2026/6/8
新潟の食卓を彩る「かきのもと」はいつから食べられてきた?

新潟は食用の赤い菊が有名だ。いつから食べられているのか?
キュリオす
新潟で食用菊「かきのもと」が食卓に上るようになったのは江戸時代から。中国伝来の菊が薬用・観賞用から食用へと変化し、新潟の風土と人々の暮らしの中で300年以上にわたり受け継がれてきた歴史を辿る。
秋の新潟を訪れると、鮮やかな赤紫色の花びらが皿を彩る光景に出会うことがある。酢の物やおひたし、和え物にと、菊の花がごく自然に食される。観賞用の菊とは異なる、そのシャキシャキとした歯ごたえとほのかな苦みは、この土地ならではの秋の味覚として親しまれているのだ。新潟の食用菊は「かきのもと」と呼ばれ、その名を聞けば多くの地元住民が郷愁を覚えるだろう。しかし、なぜこの特定の地域で、いつから菊が食用として定着したのか。その背景には、中国からの伝来と日本の風土、そして人々の暮らしの中に根付いた長い歴史がある。
菊は、その原産を中国に持ち、日本へは奈良時代から平安時代にかけて薬用植物や観賞用として伝来したと考えられている。当初、宮廷文化の中で重陽の節句に用いられたり、長寿の象徴として尊ばれたりしたが、食用として一般に普及するまでには時間を要した。文献に菊が食用として登場するのは江戸時代に入ってからである。例えば、元禄3年(1690年)には俳人・松尾芭蕉が近江堅田で「蝶も来て酢を吸ふ菊の膾哉」という句を詠んでおり、この時代には菊を食する習慣が一部に存在したことがうかがえる。
特に新潟では、江戸時代から紫色の食用菊「かきのもと」が農家の庭先や畑の片隅で栽培されてきたという記録がある。この「かきのもと」の正式名称は「延命楽(えんめいらく)」とされている。この名は、中国東晋末期の詩人である陶淵明が菊を愛したことに由来するとも言われ、古くからその存在が確認できる。
江戸時代は、観賞用としての菊の品種改良が盛んに行われた時期でもあった。世界最高水準と評される園芸技術が江戸の染井や巣鴨などで発達し、多種多様な菊が生み出された。そうした中で、苦味が少なく、花弁を大きくする改良が食用菊にも施されていったのだ。薬用としての菊の効能が信じられていたことも、食用への関心を高める一因となっただろう。中国では古くから菊が延命長寿の霊草とされ、菊茶や菊花酒、漢方薬として用いられていた歴史がある。この長寿信仰が、重陽の節句や食用菊の伝統として日本にも伝わったと推測されている。
しかし、単に薬効があるからといって、生の菊の花びらを日常的に食卓に並べる習慣が日本全国に広まったわけではない。食用菊の文化は、主に新潟、山形、青森といった東北・北陸地方の一部地域に集中して定着していったのである。その背景には、これらの地域特有の気候条件や、地域住民の食に対する柔軟な姿勢があったのかもしれない。
新潟で食用菊の文化が根付いた背景には、複数の要因が絡み合っている。一つは、気候風土との適合性である。食用菊、特に「かきのもと」に代表される紫色の品種群は、涼しい気候を好む傾向がある。新潟の秋は、まさに菊の栽培に適した気候条件を提供し、品質の良い花を育む土壌となった。また、これらの地域では古くから農家が自家用に栽培しており、それぞれの土地の風土に合った形で品種が選抜され、受け継がれてきた経緯がある。
「かきのもと」や山形の「もってのほか」といった品種は、いずれも「袋菊(ふくろぎく)」と呼ばれる晩生の紫赤色・管弁の系統群に属する。花びらが筒状に丸まっているのが特徴で、これがシャキシャキとした独特の食感を生み出している。食用菊には苦味を伴うものも少なくない中で、これらの品種は苦味が少なく、香りや歯ごたえに優れている点が、食用としての評価を高める要因となった。
また、食文化としての受容も重要である。新潟では「かきのもと」がおひたしや酢の物、和え物といった形で古くから食卓に上り、秋の味覚として欠かせない存在となっている。これは、単に栄養源としてだけでなく、季節感を楽しむための食材として、地域の人々に深く受け入れられてきたことを示している。
「かきのもと」という名称の由来にも諸説ある。一つには「生け垣の根本に植えられたから」という説や、「柿の木の根本に植えられたから」という説がある。現在では「柿の実が色づいてくる頃に赤くなるから」という説明が一般的になっているという。これらの名称は、菊が人々の生活空間、特に庭や畑といった身近な場所で、他の植物や季節の移ろいと共に存在していたことを物語っている。
食用菊が観賞用の菊と植物学的には同一種であるにもかかわらず、特定の品種が食用として選ばれ、栽培されてきたのは、こうした味覚、食感、そして地域に根ざした文化的な背景が複合的に作用した結果と言えるだろう。長年にわたる自家繁殖の中で、枝変わりなどによって多様な系統が生まれ、それぞれの地方の気候や食文化に適したものが選ばれていったのである.
食用菊の食文化は、日本全体で見ると決して主流ではない。むしろ、新潟、山形、青森といった東北地方と北陸地方の一部に限定的に見られる地域性の高い食習慣である。しかし、日本各地にはそれぞれ異なる食用花や植物を利用する知恵が息づいている。例えば、フキノトウや菜の花、桜の花なども食用として親しまれてきた。これらの植物は、多くが季節の移ろいを告げる食材として、その土地の食文化に深く結びついている。
食用菊の場合、その地域的な集中が際立っている。山形県では「もってのほか」、青森県では黄色い「阿房宮(あぼうきゅう)」が有名であり、それぞれの地域で独自の呼び名と調理法が受け継がれてきた。山形の「もってのほか」は、新潟の「かきのもと」と同じく「延命楽」という品種群に属し、花びらが筒状の管弁である点が共通している。その名の由来には「天皇の御紋である菊を食べるなんてもってのほか」という畏敬の念と、「食べてみたら思いのほか美味しかった」という驚きが込められているとされる。こうした由来が複数伝わること自体が、いかに地域の人々にとって食用菊が特別な存在であったかを示唆している。
一方で、全国的な食用菊の生産量を見ると、意外な事実が見えてくる。農林水産省の統計によれば、食用菊の生産量で日本一を誇るのは愛知県であり、全国シェアの半数以上を占める。次いで山形県、青森県が続き、新潟県は5位に位置している。これは、特定の地域で食文化として根付いていることと、大規模な商業栽培が行われている地域が必ずしも一致しないという興味深い対比を示している。愛知県などでの生産は、主に全国の料亭やスーパーマーケットなどに出荷される「つま菊」と呼ばれる小菊や、黄色い食用菊が中心である可能性が高い。対して、新潟や山形における食用菊は、地域に根ざした伝統野菜としての側面が強く、食卓に直接供される大輪の品種が中心である点が異なる。
このような比較から見えてくるのは、食用菊が持つ二つの顔である。一つは、特定の品種が特定の地域で、その土地の気候や人々の嗜好に合わせて選抜され、独自の食文化として深く定着していった姿。もう一つは、全国的な需要に応えるために、効率的な栽培が行われる商業作物としての顔である。新潟の「かきのもと」は、まさに前者の典型であり、その土地の歴史と人々の暮らしの中で育まれた「食の個性」を強く保ち続けていると言えるだろう。
現代の新潟においても、「かきのもと」は秋の食卓に欠かせない食材であり続けている。かつては農家の庭先で自家用に栽培されることが主だったが、昭和45年(1970年)頃からは水田の転作作物として本格的に栽培が拡大した。この転換期には、より花が大きく、色鮮やかな紫色へと品種改良が進められ、現在の「かきのもと」の姿が確立されていったのである。現在、新潟県全体の生産量のうち、約8割が新潟市南区白根地区で栽培されているという。
収穫期は主に10月から11月が旬とされるが、抑制栽培や促成栽培といった技術の進歩により、8月中旬から12月中旬まで比較的長期間の出荷が可能になっている。これにより、より多くの人々が「かきのもと」の味覚を享受できるようになった。
調理法も多岐にわたる。最も一般的なのは、花びらをさっと茹でて酢の物やおひたしにする方法である。茹でる際に少量の酢を加えることで、鮮やかな赤紫色が保たれるという古くからの知恵も受け継がれている。また、天ぷらにしたり、味噌汁の具材にしたりと、様々な形で楽しまれている。近年では、生で食べても苦味がない「一重菊」のような品種も開発され、サラダなど新しい食べ方も提案されている。
しかし、食用菊を取り巻く環境は決して安泰ではない。他の多くの伝統野菜と同様に、栽培者の高齢化や後継者不足といった課題に直面している地域も少なくない。栽培面積の減少も指摘されており、平成20年(2008年)の統計では、新潟、山形、青森の3県の栽培面積が平成12年(2000年)の20〜40%にまで減少していることが示されている。
そうした中でも、新潟市では「かきのもと」を「にいがたの伝統野菜」として認定し、その価値を再認識する動きが見られる。また、「食用菊りゅうのひげ」のように、わずかに残っていた在来種を復活栽培させる取り組みも行われている。これは、単なる農産物としてだけでなく、地域の文化や歴史を伝える存在として、食用菊が持つ意味が再評価されている証左だろう。
新潟の食卓に並ぶ赤紫色の食用菊「かきのもと」は、いつから食べられているのか、という問いへの答えは、単一の時点に集約できるものではない。中国から伝来した菊が薬用や観賞用として利用され始めたのが奈良時代から平安時代。そして、その花びらを日常的に食する文化が日本で本格的に始まったのは江戸時代である。新潟では、江戸時代にはすでに農家の庭先で「かきのもと」が栽培されていたというから、その歴史はゆうに300年以上におよぶ。
この「かきのもと」の歴史は、菊が持つ「長寿」という象徴的な意味が、単なる薬効の信仰から、日々の食を通じて健康を願う素朴な営みへと変化していった過程を示すようにも見える。高貴な花として宮廷で愛でられた菊が、やがて庶民の食卓に上り、地域ごとの風土に合わせた品種改良と調理法で受け継がれてきた。
食用菊が東北・北陸の一部に集中して根付いたのは、その土地の気候が栽培に適していたこと、そして人々が新しい食材を受け入れ、工夫する柔軟さを持っていたことの証だろう。全国的な生産量では愛知県が上位にある一方で、新潟の「かきのもと」が持つ「伝統野菜」としての価値は、商業的な規模とは異なる意味で、その土地の食文化を豊かに彩り続けている。秋の食卓で菊の花びらを口にする時、それは遠い江戸の記憶と、この土地に生きる人々の知恵が結びついた瞬間に他ならない。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。