磐梯山の火口は、同じ火山に開いた窪地でありながら、なぜ裏磐梯の湖と乾いた火口に分かれるのか?

吹き飛んだ山肌の底に残されたもの
福島県の豊かな自然が広がる裏磐梯の地を足繁く歩いていると、あちらにもこちらにも、まるで絵の具を溶かしたかのような青や緑の光を湛えた水面が目に飛び込んでくる。1888年の磐梯山大噴発という激甚な災害によって北側の小磐梯が一瞬にして崩壊し、それに伴って発生した土砂が数々の川をせき止めたことによって生まれたのが、五色沼湖沼群や桧原湖をはじめとする大小さまざまな湖沼の数々である。その一方で、視線を少し上げ、山の上部やかつての火口跡のあたりを見上げてみると、そこには水が溜まるどころか、雨風にさらされた乾いた岩肌やざらざらとした砂礫をむき出しにしたままの場所も決して少なくない。本来であれば、火山活動によって地表にぽっかりと開いた火口というものは、周囲よりも一段低い自然の器であり、空から雨が降ればその水を受け止めて池や沼になりそうなものである。しかし現実には、すべての窪地が同じように水に満たされた湖になるわけではなく、そこには明確な境界線が存在している。地図を広げて現地の地形をじっくりと眺めてみると、豊かな水を受ける器として機能している場所と、ただの乾いた穴にとどまり続ける場所の間には、いくつかの明らかな条件の分岐点があることに深く気づかされることとなる。
明治の山体崩壊と水路の塞ぎ方
1888年(明治21年)7月15日の朝に起きた出来事は、この地域の水景の成り立ちを語る上で避けて通ることができない。その日の朝、磐梯山は激しい水蒸気爆発を起こし、標高1,800メートルを越える堂々たる小磐梯の峰が、文字通り一瞬にして吹き飛んだのである。このとき発生した凄まじいエネルギーを持つ泥流や、膨大な量の土石流は一気に斜面を駆け下り、長瀬川の支流をはじめとする周辺の複雑な河川網を次々と塞いでいった。その結果、山麓のあちこちに天然の巨大なダムが形成されることになった。今日私たちが目にする五色沼湖沼群や、広大な面積を誇る桧原湖、小野川湖、そして秋元湖といった豊かな水域は、こうして突如として地表の排水経路が完全に断たれたことによって突如として生まれたものである。つまり、これらの湖が今日のように成立した最大の要因は、火口そのものに直接雨水が溜まったというよりもむしろ、崩落した膨大な土砂が深い谷を完全に堰き止め、地下から絶えず水が湧き出すシステムが結果的に作られた点にあるといえる。裏磐梯の複雑な地形は、単なる火山活動による凹みというよりも、むしろ流路の遮断によって水が外部へ逃げ場を失い、閉じ込められた巨大な水槽の集まりであった。
水を蓄える器と地下の配管
では、同じ火山活動によって生み出された火口や崩壊跡でありながら、なぜ小富士火口などのように水が溜まることなく乾いたままの姿をとどめている場所が存在するのだろうか。そこには、地表の目に見える形だけでなく、火山特有の複雑に入り組んだ地下構造が深く関わっている。例えば、五色沼を構成する各沼や銅沼(あかぬま)の周辺を観察すると、そこには周囲の斜面から絶えず地下水が途切れることなく供給されており、その水質自体も鉄分やアルミニウム、さらには硫酸イオンなどを多く含む酸性から弱酸性を示していることがわかる。これらの湖は、空から降った雨水がそのままその場の窪地にただ溜まっただけの単純な水たまりではなく、地下の伏流水や絶え間ない湧水という「持続的な供給源」にしっかりと支えられて成り立っている。これに対して、浸透性の極めて高い火山灰や、無数の隙間を持った多孔質の岩屑でできた斜面、あるいは高所に位置する火口跡などでは、どれほどまとまった雨が降ったとしても、その水分は表面に留まる暇すらなく、重力に従って地下深くへと吸い込まれてしまう。つまり、地表に水を溜めるためには、周囲の雨水を集める集水域の広さや形だけでなく、流れ込んだ水を底の部分でしっかりと受け止める不透水層の存在が極めて不可欠な要素となるのである。
カルデラと凹地の地理的相貌
日本国内の他の様々な火山地帯を広く見渡してみても、火山活動によって形成された火口や爆裂火口のすべてが豊かな湖水に満たされているわけではないということは容易に理解できる。たとえば、富士山の山頂部や、その周辺に点在する無数の側火口の多くを思い浮かべてみればわかるように、それらの場所ではどれほど激しい雨が降ったとしても、地表に水面が現れることは一度としてない。その理由は単純で、火山体そのものが極めて透水性の高い玄武岩質の溶岩やスコリアといった物質で構築されているためである。降った水は留まることなく地下深くまで浸透していき、はるか下方の山麓の湧水となってようやく地表に姿を現す仕組みになっているからだ。これと比較して、裏磐梯の湖沼群がこれほどまでに密集して豊かな水景を呈しているのは、大規模な山体崩壊という特異な現象によって、地表の比較的浅い層に遮水性の高い粘土質や細かい堆積物が巧みに配置され、それによって地下水の流路が地表の近くに制限されたという特殊な条件が絶妙に重なり合っているからにほかならない。このように、窪地という地形が存在することはあくまで必要条件の一つにすぎず、それだけで自動的に水が溜まるわけではないという点で、火山地形の挙動や水文学的な運命は決して一様ではない。
観光の歩道から見下ろす水と土の境界
現在、多くの観光客が訪れる五色沼の自然探勝路を歩いていると、誰もが毘沙門沼や青沼の息をのむほどに鮮やかな色彩に目を奪われることになる。エメラルドグリーンやコバルトブルーといった神秘的な輝きを放つ水面は、底の方にひそやかに沈殿した火山性鉱物の微粒子と、そこへ降り注ぐ太陽光の複雑な相互作用によって生み出されているものであり、沼ごとに微妙に異なる水質がそれぞれの個性的な色合いを決定づけている。しかし、その整備された遊歩道のすぐ近くから少し歩みを離れ、かつて凄まじい爆発が起きた山体のほうへと改めて目を向けてみれば、そこには青々とした豊かな緑に覆われた斜面と、今なお植物が容易に定着することのできない荒涼とした岩肌とが、複雑に入り組んでいる様子がはっきりとわかる。潤沢な地下水脈と泥流の堆積が伴っている場所には豊かな水がたたえられ、水のない火口跡にはひたすら乾いた溶岩と徹底的な浸透の理が支配している。この対比は、一つの火山の内部における水と土の境界線がどれほど厳密に引かれているかを私たちに静かに教えている。
窪地という形態が分かつ運命
火口という同じ名前で一括りに呼ばれる地形であっても、それがこの地球上で生み出された瞬間の崩落の規模がどうであったか、そしてその後の長い時間のなかで地下の水理バランスがどのように落ち着いたかによって、一方は幾色もの光を美しく反射する神秘的な湖群となり、もう一方はただ乾いた風が通り抜けるだけの空洞としてそのままの姿で残ることになる。目の前にある窪地に水が溜まるか否かを最終的に分かっているのは、空から気まぐれに降る雨の量そのものではなく、かつて山が激しく崩壊したときに地中の深くにどのような目に見えない配管が残されたかという一点に尽きている。地図の上ではすぐ近くで隣り合っている窪地同士が、実はまったく異なる水文学的な運命をたどっているという動かしがたい事実こそが、火山という極めてダイナミックな大地の仕組みの奥深さを、私たちに対して静かに、そして雄弁に物語っているのである。
旅と食が好き。どこにでもいます。