2026/6/8
白山市白峰の「カクザキ」はなぜ生まれた?雪と大家族の知恵

白山市白峰の重要伝統的建造物群保存地区について詳しく知りたい。
キュリオす
白山市白峰の重要伝統的建造物群保存地区には、雪深い環境と数十人規模の大家族制度に適応した「カクザキ」と呼ばれる独特の建築様式が残る。その理由と、白川郷との違い、現代に息づく集落の営みを紹介する。
白山麓の山間を縫うように進むと、雪解け水が流れる谷間に、特徴的な大きな屋根が連なる集落が現れる。白山市白峰の重要伝統的建造物群保存地区だ。ここで目にするのは、単に古い家々が並ぶ風景ではない。それぞれの家屋が持つ、重厚でどこか閉鎖的な佇まい、そしてその屋根の傾斜や構造には、この地特有の厳しい自然と、そこに生き抜いた人々の知恵が凝縮されているように見える。なぜ、この白峰という集落で、これほどまでに特徴的な建築様式が形成され、現代まで維持されてきたのか。集落を歩くたびに、その理由を問うような静かな視線を感じるのだ。
白峰の歴史は、古くから白山信仰と深く結びついていた。白山は古くから修験道の霊場であり、白峰はその登拝口の一つとして栄えた。江戸時代には加賀藩の支配下に置かれ、炭焼きや林業、養蚕といった産業が発達し、生活の基盤を築いていったとされる。しかし、この地の地理的条件は極めて厳しく、冬には2メートルを超える積雪も珍しくなかった。このような豪雪地帯において、人々が生活を維持するために編み出したのが、白峰独特の社会構造と家屋の形態である。
特に注目されるのは、明治から昭和初期にかけて隆盛を極めた「大家族制度」である。血縁関係のない者までを含め、数十人規模で一つの家屋に住み、共同で労働や生活を営む形態だ。この大家族制度は、厳しい自然環境下で労働力を確保し、食料を分け合い、互いに助け合うための必然的な選択だったと考えられる。1872年(明治5年)の戸籍法改正や、その後の徴兵制導入など、近代国家の形成は従来の大家族制度に変化を促したが、白峰ではその慣習が根強く残り、昭和30年代頃までその痕跡を見ることができたという。この独特の社会構造が、後の集落の景観形成に大きな影響を与えることになる。
近代以降、白峰村は1956年(昭和31年)に桑島村と合併し白峰村となり、2005年(平成17年)には白山市に編入された。その中で、白峰の集落が持つ歴史的価値が見直され、1986年(昭和61年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されるに至ったのだ。この選定は、白峰が単なる古い集落ではなく、厳しい自然環境と独自の社会構造が作り出した、他に類を見ない文化景観であるという認識に基づいている。
白峰の家屋が持つ特徴は、その多くが「カクザキ」と呼ばれる建築様式に集約される。これは、妻入りの切妻造り茅葺き屋根を基本とし、正面に「ハケ」と呼ばれる土間が伸び、その奥に「アト」と呼ばれる居室が配置される構造を指す。さらに、屋根裏空間を有効活用するために、二階部分が大きく張り出す「エツリ」と呼ばれる構造を持つ家屋も多い。これらの特徴は、全て積雪への対応と大家族での共同生活に由来している。
まず、切妻造りの急勾配の屋根は、重い雪を滑り落としやすくするための工夫である。茅葺きは断熱性に優れ、冬の厳しい寒さをしのぐのに適していた。そして、特筆すべきは「ハケ」と「アト」の配置だ。ハケは土間であり、農作業や炭焼きなどの作業場として機能した。冬場、雪で閉ざされても屋内で作業ができる空間は不可欠だったのだ。アトは家族が寝起きする生活空間であり、囲炉裏を中心に暖をとった。
また、大家族が暮らすためには、当然ながら広大な居住空間が必要となる。カクザキの家屋は、その規模の大きさが特徴であり、一軒の家屋に多くの人々が暮らせるよう、何度も増改築が繰り返されてきた。特に、屋根裏空間の「エツリ」は、養蚕作業の場としても活用された。蚕は温度変化に敏感なため、茅葺き屋根の断熱効果と、囲炉裏の熱が上る屋根裏は、養蚕にとって理想的な環境だったのだ。このように、白峰の家屋は、雪深い環境での生活、そして炭焼き、林業、養蚕といった生業、さらには数十人規模の大家族制度という、複数の要因が複雑に絡み合い、機能的に進化してきた結果なのである。それは単なる住居というより、一つの生産と生活の複合体であったと言えるだろう。
日本の雪深い地域には、白峰以外にも独特の建築様式を持つ集落が点在する。その代表格が、岐阜県白川郷や富山県五箇山の合掌造り集落だろう。これらの集落もまた、豪雪への適応と養蚕業を背景に、急勾配の茅葺き屋根を持つ家屋を発展させてきた点で共通点が多い。しかし、白峰の「カクザキ」と白川郷の合掌造りには、明確な違いがある。
白川郷の合掌造りが、屋根の合掌部分を大きく広げ、その内部空間を階層的に利用する「平入り」を基本とするのに対し、白峰のカクザキは「妻入り」を基本とする。これは、白峰の家屋が、雪に埋もれないように出入り口を正面に設ける必要があったこと、そして、家屋の増築が主に奥行き方向に行われたことと関係している。合掌造りが屋根の形そのものに特徴を持つ一方で、カクザキは屋根の形状に加え、土間や居室の配置、そして屋根裏の多層利用といった、より複合的な構造を持つと言えるだろう。
また、社会構造の面でも違いが見られる。白川郷も大家族的な生活様式が見られたが、白峰の大家族制度は、血縁関係にとらわれず労働力を集め、数十人規模で生活を営むという点で、より特徴的であったとされる。これは、白峰が白山信仰の拠点であり、多様な人々が行き交う土地であったこと、そして炭焼きや林業といった共同作業を要する生業が盛んだったことと無関係ではないだろう。白川郷の合掌造りが、ある種の「理想的な共同体」の象徴として語られることが多いのに対し、白峰のカクザキは、より実践的で、切迫した生活の必要性から生まれた「機能美」を強く感じさせるのだ。どちらも雪国の知恵の結晶ではあるが、その背景にある社会や生業の違いが、建築様式にも色濃く反映されていると言える。
現在の白峰は、国の重要伝統的建造物群保存地区として、その景観が厳しく保全されている。集落を歩けば、今も茅葺き屋根の家々が軒を連ね、かつての大家族制度を思わせる大きな家屋の存在感が際立つ。しかし、同時に過疎化と高齢化という、日本の多くの山間地域が抱える課題もまた、この地には存在する。若い世代が都市部に流出し、伝統的な家屋の維持管理は容易ではない。茅葺き屋根の葺き替えには高度な技術と多大な費用がかかるため、その担い手の育成も喫緊の課題となっている。
一方で、白峰では地域を活性化させるための様々な取り組みも行われている。空き家となった伝統的家屋を改修し、宿泊施設や交流拠点として活用する試みや、かつての炭焼きや養蚕といった生業を現代に伝える体験プログラムの実施などがその例だ。また、冬には雪を活かしたイベントが開催され、多くの観光客が訪れる。白峰の家屋は、今も人々が生活を営む場所であり、単なる歴史的遺産としてではなく、地域経済を支え、文化を継承する役割を担っているのだ。かつての大家族制度は形を変えたが、地域住民が協力し、集落全体で文化を守り、未来へと繋いでいこうとする姿勢は、白峰の歴史の中で培われた「共助の精神」の現代的な表れと言えるだろう。
白峰の集落を巡り、その歴史と建築の背景をたどることで、当初の疑問はより深く、多層的なものとして立ち上がってくる。なぜこの白峰に、これほど特徴的な家屋と社会構造が残されたのか。それは単に「雪が多いから」という一言では片付けられない。白山信仰という精神的支柱、炭焼きや養蚕といった特定の生業、そして何よりも、数十人規模の大家族制度という独特の社会システムが、互いに影響し合い、あの大きな屋根の下で、人々が生き抜くための必然的な形態を生み出したのだ。
白川郷が「合掌」という特定の建築様式を際立たせるのに対し、白峰の「カクザキ」は、より生活全般にわたる適応の痕跡を色濃く残している。それは、雪という圧倒的な自然環境が、人々の住まいだけでなく、家族のあり方、仕事の形態、そして共同体の維持の仕方にまで、深く介入してきた証でもある。白峰の集落は、重い雪が、単なる自然現象ではなく、人間社会の構造そのものを形作った具体的な事例として、今もそこに存在している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。