉時代、径山寺味噌の「溜まり」から醤油が誕生した。天保12年創業の角長は、180年以上、木桶と蔵つき酵母による天然醸造を守り続けている。
醤油の町、湯浅に立つ
和歌山県有田郡湯浅町を歩くと、空気の中に微かな、しかし確かな香りが混じっていることに気づく。それは、発酵と熟成が織りなす、甘くも深い独特の香りだ。観光客の多くは、この町が「醤油発祥の地」であることを知識として知っているだろう。しかし、実際にその町に立ち、歴史ある町並みに漂う香りを肌で感じるとき、単なる知識は感覚を伴った実像へと変わる。なぜ、この小さな港町が日本の食文化を根底から支える調味料の源流となったのか。そして、その長い歴史の中で、角長(かどちょう)という一軒の蔵が、いかにしてその伝統を守り続けてきたのか。その問いは、醤油の香りのように、町の隅々にまで染み渡っている。
径山寺味噌が呼んだ「最初の一滴」
湯浅における醤油の歴史は、鎌倉時代にまで遡る。1254年頃、禅僧の覚心(かくしん、後の法燈円明國師)が中国の宋から帰国し、紀州由良の興国寺で径山寺味噌(きんざんじみそ)の製法を伝えたことに端を発する。覚心は、当時の将軍源実朝の宋への憧憬がきっかけで渡宋し、6年間の修行の中で径山寺味噌の製法を習得したという。この径山寺味噌は、米、大麦、大豆の麹に塩を加え、細かく刻んだナスやウリ、ショウガ、シソなどの野菜を混ぜて熟成させる「なめ味噌」の一種であった。
湯浅の地は、興国寺からほど近く、醸造に適した良質な水に恵まれていた。そのため、径山寺味噌の生産が盛んに行われるようになる。その製造過程で、味噌を仕込んだ樽の底に溜まる液汁、すなわち「溜まり」があることに人々は気づいた。この溜まりを味見してみると、それが調味料として非常に優れていることが判明したのである。これが、現在の醤油の原型であり、「最初の一滴」と呼ばれる湯浅醤油の起源とされている。
室町時代には、湯浅の醤油は自家用だけでなく、すでに商品として大阪などに向けて出荷されていた記録が残る。1535年(天文4年)には、湯浅の醸醤家である赤桐三郎四郎が百余石もの醤油を醸造し、大阪の漁船に販売を委託したことが、他国への移出の始まりとされる。これがきっかけとなり、湯浅の醤油は全国へとその名を広げていった。
江戸時代に入ると、湯浅の醤油造りは紀州藩の保護を受けてさらに発展する。享保年間にはその製造技術も向上し、販路も拡大していったという。最盛期には、湯浅の町には92軒もの醤油屋が軒を連ね、活況を呈していた。しかし、明治維新とともに紀州藩の庇護が失われると、状況は一変する。大手メーカーとの競争激化や、第二次世界大戦後の混乱を経て、1949年には醤油屋の数は23軒にまで減少。そして現代に至るまで、その数はさらに減少し、現在は数軒の蔵元が伝統を守り続けている。
この激動の時代の中、天保12年(1841年)に初代角屋長兵衛によって創業されたのが「角長」である。創業以来、角長は大規模な機械化や効率化とは一線を画し、江戸時代から続く伝統的な製法を頑なに守り続けてきた。その姿勢が、湯浅という醤油発祥の地の歴史そのものを現代に伝える存在となっている。
蔵が育む、歳月と酵母の恵み
角長醤油の製造工程は、現代の大量生産とは対極にある。その根幹をなすのは、徹底した「手づくり」と「天然醸造」、そして「蔵つき酵母」の存在だ。醤油の原料は、大豆、小麦、塩、水というシンプルなものだが、その組み合わせと熟成の過程に角長独自のこだわりが見える。角長では、大豆に岡山産、小麦には岐阜産、仕込みに使う塩水にはオーストラリア産の天日塩を使用している。特に、大豆と小麦の比率は、一般的な濃口醤油が大豆5割・小麦5割であるのに対し、角長では大豆6割・小麦4割と、大豆の割合が多い点が特徴である。
まず、大豆は水に浸した後、高圧で短時間蒸し上げる。小麦は煎り上げてから二つ割り、三つ割りに砕く。これら蒸した大豆と煎り砕いた小麦に種麹菌を混ぜ合わせ、麹室(こうじむろ)に入れて4日間かけて麹菌を繁殖させる。この4日間という期間は、通常の醤油製造における麹づくりよりも1日長く、じっくりと菌を育むための時間だとされる。
充分に麹菌が繁殖した麹は、塩水と混合されて仕込み桶に貯蔵される。この段階で「諸味(もろみ)」となる。角長では、この諸味を吉野杉で作られた巨大な木桶の中で、1年半から3年という長期間にわたって発酵・熟成させる。この熟成期間中、職人は2〜3日に一度、木桶の中を攪拌(かくはん)し、発酵の進み具合を確認する。
角長の醤油造りを支える最大の要素は、創業以来180年以上使い続けられている蔵そのものに棲みつく「蔵つき酵母」である。蔵の天井や梁、そして木桶の表面には、醤油醸造に不可欠な酵母が白く付着している。この酵母こそが、角長にしか出せない独特の風味と複雑な味わいを生み出す秘訣だ。かつて蔵の屋根の一部を改修した際に、その下の木桶だけがうまく発酵しなかったという逸話は、蔵の環境とそこに棲みつく微生物の重要性を物語っている。そのため、角長ではむやみに蔵を建て替えたり改装したりせず、江戸時代そのままの環境を維持することに徹している。
また、仕込みは冬季のみに行う「寒仕込み」を頑なに守っている。自然の気温変化に任せ、空調による温度調整は一切行わない。職人は、目に見えない菌と向き合い、その年の気候や菌の様子をうかがいながら、長年の経験と感覚で発酵を見守るのである。充分に熟成が進み、味、香り、色合いが整ったと職人が判断すれば、諸味を木桶から取り出し、圧搾機で搾り出す。搾り出された液汁は「生揚げ(きあげ)」と呼ばれる生醤油だが、まだ麹菌が生きているため、発酵が始まることがある。最後に、この生揚げを清澄させた上で、和釜にかけ、松材の薪を燃料として約半日かけてゆっくりと炊き上げる「火入れ」を行う。これは江戸時代から続く伝統的な仕上げ法であり、醤油にスモークのような香ばしさを与えるという。
仕込み水には、湯浅の町を少し山の方へ上がった場所にある山田川の源流「湯浅山田の水」が用いられる。上質で豊富な水があったことも、湯浅で醤油造りが盛んになった理由の一つとされている。 これらの手間と時間を惜しまない製法が、角長醤油の深く、まろやかな味わいを育んでいるのだ。
大量生産と対峙する伝統の価値
日本の醤油生産は、和歌山・湯浅のような発祥の地での伝統的な小規模醸造と、千葉・野田や銚子、兵庫・龍野、香川・小豆島といった地域に拠点を置く大手メーカーによる大規模な工業生産という、大きく異なる二つの様相を呈している。例えば、キッコーマンやヤマサ醤油といった大手は、全国の醤油生産量の約半数を占める。これらのメーカーは、短期間での発酵促進や機械化された製造ラインを導入し、安定した品質と供給量を実現することで、現代の食卓を支えている。
一方、湯浅の角長が守り続けるのは、1年半から3年という長期にわたる木桶での天然醸造、そして「蔵つき酵母」に代表される、土地固有の微生物叢(そう)への依存である。例えば、小豆島でも木桶仕込みの醤油造りは盛んだが、湯浅の多くの蔵元、特に角長は、その中でも極めて古式ゆかしい製法を維持している点で際立つ。小豆島が醤油の島として発展した背景には、江戸時代に大阪への流通拠点として栄え、海運の利便性から原料調達が容易であったこと、そして醤油造りに適した気候風土があったことが挙げられる。しかし、その多くが近代化の波の中で効率的な生産へと移行していったのも事実だ。
角長のような蔵元が、現代において大量生産とは異なる道を歩み続けることは、単に「古いやり方」を守る以上の意味を持つ。それは、地域固有の風土、時間、そして目に見えない微生物の働きを尊重する「テロワール」の概念に近い。ワインやチーズの世界で語られるテロワールとは、特定の土地の気候、土壌、地形、さらにはそこで培われた人間の技術が一体となって、その土地ならではの風味を生み出すという考え方だ。角長の醤油造りもまた、湯浅の気候、良質な水、吉野杉の木桶、そして蔵に棲みつく固有の酵母、さらに代々受け継がれてきた職人の経験と感覚が複合的に作用し、独自の味わいを形成している。
大手メーカーが標準化された品質を目指すのに対し、角長は「蔵つき酵母」という、いわば制御しきれない自然の力を積極的に受け入れ、それを最大限に活かすことで、予測不可能な深みと複雑さを持つ醤油を生み出す。これは、効率性や均一性よりも、多様性や奥行きを追求する姿勢の表れと言えるだろう。湯浅の醤油蔵が減少する中で、角長がこの道を歩み続けることは、日本の伝統的な発酵文化が持つ奥深さと、それが現代においてどのような価値を持ち得るのかを提示している。
現代に息づく、湯浅の醤油文化
今日の湯浅町は、「醤油醸造発祥の地」として、その歴史と文化を積極的に発信している。2017年には、文化庁から「日本遺産『最初の一滴』醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」として認定され、その価値が改めて認識された。 町には、角長をはじめとする複数の醤油蔵が点在し、観光客がその歴史や製造工程に触れる機会を提供している。
角長においても、天保12年(1841年)創業当時の建物や道具類が今も受け継がれており、そのうち11棟が2022年10月には国の重要文化財に指定された。 資料館では、醤油造りの歴史や工程が展示され、訪れる人々は実際に使われていた木桶や道具に触れ、醤油の香りを直接感じることもできる。
角長は、現代においても冬季のみの寒仕込みを頑なに守り、機械化に頼らない手づくりを続けている。6代目、7代目と続く加納親子は、「醤油は生き物で、美味しい醤油を育てるのは蔵と蔵に棲みついた酵母菌。人間は菌のお手伝いをしているだけ」と語る。 この言葉には、伝統を守り続けることの難しさと、自然への深い敬意が込められている。近年は気候変動の影響もあり、発酵の管理に苦労することもあるというが、それでも「味を守るために環境を変えないことが必須」との信念を貫いている。
一方で、伝統を守るだけでなく、新たな試みも行われている。角長は、古風な製法で造った醤油をフランスへ輸出したり、洋食用のジュレをヒントにした「醤(ひしお)」を開発したりと、伝統の枠に留まらない展開も見せている。 これは、伝統的な製法が生み出す品質と風味に自信があるからこそできる挑戦であり、国内外に湯浅醤油の価値を再認識させる機会となっている。
湯浅町全体としては、醤油蔵見学や醤油づくり体験を提供する施設が増え、カフェや土産物店も充実している。 これらは、地域の活性化と伝統産業の継承に貢献する重要な要素である。醤油の香り漂う古い町並みを散策し、実際に職人の話を聞き、伝統的な醤油を味わうことは、湯浅という土地が持つ奥行きを体験することに他ならない。
伝統が示す、時間の堆積
和歌山県湯浅町、そしてその地で天保年間から醤油を醸し続ける角長の歴史を紐解くと、そこには単なる調味料の物語ではない、時間の堆積と、それを受け継ぐ人々の静かな情熱が見えてくる。醤油発祥の地という歴史的な偶然から始まり、良質な水と気候に恵まれた湯浅で、金山寺味噌の副産物として誕生した「溜まり」が、やがて日本の食文化を形作る基盤となった。
角長の醤油造りは、その根源的な問いに対する具体的な答えを提示している。なぜ、現代においてなお、これほど手間と時間をかけるのか。その理由は、効率性や経済合理性だけでは測れない、土地固有の微生物と職人の経験が織りなす「味」の追求にある。木桶に棲みつく「蔵つき酵母」は、過去から現在、そして未来へと受け継がれる無形の財産であり、蔵の天井や梁に付着する白い層は、その時間の流れを視覚的に物語っている。
湯浅の醤油が、大手メーカーが大量生産する醤油と並び立つのは、その製法がもたらす風味の多様性、そして何よりも、その土地の歴史と文化を凝縮した存在であるからだろう。伝統は、時に変化を拒むかのように見えるが、実際は、周囲の環境や時代の変化に適応しながら、その本質を守り続けるしなやかさも内包している。角長が、古き良き製法を守りつつ、新たな市場に挑戦する姿勢は、そのしなやかさの一例である。
醤油の香りが漂う湯浅の町を後にするとき、ただ「美味しい醤油だった」という感想だけではない、一本の醤油が持つ背景の深さ、そしてそれが育まれてきた長い時間の重みが、静かに心に残るだろう。それは、現代社会において見過ごされがちな、目に見えない価値と、それを守り続けることの意義を教えてくれる。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 湯浅醤油 YUASA SOY SAUCEyuasasyouyu.co.jp
- 角長 - Wikipediaja.wikipedia.org
- YUASA SOY SAUCE 湯浅醤油yuasasyouyu.co.jp
- 金山寺味噌とは - 旨味と塩気がたまらない和歌山伝統のなめ味噌。ご飯、酒の肴、もろきゅうに!marushinhonke.com
- 湯浅醤油の角長【手づくり 湯浅しょうゆの販売・通販】|湯浅醤油の歴史kadocho.co.jp
- 第119回湯浅醤油|地域ブランドNEWSnews.tiiki.jp
- town.yuasa.wakayama.jp
- 湯浅醤油 - 和歌山観光情報wakayama-kanko.com