2026/6/26
松阪牛の「寿き焼」はなぜ冷凍しない?和田金が貫く品質への哲学

松阪のすき焼き屋さん和田金について詳しく教えて欲しい。
キュリオす
松阪牛の老舗「和田金」は、明治時代創業以来、独自の哲学で品質を追求。「未経産の雌牛」を長期肥育し、肉を冷凍しないことで、口溶けの良い上質な脂と肉本来の旨味を引き出す「寿き焼」を提供している。
松阪に佇む「寿き焼」の重み
松阪の町を歩くと、老舗の佇まいがそこかしこに見え隠れする。その中でもひときわ存在感を放つのが、松阪牛のすき焼きで知られる「和田金」だ。ただの高級店という言葉では片付けられない、その名が持つ重みは、店先に立つだけで伝わってくる。多くの人が「一度は訪れたい」と語るこの場所は、単に上質な牛肉を提供するだけでなく、ある種の儀式のような食体験を約束する。なぜ、松阪という土地で、和田金はこれほどまでに特別な存在であり続けているのか。そして、そこで供される「寿き焼」は、一体何が違うのだろうか。この問いには、松阪牛が歩んできた歴史と、和田金が貫いてきた独自の哲学が深く関わっている。
松阪牛と和田金の創業
和田金の歴史は明治11年(1878年)、初代店主である松田金兵衛が松阪市本町で牛肉店を開業したことに始まる。金兵衛は江戸の料亭「和田平」で料理の修業を積んだ後、松阪に帰郷した人物であった。開業から5年後には、西町三丁目にすき焼きの店を出店し、やがて上質な松阪の牛肉を平切りにした「寿き焼」のスタイルを確立したという。
一方、松阪牛の物語は、和田金の創業よりもさらに遡る。江戸時代、現在の松阪地方では、農耕や荷物運搬のための「役牛」として牛が飼育されていた。特に兵庫県の但馬地方で生まれた雌牛が、その温和な気性から重宝されたという。 明治維新を迎え、肉食が解禁されると、それまで役目を終えた牛が「太牛」として肥育され、食肉として流通するようになる。この時代の先駆者の一人に、山路徳三郎がいた。彼は明治5年(1872年)から約20年間にわたり、松阪近隣から集めた数十頭の牛を徒歩で東京まで運ぶ「牛追い道中」を敢行したのだ。 これは、当時の東京で松阪の肉牛の優秀性を知らしめる大きな契機となった。
和田金が松阪牛のブランド確立に果たした役割も大きい。昭和2年(1927年)には東京支店を開設し、皇族や政財界の要人へ松阪牛を納入する経路を開拓した。 これにより、松阪牛は東京の高級食肉市場で確固たる地位を築いていく。決定的な転換点の一つは、昭和10年(1935年)に東京で開催された「全国肉用畜産博覧会」での出来事だ。ここで松阪牛は最高の「名誉賞」を受賞し、その名を全国に轟かせた。
戦後、和田金は会社組織として再出発し、昭和39年(1964年)には、肉質向上を目的として自営牧場「和田金牧場」を嬉野黒野町に設立する。 これは、単に肉を仕入れて販売するだけでなく、自ら肥育の過程に深く関わるという、和田金の品質に対する徹底した姿勢を示すものであった。当初は地元農家からの反発もあったとされるが、安定した高品質の牛肉を供給するための苦渋の決断であったと伝えられている。 平成22年(2010年)には和田金牧場は「株式会社和田金ファーム」として分社化され、肥育・販売を専門とする体制が整えられた。 和田金が昭和初期から使用するロゴマークには、「松阪牛元祖」と「BEST BEEF」の文字が刻まれており、創業以来の誇りと品質への誓いが込められている。
和田金が貫く品質への道筋
和田金が提供する「寿き焼」の魅力は、単に高級な松阪牛を使っているというだけではない。そこには、創業以来受け継がれてきた肉への深い理解と、それを最大限に引き出すための独自の哲学がある。
その根幹をなすのが、自社牧場での肥育である。和田金は、兵庫県産の黒毛和牛の中から特に優れた雌の仔牛を厳選して仕入れ、自社牧場で丹念に育て上げる。 特に、子を産んでいない「未経産の雌牛」にこだわり、約3年という長期にわたる肥育を行うことで、きめ細やかな肉質と、融点の低い上質な脂肪を持つ松阪牛が生み出されるのだ。 牧場では、牛にストレスを与えない清潔な環境を整え、長年の経験で培われた独自の飼料に地元産の稲藁を加えて与える。また、牛の脂肪を最高の状態に分散させ、きめ細かな肉質を作るために、定期的なマッサージも欠かせない作業とされる。
和田金が追求するのは「おいしいお肉」であり、それは口溶けが良く、胃もたれしない脂の肉だと考えている。 この「いい肉」の指標となるのが、融点の低い不飽和脂肪酸を多く含む牛脂と、和牛特有の甘い香りを放つ「和牛香」だ。 和田金の牛脂は常温にしばらく置くと、宝石のように透きとおった輝きを放つと評される。
そして、和田金の品質を語る上で見逃せないのが、「肉を冷凍しない」という伝統である。 自社牧場から直接入荷する新鮮な松阪牛を扱うため、必要な分だけをその都度調達できる体制がこれを可能にしている。冷凍しない肉は、薄くスライスすることが難しいため、和田金の「寿き焼」に使う肉は、一般のすき焼き肉よりも厚めに平切りされる。この厚みが、肉本来の力強い旨みと、食べ応えのある食感を生み出しているのだ。
「寿き焼」の調理法もまた、和田金のこだわりを体現している。熱した南部鉄鍋に牛脂を溶かし、そこに厚めに切られた松阪牛を並べる。焦らず、じっくりと肉の表面を焼き、砂糖とたまり醤油、そしてほんの少しの昆布出汁で味付けをする。この「焼く」ことから始める調理法は、関西風すき焼きの真骨頂である。 そして、この一連の調理を熟練の「焼き手」(仲居)が客の目の前で行うのが和田金の流儀だ。 菊炭の遠赤外線効果で肉がじんわりと焼かれ、芳しい香りが立ち上る。焼き手は肉の焼け具合を絶妙なタイミングで見極め、客に最高の状態で肉を供する。肉の旨みが溶け出した鍋には、地元産をはじめとする厳選された野菜が加えられ、松阪牛の滋味とともに味わい尽くされるのだ。 この一連の所作は、単なる食事ではなく、松阪牛の魅力を最大限に引き出すための「舞台」と表現される。
すき焼きの東西と松阪牛の立ち位置
日本の食文化において、すき焼きは国民的な鍋料理として親しまれているが、その調理法は大きく分けて関東と関西で異なる。この東西の違いを理解することは、和田金の「寿き焼」が持つ独自性をより深く捉える手掛かりとなるだろう。
関東風すき焼きは「煮る」スタイルが主流である。 醤油、砂糖、みりん、酒、出汁をあらかじめ合わせた「割り下」を鍋に注ぎ、そこに牛肉や野菜を加えて煮込むのが一般的だ。 そのルーツは、明治初期に横浜を中心に流行した「牛鍋」にあると言われている。 大正12年(1923年)の関東大震災で東京の牛鍋屋が大きな打撃を受けた後、関西の「すき焼き」という名称が全国に広まり、呼び名が統一されていったとされる。
一方、関西風すき焼きは「焼く」スタイルを基本とする。 熱した鉄鍋に牛脂を溶かし、まず牛肉だけを焼き、そこに直接砂糖と醤油を振りかけて味付けをする。その後、野菜を加えて、野菜から出る水分で調理を進めるのが特徴だ。 この調理法は、農具の「鋤(すき)」を鉄板代わりにして魚や肉を焼いたことに由来するという説や、薄切り肉を意味する「剥身(すきみ)」に由来するという説など、語源には諸説ある。 和田金の「寿き焼」は、この関西風の調理法を忠実に、かつ洗練された形で踏襲している。 どちらのスタイルも、最終的に溶き卵につけて食べる点は共通しているが、肉を最初に焼くか、割り下で煮込むかという点で、味わいと香りの立ち上がりに明確な違いが生まれる。
松阪牛は、神戸牛、近江牛と並んで「日本三大和牛」の一つに数えられる。 神戸牛が「世界のKOBE BEEF」として知名度が高いように、それぞれのブランド牛には独自の歴史と肥育基準がある。松阪牛の大きな特徴は、前述の通り「未経産の雌牛」に限定し、長期肥育を行うことだ。 特に、但馬地方(兵庫県)産の仔牛を900日以上肥育したものは「特産松阪牛」と呼ばれ、その中でも最高峰と位置づけられる。 これは、一般的な「A5ランク」といった格付けとは異なる、松阪牛独自の品質基準であり、和田金はこの「特産」表示にこそ価値を見出している。 他のブランド牛にも優れた肥育技術や伝統があるが、和田金のように自社牧場での一貫管理を徹底し、「冷凍しない」という方針を貫くことで、その肉質を極限まで高めようとする姿勢は、松阪牛、そして和田金ならではの独自性と言えるだろう。
松阪の現在地と和田金が担うもの
今日の松阪市において、松阪牛は単なる特産品にとどまらない。地域経済の重要な柱であり、文化的な象徴でもある。和田金は、その松阪牛文化の頂点に位置する存在として、現在もその伝統と品質を守り続けている。
和田金は、自社牧場での厳格な衛生管理を徹底している。 外部からの雑菌を持ち込まぬよう、人や車の出入りには消毒施設での除菌が義務付けられ、牛にストレスを与えない環境づくりに細心の注意が払われている。常時約1,000頭の牛が肥育されているという規模でありながら、個々の牛への目配りを怠らない。
また、松阪牛の信頼性を保つための取り組みも進められている。平成13年(2001年)に国内で初めてBSE感染牛が確認されたことや、それに伴う松阪牛の偽装事件の発生を受け、平成14年(2002年)には「松阪牛個体識別管理システム」が導入された。 このシステムにより、消費者は精肉パックに記載された10桁の耳標番号から、その牛の生産履歴をインターネット上で確認できるようになり、松阪牛の透明性と安全性が確保されている。 和田金もこのシステムに登録された認定事業者として、その情報を公開している。
和田金の店舗は、単なる飲食店というよりも、まるで和風旅館のような佇まいである。 訪れる客は個室へと案内され、専属の仲居が最初から最後まで「寿き焼」の調理と給仕を行う。 この手厚いもてなしは、客に最高の食事体験を提供するだけでなく、松阪牛という食材への敬意、そして和田金が培ってきた文化そのものを伝える役割を担っている。炭火の香りが漂う中で、仲居の手によって目の前で肉が焼かれ、最適なタイミングで供される一連の流れは、まさに「ご馳走」という体験を演出する。
現代においては、食の多様化や合理化が進む中で、和田金のような手間と時間を惜しまない伝統的なスタイルを維持することには、相応のコストと労力が伴う。しかし、その手間暇こそが、和田金が提供する価値の本質であり、多くの人々が松阪まで足を運ぶ理由となっている。松阪牛の肥育から調理、そしてもてなしに至るまで、一貫して最高峰を追求する姿勢は、現代においても変わることなく受け継がれているのだ。
究極の「おいしさ」を巡る問い
和田金と松阪牛の物語をたどると、単に「美味しい肉」という言葉だけでは捉えきれない、より深い問いが浮かび上がる。それは、なぜこれほどの「手間」と「時間」をかけ、特定の「方法」を頑なに守り続けるのか、という問いである。
松阪牛の肥育は、兵庫県産の優れた雌の仔牛を選び、松阪の地で900日以上かけて未経産のまま育て上げるという、極めて具体的な条件に基づいている。 これは、単に霜降りの度合いを示す「A5ランク」といった市場の格付けとは一線を画す、和田金独自の「おいしさ」の基準を追求する姿勢の表れだ。 融点の低い脂、きめ細やかな肉質、そして「和牛香」と呼ばれる甘い香り。これらを最大限に引き出すためには、飼料の配合、牛舎の環境、さらには牛へのマッサージといった、細部にわたる配慮が欠かせない。
そして、その肉を「冷凍しない」という選択は、流通の効率性よりも、肉本来の風味と食感を優先する、ある意味で非効率とも言える決断である。 この決断が、和田金の「寿き焼」の肉が厚切りである理由の一つとなり、他のすき焼きとは異なる力強い味わいを生み出している。
和田金の「寿き焼」は、関西風の「焼く」スタイルを基礎としながらも、専属の仲居が客の目の前で調理する「焼き手」の存在によって、単なる調理法を超えた「体験」へと昇華されている。 この一連の所作は、松阪牛という最高の食材への敬意であり、また、客に対する最高のもてなしの形でもある。
結局のところ、和田金が問い続け、実践しているのは、松阪牛が持つ潜在的な「おいしさ」を、いかに余すことなく引き出し、客に届けるかという探求なのではないだろうか。それは、自然の恵みである牛の個性を理解し、人間の技術と手間を惜しみなく注ぎ込み、そしてそれを最高の舞台で表現するという、多層的な営みの上に成り立っている。松阪の地で、和田金が今もなお「寿き焼」の暖簾を守り続けるのは、この究極の「おいしさ」への問いに、弛まぬ努力で答え続けているからに他ならない。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
参考
- 松阪肉元祖-和田金│店舗のご案内 » 和田金についてe-wadakin.co.jp
- 和田金 - Wikipediaja.wikipedia.org
- 『日本が誇る食文化のひとつ"松阪牛"◆和田金』by akii : 和田金 (わだきん) - 松阪/すき焼き [食べログ]tabelog.com
- 松阪牛のご紹介 | JAみえなかja-mienaka.or.jp
- 一度は食べたみたい三大和牛:松阪牛について解説– 和牛セレブwagyugift.jp
- 三重県博物館協会(仮)ブログアーカイブ 【松阪歴民】松阪牛と民具のひみつsanpakukyo.blog.fc2.com
- 三重県松阪市の“松阪牛”ストーリー 1st|ふるさとチョイス - ふるさと納税サイトfurusato-tax.jp
- ブランド牛を身近に感じて 松坂牛の贅沢すき焼き体験 — Google Arts & Cultureartsandculture.google.com