2026/5/28
キムチの赤はいつから?唐辛子伝来の歴史を辿る

キムチが赤くなったのはいつから?唐辛子の歴史も交えて教えて
キュリオす
キムチが赤くなったのは17世紀以降、唐辛子の伝来がきっかけ。中南米原産の唐辛子は日本を経由して朝鮮半島へ伝わり、保存食であるキムチの風味と保存性を高め、食文化に不可欠な存在となった。
漬物として知られるキムチは、多くの人がその鮮やかな赤色を思い浮かべるだろう。しかし、その「赤」がキムチの歴史に登場するのは、比較的近年のことだ。朝鮮半島の食卓に欠かせないこの漬物が、いつから唐辛子によって赤く染められるようになったのか。その問いは、唐辛子の伝来という、より大きな歴史のうねりに繋がっている。
キムチが現在の赤い姿になったのは、おおよそ17世紀以降のこととされている。それ以前のキムチは、唐辛子が使われておらず、塩漬けにした野菜にニンニクやショウガ、山椒、あるいは醤油などで味付けされた、白っぽい漬物だったという。唐辛子が朝鮮半島にもたらされたのは、16世紀末から17世紀初頭にかけての時期だ。
この唐辛子の伝来には、日本の歴史が深く関わっている。一般的に有力な説とされているのは、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(朝鮮出兵、1592年〜1598年)の際に、日本から朝鮮半島へと伝わったというものだ。唐辛子は元々、中南米原産の植物で、コロンブスによってヨーロッパに持ち込まれ、その後、ポルトガルやスペインの商人によってアジア各地へと広まった。日本には16世紀にポルトガル人によって伝えられたとされており、当初は観賞用や薬用として栽培されていたという。
秀吉の朝鮮出兵は、多くの文化交流を意図せず生み出した。日本から朝鮮半島へは、陶工などの技術者が連れて行かれた一方で、唐辛子のような植物も伝播した可能性が高い。朝鮮王朝実録には、17世紀初頭には「倭芥子(わがらし)」として唐辛子が登場しており、日本から来たものと認識されていたことがうかがえる。この時点では薬用として記録されているが、やがてその辛味が食文化に取り入れられていくことになる。
唐辛子が朝鮮半島に伝わった後、その辛味は急速に食文化に浸透していった。特に、冬季の保存食であるキムチとの相性は抜群だった。唐辛子の辛味成分であるカプサイシンには殺菌効果があり、食品の保存性を高める効果も期待されたからだ。また、唐辛子は単に辛味を加えるだけでなく、発酵食品特有の臭みを和らげ、食欲を増進させる効果もあっただろう。
朝鮮半島の気候も、唐辛子を用いたキムチの発展を後押しした。夏は高温多湿、冬は極寒という厳しい気候は、保存食の工夫を必要とした。大量の白菜や大根を収穫できる秋に漬け込み、冬を越すためのキムチに、唐辛子は新たな可能性をもたらしたのだ。塩漬けによる保存に加え、唐辛子を加えることで、より複雑な風味と深い赤色を持つキムチが生まれていった。18世紀以降には、唐辛子を多用する現代のキムチに近い形が確立されていったと考えられている。
当初は薬用や観賞用として伝わった唐辛子が、わずか数十年から一世紀の間に、朝鮮半島の食卓に不可欠な存在となった背景には、その保存性、風味、そして厳しい自然環境への適応という複数の要因が重なっていた。
唐辛子が日本を介して朝鮮半島に伝わったという説は有力だが、唐辛子の伝播経路は世界的に見ても多様である。例えば、タイやインドネシアなどの東南アジア諸国では、ポルトガルやスペインを経由して比較的早い時期に唐辛子が伝わり、現地の辛味文化と融合した。インドでは、元々コショウなどの辛味スパイスが豊富だったが、唐辛子はさらに異なる辛味の選択肢をもたらし、カレー文化に大きな影響を与えた。
一方で、中国への唐辛子の伝播は、日本や朝鮮半島よりもやや遅れたとされている。四川料理や湖南料理に代表される中国の辛味料理は、唐辛子なしには考えられないが、これらも17世紀以降に唐辛子が伝わってから発展した食文化だ。これらの地域では、唐辛子が伝わる以前から山椒などの辛味調味料が存在しており、唐辛子は既存の辛味文化に新たな風味を加える形で受容された。
朝鮮半島における唐辛子の受容は、他の地域と比較すると、その浸透の速さと、キムチという特定の保存食と強く結びついた点に特徴がある。気候条件が厳しく、冬季の野菜不足を補うための保存食文化が発達していた朝鮮半島において、唐辛子は単なる香辛料としてだけでなく、保存性を高める実用的な側面からも受け入れられた。この点が、多様なスパイス文化を持つインドや、山椒文化を持つ中国とは異なる、朝鮮半島独自の唐辛子文化を形成したと言えるだろう。
現代の韓国では、キムチは単なる副菜ではなく、食卓の中心をなす存在だ。多くの家庭では、秋に大量の白菜を漬け込む「キムジャン」という行事が今も受け継がれている。これは、家族や近隣の人々が集まって大量のキムチを作る伝統的な習慣で、地域や家庭によって異なるレシピが存在する。
しかし、現代社会の変化とともに、キムチのあり方も多様化している。都市化や核家族化が進み、キムジャンを行う家庭は減少傾向にある一方で、市販のキムチの品質は向上し、様々な種類のキムチがスーパーマーケットに並ぶようになった。また、健康志向の高まりから、乳酸菌を豊富に含む発酵食品としてのキムチが再評価され、世界中で注目を集めている。観光客向けに、辛さを抑えたものや、海鮮を使った珍しいキムチなども登場し、伝統と革新が共存する姿を見せている。
唐辛子が朝鮮半島にもたらされて以来、キムチは単なる漬物から、文化や歴史を語る上での重要なアイコンへと変貌を遂げた。その鮮やかな赤色は、中南米から世界を巡り、日本を経て朝鮮半島にたどり着いた一本の植物が、厳しい気候と人々の知恵によって独自の食文化を築き上げた軌跡を物語っている。白かった漬物が、唐辛子という「赤い実」と出会い、数世紀をかけて現在の姿になった。その過程は、食材の伝播が食文化に与える影響の大きさを静かに示している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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