2026/6/12
なぜ名古屋の手羽先は「余り物」から名物になったのか

愛知名物の手羽先の歴史について詳しく教えてほしい。
キュリオす
名古屋の手羽先が名物となった背景には、戦後の食糧事情と、それを活用しようとした「風来坊」の創業者の工夫がある。安価な部位を美味しく提供する調理法と味付けが、名古屋独自の食文化と結びつき、全国的な人気を得た。
揚げ油の熱が呼んだ、あの香り
名古屋の街を歩くと、夕暮れ時になると決まって、香ばしい揚げ物の匂いが漂ってくる。居酒屋の軒先から、あるいは持ち帰り専門店の窓から、甘辛いタレとスパイスの混じった独特の香りが路地裏に広がるのだ。この匂いは、多くの人々にとって「名古屋の手羽先」を連想させる。鶏の手羽先を揚げ、特製のタレと胡椒で仕上げたこの料理は、今や名古屋を代表する名物の一つとして全国に知られている。しかし、なぜこの「手羽先」という、本来はそれほど注目されることのなかった部位が、これほどまでに名古屋の食文化に深く根付いたのだろうか。その背景には、戦後の食糧事情と、ある店の創意工夫があった。
戦後の食卓から生まれた工夫
名古屋の手羽先の歴史は、戦後の混乱期に始まる。食糧難が続く中で、鶏肉は貴重な食材であった。特に、肉付きの良いもも肉や胸肉が優先され、手羽先は比較的安価で、時には廃棄されることもあったという。しかし、この手羽先を有効活用しようという動きが、後の名物料理へと繋がっていく。
その転換点となったのは、1960年代、名古屋市に開店した「風来坊」という店である。創業者の大坪健庫氏は、当時一般的だった鶏の半身揚げを出す中で、余りがちだった手羽先をなんとか美味しく提供できないかと考えていた。ある日、半身揚げの切れ端を甘辛いタレに絡めて出してみたところ、客からの評判が非常に良かったという。これが「手羽先の唐揚げ」誕生のきっかけとされる。当初は「手羽先の唐揚げ」という明確な名前があったわけではなく、試行錯誤の中で現在の形へと洗練されていったのだ。
1963年には「風来坊」が「手羽先唐揚げ」としてメニューに載せ、提供を開始。これが名古屋で手羽先が名物料理として広まる決定的な第一歩となった。その後、1980年代に入ると「世界の山ちゃん」が創業し、独自の味付けとマーケティング戦略でさらに手羽先の人気を全国区に押し上げていくことになる。同じ手羽先でも、風来坊が甘辛いタレを特徴とするのに対し、山ちゃんは胡椒を強く効かせたスパイシーな味が特徴であり、それぞれ異なるファンを獲得していった。
三つの要因が重なった必然
名古屋の手羽先がこれほどまでに普及した背景には、いくつかの要因が複合的に作用している。一つは、戦後の食糧事情が生んだ「素材の活用」という必然性だ。前述の通り、手羽先は比較的安価で手に入りやすい部位であったため、外食産業が発展する中で、コストを抑えつつ美味を提供できる食材として注目された。
二つ目の要因は、調理法と味付けの妙である。鶏の手羽先は骨が多く、肉は少なめだが、ゼラチン質が豊富で、揚げると皮はパリッと、肉はジューシーに仕上がる。この食感に、甘辛いタレと胡椒の組み合わせが絶妙に絡む。この味付けは、名古屋で古くから親しまれてきた味噌煮込みうどんやひつまぶしなどに見られる、濃厚でパンチの効いた味覚の嗜好と合致したとも言えるだろう。特に、ビールとの相性が抜群であることも、居酒屋メニューとしての定着を後押しした。
そして三つ目の要因は、名古屋という土地の「独自性への希求」である。名古屋は、東京や大阪といった大都市に挟まれ、独自の文化を育んできた歴史を持つ。他地域にはない「名古屋メシ」と呼ばれる独自の食文化を発展させる中で、手羽先唐揚げもその一角を担うことになった。特定の店が先駆的に開発し、それが瞬く間に広がり、複数の店がそれぞれの個性を競い合うことで、一層その地位を確立していったのだ。
世界各地の鶏肉料理と異なる名古屋の道
鶏肉の手羽先を使った料理は、世界各地に存在する。例えば、アメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー発祥とされる「バッファローウィング」は、フライドチキンの一種で、辛味の効いたソースで和えるのが特徴だ。また、韓国の「ヤンニョムチキン」も、甘辛いタレを絡めたフライドチキンであり、手羽先を含む様々な部位が使われる。東南アジアや中国料理でも、手羽先を煮込んだり揚げたりする料理は珍しくない。
これらの料理と名古屋の手羽先を比較すると、共通するのは「手羽先という部位を美味しく食べる工夫」という点である。しかし、名古屋の手羽先が際立つのは、その調理法が「唐揚げ」に特化し、さらに「甘辛いタレと胡椒」という特定の味付けで、特定の地域の名物として確立された点だろう。バッファローウィングが酢とカイエンペッパーの効いたソースを特徴とするように、ヤンニョムチキンがコチュジャンベースの甘辛いソースであるように、それぞれに地域の味覚が色濃く反映されている。
一方で、日本の他の地域における鶏肉料理に目を向けると、例えば大分県の「とり天」は、鶏肉を天ぷらにしたもので、ポン酢やからしで食べるのが一般的だ。宮崎県の「チキン南蛮」は、揚げた鶏肉に甘酢をかけ、タルタルソースを添える。これらは鶏肉の「部位」を特定せず、胸肉やもも肉を使うことが多い。名古屋の手羽先は、特定の部位に焦点を当て、それを揚げてタレで絡めるというシンプルな工程ながら、その味の完成度と地域への浸透度において、独特の地位を築いていると言える。他の地域が様々な部位や調理法で鶏肉料理を発展させたのに対し、名古屋は手羽先という「余り物」から、独自の道を切り開いたのだ。
名古屋の夜を彩る、多様な手羽先
現代の名古屋において、手羽先は単なる一品料理の枠を超え、街の象徴の一つとなっている。JR名古屋駅に降り立てば、新幹線改札口周辺には「世界の山ちゃん」や「風来坊」といった有名店の持ち帰り専門店が軒を連ね、旅の土産として手羽先を買い求める客で賑わっている。また、市内には両店の他にも、独自の味付けや調理法で勝負する手羽先専門店が数多く存在し、それぞれが熱心なファンを獲得している。
居酒屋の定番メニューであることはもちろん、近年では家庭で手軽に楽しめる冷凍の手羽先唐揚げも普及し、名古屋の味を全国に届けている。観光客にとっては、名古屋を訪れた際に必ず食したい「名古屋メシ」の一つとして定着しており、その需要は衰えることを知らない。一方で、原材料価格の高騰や人手不足といった課題は、他の飲食業界と同様に手羽先業界にも影響を与えている。それでも、各店舗は創意工夫を凝らし、伝統の味を守りながらも、新しい提供方法や味付けの開発にも取り組んでいる。例えば、手羽先を骨なしにして食べやすくしたものや、チーズやカレー風味といった変わり種も登場している。
捨てられた部位が呼び起こす記憶
名古屋の手羽先の物語は、本来は日の目を見ることの少なかった部位が、人々の創意工夫と地域の嗜好が結びつくことで、かけがえのない名物へと昇華した好例である。それは単に「美味しい」という感覚だけでなく、戦後の食卓の記憶や、名古屋という都市が培ってきた独自の文化、そして何よりも、食の可能性を追求する人々の情熱が凝縮されたものだ。
手羽先を口に運ぶたびに、その甘辛いタレの奥に、かつては余り物であった鶏の部位に新たな価値を見出した人々の視点と、それを支え、愛し続けた名古屋の街の歴史が静かに息づいていることに気づかされる。それは、食の風景が単なる消費の場ではなく、その土地の歴史と人々の営みを映し出す鏡であることを、改めて示している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 風来坊 1号店 比々野店|本店の旅1goten.jp
- 風来坊の「元祖手羽先唐揚げ」は食材の発注ミスから生まれた!? | CBC MAGAZINE(CBCマガジン)hicbc.com
- 元祖手羽先唐揚 誕生ものがたり | 風来坊【公式】元祖手羽先唐揚!名古屋名物をどうぞfuraibou.com
- 手羽先aichi.mytabi.net
- 風来坊 (愛知県) - Wikipediaja.wikipedia.org
- 【楽天市場】風来坊とは、 > 美味しい物語:元祖手羽先唐揚 風来坊 赤池店item.rakuten.co.jp
- 『名古屋名物 手羽先唐揚の歴史はここ比々野から始まった♪』by 旅浪漫 : 風来坊 比々野店 - 日比野(名古屋市営)/手羽先 [食べログ]tabelog.com
- 手羽先唐揚げ - Wikipediaja.wikipedia.org