2026/6/4
鎌倉・力餅家、300年続く権五郎力餅の秘密

鎌倉の力餅家について詳しく知りたい。お餅が美味しかった。
キュリオす
鎌倉の御霊神社参道近くに店を構える力餅家。元禄創業の老舗が、武将・鎌倉権五郎景政の伝説に由来する名物「権五郎力餅」を300年以上守り続ける理由と、その変わらぬ手仕事の魅力を辿ります。
江ノ電の長谷駅から極楽寺方面へ向かう道の途中、御霊神社の鳥居をくぐりかける手前に、ひっそりと、しかし確かな存在感を放つ一軒の和菓子店がある。その店の名は「力餅家」。初めて訪れた者は、その古色を帯びた佇まいに、まるで時が止まったかのような感覚を覚えるかもしれない。ショーケースに並ぶ素朴な餅菓子を手に取れば、そのやわらかな口当たりと、控えめながらも奥行きのある甘さが、鎌倉という土地の記憶と重なるように感じられる。なぜこの「力餅」は、多くの人々に愛され続け、この地で300年以上もの時を刻んできたのか。その問いは、一口の餅から静かに立ち上がる。
力餅家の創業は江戸時代の元禄年間(1688年~1703年)に遡るとされる。この地で茶屋として始まり、以来九代にわたってその暖簾を守り続けてきた老舗である。店の名物である「権五郎力餅」は、単なる菓子に留まらない、この土地の歴史と深く結びついた物語を持つ。その名は、近くに鎮座する御霊神社の祭神である鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)に由来する。
鎌倉権五郎景政は、平安時代後期の武将で、源頼朝から三代前の河内源氏の当主である源義家と共に後三年の役で活躍した若武者として知られている。その武勇と怪力は数々の逸話として語り継がれ、特に御霊神社の境内には、景政を慕う武士たちが力比べに用いたとされる「手玉石」(約105キログラム)と「袂石」(約60キログラム)が今も祀られている。伝説によれば、当時、この力石に供えられた餅が参列者に分け与えられたことが「権五郎の力餅」の始まりとされている。やがて力餅家の祖先がこの伝説と共に餅の製法を受け継ぎ、代々の家伝として現代に伝えているのだ。単なる甘味ではなく、武士の力と土地の信仰が結びついた菓子として、その歴史を刻んできたのである。
力餅家の看板商品である「権五郎力餅」の特徴は、その徹底した手作りと無添加製法にある。毎朝、開店時間に合わせてつき上げられる餅は、もち米本来の風味と粘りを保ち、添加物を一切使用しない。このつきたての餅を包むのは、きめ細やかなこし餡だ。この餡は甘さ控えめで、口の中でなめらかに溶け、餅のもっちりとした食感と絶妙な調和を生み出す。そのシンプルな構成ゆえに、餅と餡、それぞれの素材の質が直接味に影響する。
しかし、この「権五郎力餅」には一つの制約がある。それは「当日中に召し上がるように」という日持ちの短さだ。添加物を使わない本物の餅は、時間が経つと硬くなってしまうため、この制約はむしろ、その鮮度と手作りであることの証とも言える。そのため、遠方からの客や土産物として日持ちを考慮する場合には、「求肥力餅」という選択肢も用意されている。こちらは出来たてのこし餡で求肥をくるんだもので、3日間ほど日持ちがする。春先の2月から4月頃には、国産のヨモギを練り込んだ「草餅権五郎力餅」も登場し、季節ごとの風味を楽しむことができる。これらの餅菓子は、素材へのこだわりと、できる限り自然な状態で提供しようとする店の姿勢を物語っている。
力餅家の「権五郎力餅」のような餅菓子は、日本各地に存在する。例えば、伊勢の「赤福餅」も、つきたての餅を餡でくるんだシンプルな菓子として知られる。しかし、赤福餅がこし餡で餅を完全に覆う形であるのに対し、力餅の「権五郎力餅」は、餅の上に餡が乗せられるスタイルが一般的だ。これは見た目の違いだけでなく、口に入れた時の食感や風味の感じ方にも影響を与える。赤福餅が餡のなめらかさを前面に出す傾向があるのに対し、権五郎力餅は餅そのものの存在感も強く、もち米の甘みと歯ごたえをより直接的に感じさせる。
また、力餅家が御霊神社の門前という立地で、地域の伝説にちなんだ名を冠している点も特徴的である。これは、単なる土産物ではなく、その土地の歴史や信仰と一体化した「郷土菓子」としての性格を強く持つことを意味する。全国には、祭礼や伝説に由来する菓子が数多く存在するが、力餅家のように江戸時代からその製法と物語を受け継ぎ、現代まで維持している例は決して多くはないだろう。多くの場合、地域の特産品として観光化が進む中で、製法が効率化されたり、日持ちを良くするために改良が加えられたりすることが少なくない。しかし、力餅家は「当日限り」という制約をあえて守り、本来の味と製法を優先している点において、他の多くの餅菓子とは一線を画していると言える。
現在の力餅家は、江ノ電長谷駅から徒歩数分の坂ノ下に位置し、そのレトロな店構えは多くの観光客の目を引く。店を飾る力強い筆致の暖簾は、昭和初期の書家である林祖洞によるものだ。店内は決して広くはないが、歴史を感じさせる落ち着いた雰囲気があり、訪れる人々を温かく迎えている。店先には、名物の「権五郎力餅」の他に、「福面まんじゅう」や「源氏山」といった菓子も並ぶ。福面まんじゅうは、御霊神社の例大祭である面掛行列に登場するお面を模したもので、地域の文化に深く根ざした商品である。
力餅家は、地元の人々だけでなく、遠方からの観光客にも愛され続けている。かつては、芥川龍之介や川端康成といった鎌倉にゆかりのある文士たちも、この力餅を愛食したと言われている。芥川は友人に宛てた書簡の中で「今力餅をくひながら小説を書いてゐる」と記し、川端も散歩の途中に立ち寄ったという逸話が残る。これらの事実は、力餅が単なる菓子ではなく、鎌倉の文化や人々の暮らしの中に深く溶け込んできたことを示している。9代目が守るこの店は、古都鎌倉の日常風景の一部として、今日も多くの人々に親しまれているのだ。
力餅家の「権五郎力餅」を口にするとき、それは単に甘味を味わう行為以上の体験となる。そこには、江戸時代から続く店の歴史、鎌倉権五郎景政という武将の伝説、そして御霊神社の信仰が凝縮されている。添加物を排し、毎朝手作業で餅をつき、餡を調えるという、手間を惜しまない製法は、効率化が優先される現代において、かえってその価値を際立たせている。日持ちの短さという制約は、この餅が「その土地で、その日のうちに味わう」という、本来の食のあり方を静かに問いかけてくるようでもある。
多くの土産物が日持ちを重視し、全国どこでも手に入るようになる中で、力餅家の姿勢は、地域の風土や歴史に根ざした「手仕事」の強さを示している。それは、消費されるだけのモノではなく、土地の記憶や人々の営みを伝える媒体として、その役割を担っていると言えるだろう。鎌倉の坂ノ下で、変わることなく作られ続ける一つの餅菓子は、訪れる者に、この古都が持つ奥行きと、時代を超えて受け継がれる文化の息遣いを伝えている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。