2026/6/27
水路の鯉が泳ぐ農村に、なぜ豪商の面影が残るのか

滋賀の五個荘金堂について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
滋賀県五個荘金堂地区は、古代条里制の地割と近江商人の豪壮な本宅が混在する独特な景観を持つ。農村に根差した「三方よし」の精神と、故郷を大切にする商人の哲学が、その歴史的景観を今に伝えている。
水路の鯉が泳ぐ農村に、なぜ豪商の面影が残るのか
滋賀県東近江市、五個荘金堂地区の町並みを歩くと、水路を悠然と泳ぐ錦鯉の姿が目に留まる。白壁の土蔵や舟板塀が続く屋敷の脇を、清らかな水が流れ、その静謐な風景は、時が止まったかのようだ。この地は、かつて日本経済の一翼を担った「近江商人」を生み出した場所の一つとして知られ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。なぜ、この湖東の農村に、これほどまでの商家の文化が育まれ、その歴史的景観が今日まで維持されてきたのだろうか。その問いの答えは、この地の地理的条件、歴史の節目、そして人々の生きた倫理観の中に求められるだろう。
古代条里制から近江商人の本宅へ
五個荘金堂地区の歴史は古く、7世紀後半には金堂廃寺が発掘されるなど、古代から集落が形成されていたことが確認されている。現在の町並みの基礎となる地割は、奈良時代の条里制に由来するとされ、その名残は今も水田や道路の配置に見ることができる。集落は江戸時代に入って本格的に形成され始め、元禄6年(1693年)には大和郡山藩の代官所である金堂陣屋が置かれ、これを中心に社寺や農家が整然と配された。
近江商人の活動は鎌倉時代にまで遡るとされるが、五個荘の商人たちが全国的に活躍を見せるのは、他の近江商人発祥地である八幡や日野に比べると遅く、江戸時代後期から明治・大正期にかけてのことである。 この時期、金堂からは多くの豪商が輩出された。例えば、フランスで発明されたばかりの人工絹糸(レーヨン)をいち早く扱い、「スキー毛糸」を成功させた藤井彦四郎や、朝鮮半島で百貨店「三中井」を築いた中江準五郎、呉服太物商として全国長者番付に名を連ねた外村宇兵衛 などがその代表例である。彼らは全国に店を展開しても、決して郷里を離れることなく、この金堂に広大な本宅を構え続けた。 その邸宅は、切妻や入母屋造りの主屋を中心に、数寄屋風の離れや土蔵、納屋を配し、池や築山を設けた庭園を持つのが特徴である。
農と商が織りなす「三方よし」の土壌
五個荘金堂で近江商人文化が花開いた背景には、複数の要因が絡み合っている。まず、地理的条件として、琵琶湖の水運と中山道の近接が挙げられる。しかし、より本質的なのは、この地が豊かな水源を持つ農村であったことだ。金堂地区は江戸時代まで、水田が広がる典型的な農村集落であった。農家一戸あたりの平均耕地面積が6反程度と小さかったため、農民たちは生活の糧を得るため、副業として麻布の賃織などを盛んに行っていた。 この農村経済の基盤が、行商という商業活動への動機付けとなった。
さらに、近江商人の精神的支柱となった「三方よし」の思想も重要である。「売り手よし、買い手よし、世間よし」というこの理念は、単なる道徳的な標語ではなく、実利に根ざした経営哲学であった。 彼らは商品を売りに行った先で別の商品を仕入れて戻る「のこぎり商法」で財を築きながらも、顧客の利益を第一に考え、地域社会への貢献を重んじた。 寺子屋では当時珍しかった算術を学び、商売に強い人材を自ら育てる土壌があったことも、彼らの成功を後押ししたと言える。 豪商となっても本宅を郷里に置き続けたのは、故郷への愛着だけでなく、地域社会への責任感と、農村に根ざした質素な生活を重んじる彼らの価値観の表れであった。 邸宅内に水路を引き込み、生活用水や防火用水として利用する「川戸」や「洗戸」といった設備も、水と共にある農村生活の知恵を今に伝えている。
他の商人町と異なる、在郷の商家景観
近江商人の出身地は五個荘の他に、近江八幡や日野などが知られている。これらの町もまた、それぞれの歴史的背景と地理的条件から商人文化を発展させてきた。しかし、五個荘金堂の町並みには、他の商人町とは異なる際立った特徴がある。それは、商家の本宅と伝統的な農家住宅、そして水田が混在する「半商半農」の在郷景観である。
例えば、近江八幡は琵琶湖の水運拠点として早くから商業都市として栄え、町中に店舗と住居が一体となった町家が軒を連ねる。一方、五個荘金堂の商人たちは、他国に出店した後も、出身地であるこの農村に本宅を構え、妻や子どもたちが留守宅を守るという形態をとった。 そのため、金堂には店舗としての町家は少なく、広大な敷地を持つ豪壮な本宅が点在し、それが周辺の農家住宅や水田と調和している。 この「店は他郷、本宅は郷里」という商いのスタイルは、農業を副業としていた五個荘商人ならではのものであり、彼らが故郷の土地と深く結びついていたことを示唆している。 屋敷の塀に琵琶湖で使われていた舟板を再利用した「舟板塀」 や、白漆喰の土蔵が続く景観は、質素でありながらも意匠に優れた、五個荘金堂独自の美学を形成している。 また、集落内の通りは一直線ではなく、緩やかに曲がったり屈曲したりするものが多く、見通しの良い十字路が少ないため、歩くにつれて景色が変化する独特の空間体験をもたらす。
保存活動と現代の課題
五個荘金堂地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのは平成10年(1998年)12月25日のことである。 これは、古代条里制の地割を基礎とし、近江商人が築いた意匠に優れた建造物群が、周囲の水田景観を含めて高い歴史的価値を持つと評価された結果である。 選定以前の平成7年(1995年)には「金堂町並み保存会」が結成され、平成19年(2007年)には特定非営利活動法人(NPO)として設立されるなど、住民自身が主体となって町並み保存の活動に取り組んできた。
現在、地区内では外村繁邸、中江準五郎邸、藤井彦四郎邸といった近江商人屋敷が一般公開されており、当時の商人の暮らしや文化に触れることができる。 また、「ぶらりまちかど美術館・博物館」や「近江商人時代絵巻」などのイベントも定期的に開催され、地域活性化に繋がっている。 一方で、高齢化や人口減少に伴う空き家対策、伝統的建造物の修理・修景に関する専門人材の不足、観光地化と住民の生活環境のバランスなど、現代的な課題も抱えている。 これらの課題に対し、地域では分散型ホテルとしての活用や、若年層の愛郷心を育む行事企画などを通じて、伝統的景観の維持と地域経済の活性化を両立させる模索が続いている。
質素な本宅に宿る商人の哲学
五個荘金堂の町並みは、単なる歴史的な建築物の集積ではない。水路が流れ、鯉が泳ぐ静かな農村の中に、広大な敷地を持つ豪商の本宅が点在するこの景観は、近江商人たちの独特な生き方と哲学を今に伝えている。彼らは全国各地で巨万の富を築きながらも、故郷の農村に質素な本宅を構え、華美に走ることを戒めた。 その邸宅は、外から見れば白い漆喰壁と舟板塀に囲まれ、一見閉鎖的に映るが、屋敷内に引き込まれた水路や、外部と緩やかに繋がる庭園の配置は、自然との共生と地域社会への配慮が織り込まれている。
この地を訪れると、彼らの「三方よし」という理念が、単なる商売の原則に留まらず、生活の隅々にまで浸透していたことが感じられるだろう。それは、故郷の自然を慈しみ、地域との繋がりを大切にし、次世代へと受け継ぐべきものを守り続けるという、具体的な行動の積み重ねであった。五個荘金堂の町並みに残る豪商の面影は、その富の大きさよりも、むしろその背景にあった堅実な生活と、地域社会への静かな貢献の姿を語りかけてくる。そこには、現代社会における持続可能な営みのヒントが、無言のうちに示されている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- imashiga.jp
- 閑古鳥旅行社 - 東近江市五個荘金堂kankodori.net
- kanagawa-u.ac.jparch.kanagawa-u.ac.jp
- city.higashiomi.shiga.jp
- 五個荘金堂:ロケ地にも多用される近江商人発祥の農村集落~滋賀県東近江市 - 旅のカタログ.comtrip-catalog.com
- 【滋賀・五個荘金堂の魅力】近江商人の発祥地の名スポット紹介 | 隠れ家ヴィラ、別荘をシェアする会員制リゾート「GFC」gfc.co.jp
- 五個荘近江商人屋敷(外村繁邸・中江準五郎邸) | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!biwako-visitors.jp
- NIPPONIA GOKASHOnipponia-gokasho.jp